単身で上海に赴任していた友人が体調を崩して日本に転勤になったという。彼は数年前に鬱病を患い、しばらく閑職に退いていたのだが、今回に上海勤務は復活を賭けたものだった、と思う。自分なりの目標を持って、それに向かって努力するという、優等生的なところのある奴なのだが、その優等生的なところが災いしているのだろう。今は東京で勤務しているらしいので、帰国したら久しぶりに会ってみたいと思っている。
以前、上司だった人が会社を辞めて独立するという。この人も真面目で、そこが自分にとっては窮屈な感じもあり、表面的には円満な上司と部下の関係ではあったが、どこかそりの合わないものを感じていた。誠実な人柄で、その徳を慕って集まる人も多かったので、独立してもそれなりに仕事は確保できると考えたのだろう。なにはともあれ、祝福のメールを返しておいた。
賀状や年賀メールには、同年代の人たちから、それぞれに新しい道を歩み始めたことの知らせが見られるようになった。事情はどうあれ、生活史のなかで相が変わる時期なのだろう。変わらなくてもよいのなら、それに越したことはないのかもしれない。しかし、変わらなくては先が無いように感じられる状況もある。自分自身の状況は昨年の元旦に書いた「年賀の挨拶」と変わりはないが、今年は日本に戻るので、具体的に行動を起こすつもりでいる。楽をしていては楽しくないだろうから。
以前、上司だった人が会社を辞めて独立するという。この人も真面目で、そこが自分にとっては窮屈な感じもあり、表面的には円満な上司と部下の関係ではあったが、どこかそりの合わないものを感じていた。誠実な人柄で、その徳を慕って集まる人も多かったので、独立してもそれなりに仕事は確保できると考えたのだろう。なにはともあれ、祝福のメールを返しておいた。
賀状や年賀メールには、同年代の人たちから、それぞれに新しい道を歩み始めたことの知らせが見られるようになった。事情はどうあれ、生活史のなかで相が変わる時期なのだろう。変わらなくてもよいのなら、それに越したことはないのかもしれない。しかし、変わらなくては先が無いように感じられる状況もある。自分自身の状況は昨年の元旦に書いた「年賀の挨拶」と変わりはないが、今年は日本に戻るので、具体的に行動を起こすつもりでいる。楽をしていては楽しくないだろうから。