熊本熊的日常

日常生活についての雑記

散歩と会話の日

2009年01月31日 | Weblog
久しぶりに神保町を歩いた。子供がスキーウエアが欲しいというので、一緒に買いに出かけたのである。生憎の空模様の所為なのか、スキーウエアというものを買う時期ではないのか、スキーそのものの人気が低迷しているのか知らないが、週末だというのに店内は閑散としていた。店員に尋ねてみると、スキー人口そのものの落ち込みが激しいとのことだった。

自分の学生時代はテニスとスキーが同世代の社交に欠く事のできないものだった。今の若い人たちは一体どのような運動を楽しんでいるのだろうか。かつてに比べて身体を動かさなくなっているということはよく耳にする。その時々の流行というものがあるので、特定分野の動向を無闇に敷衍するわけにはいかない。しかし、生き物の活動水準が低下するということは、その生命力に翳りが出てきていることを示唆しているということではないだろうか。

スキーウエアを買った後、まつやで蕎麦を食べ、竹むらで田舎しるこを頂く。まつやも竹むらも昔ながらの日本家屋で、どちらも区の「景観まちづくり重要物件」に指定されている。この界隈にはほかにも同指定を受けた建物がいくつかあり、それらがごく一般的な中層建築と混在して、なんとなく妙な雰囲気だ。指定を受けたことで、どのような制約を受けるのか知らないが、おそらく受ける助成よりも維持費用のほうが勝っているだろう。老舗とはいえ商売は決して楽ではないだろうに、店舗の維持保全までしなければならないというのは、大変な努力を要することだろう。

まつやは店舗の建物以外に特筆するほどのことはないのだが、竹むらの田舎しるこには思わず唸ってしまう。碗の佇まいがよい。そして、碗を開いたときの姿が美しい。餡の色艶とその中央に浮かぶ餅の肌の風合、それらが調和した容姿が素晴らしい。もちろん味も文句のつけようがない。しるこという日常の食べ物でも、芸術の域にまで高めてしまう日本の食文化というのは、やはり大切にしなければいけないと改めて感じてしまった。

再び神保町へ戻り、書店を見て歩く。一通り淘汰を経ているようで、どの店もそれなりに客が入っている。古本と言っても千差万別で、単なる中古もあれば骨董品のようなものもある。古い文学全集には装丁に凝ったものも少なくなく、中身もさることながら、そうした外見に惹かれる人も少なくないだろう。子供はこういう古本屋街を歩くのは初めてなので、ひたすら感心している様子だった。三省堂にも入ったが、やはり大型書店は楽しい。文庫本のコーナーで子供と自分が読んだ本を紹介し合いながら話をしていると飽きることがない。

子供を家に送り届けた後、今度は場所を変えて学生時代の友人と十数年ぶりに会った。互いに容姿は老け、話題も年齢相応のものになるのだが、2人の間に流れる空気のようなものは学生時代とさして変わらないように思われた。結局、たいしたものも注文せずに4時間ほど話し込んだ。店にとっては嫌な客だろうが、それほど混んでもいなかったのでお許し頂けるだろう。