熊本熊的日常

日常生活についての雑記

生活空間

2009年01月23日 | Weblog
災害に被災した人たちが仮設住宅で暮らすことになり、そこで暮らすことによるストレスが問題になることがある。そんな話を聞いたとき、自分には「仮設ストレス」というものがどのようなものなのか想像できなかった。それが今はなんとなくわかるようになった。

現在暮らしているのはウィークリーマンションの11平方メートルの部屋である。この広さにトイレバスユニットとベッドを置くと使える広さはかなり小さい。そこで生活があるので、食べるものは外食に依存するとしても、着るものはそれなりに持ち、それらを整理しておく場所が必要になるのだが、それが十分に確保できない。他にも諸々整理したいものがあるが、とにかく場所が無い。広さの問題というよりも、機能を確立できないという問題なのである。

ウィークリーマンションに問題があるわけではない。部屋の乾燥には少し困っているものの、交通至便で生活環境としても良好な場所に立地するものを1泊5,000円で利用できるというのはありがたいことである。

暮らしに何が必要なのかということは、ロンドンでの生活でも考えたことだが、物理的な空間の限界というものは、今改めて考えさせられている。次に住む場所がほぼ決まり、今の生活の終わりが見えているから我慢できているが、これが災害の仮設のように、いつ終わるかわからないとなると、確かに心穏やかに暮らすことはできないと思う。

勿論、生活は物理的なものだけで成り立っているわけではない。暮らしは物理的なものと精神的なものと、それらを現実的に支える経済的なものなどが渾然一体となったものである。快適と感じるのに欠如しているところを、ない知恵を絞り出しながら生きるのが生活だ。生活とは難儀なものだと、改めて思っている。