帰国の飛行機の中で読んだ朝日新聞にアルバニア人とセルビア人の夫婦の話が紹介されていた。ユーゴスラビアは、チトー大統領の時代には民族融合のモデルケースのような存在だったのに、冷戦構造が崩壊すると国家体制も崩壊してしまった。
内戦直前の1989年1月にユーゴスラビアのドゥブルブニクとモスタルを訪れた。この時すでに、経済は崩壊していた。年率200%とも300%ともいわれるインフレで、わずか1週間の滞在期間中、商店の値札が毎日書き換えられていた。町へ出かける時は、宿泊していた国営ホテルで必要な分だけ両替していた。何が原因でそんなことになってしまったのか知らないが、物事がうまくいかなくなると、その責任を押し付け合うのはどこでも同じことである。たまたまユーゴスラビアは多民族国家であったが故に、国家運営の失敗が、民族間紛争という形で表れたということだろう。
しかし、ひとたび紛争が発生すれば、その原因の解決は二の次となり、紛争当事者同士の勝敗が紛争の目的にすり替わってしまう。互いの憎悪だけが増幅し、相手を抹殺することで問題が解決されるという幻想にとりつかれてしまう。不思議なことに、それが国家規模に増幅され、戦争状態に陥ってしまう。太平洋戦争だって、日本が連合国に宣戦布告したのは、それによって守るべきものがあったからだろう。それが戦争末期には本土決戦などと言い出して、国土が焦土と化すまで戦争を止めることができなかった。
人間の社会というのは、本来、互いに足りないものを補い合うための仕組みであったはずだ。ひとりひとりがそれぞれの人生を真っ当に全うするために、それぞれができるだけのことし、互いに助け合いながら生きるためにこそ社会はあるはずだ。それが、どこでどう転んで排除し合う結果になってしまうのか。
報道を見る限り、昨年春頃から金融業界を中心に雇用削減の動きが広がり、それが不動産、小売、マスコミ、製造業と次々に波及している。ロンドンでタクシーの運転手と話をしたら、特にクリスマスの前後から客足が顕著に落ちていると言っていた。引越をお願いした日通の人も、日本人の引越自体にまだ大きな変化は見られないが、英国内の運輸業者はここ数ヶ月でたいへんな状況になっているようだと語っていた。おそらく、失業の拡大とともに、不満の捌け口を求めて社会不安の動きが顕在化するだろう。
どのような形で人々の不安や不満が爆発するのか知らないが、それが暴走するようなことがないことを祈るばかりである。昨日今日とロンドンではいくつかのデモがあったようだ。空港へ出かけるまでに時間があったので、宿の近くのハイド・パークを散策したのだが、公園周辺の道路にはデモによる通行止めの予告広告が貼り出されており、公園の一画ではデモの準備をする人たちがプラカードや横断幕などをトラックから降ろしていた。
内戦直前の1989年1月にユーゴスラビアのドゥブルブニクとモスタルを訪れた。この時すでに、経済は崩壊していた。年率200%とも300%ともいわれるインフレで、わずか1週間の滞在期間中、商店の値札が毎日書き換えられていた。町へ出かける時は、宿泊していた国営ホテルで必要な分だけ両替していた。何が原因でそんなことになってしまったのか知らないが、物事がうまくいかなくなると、その責任を押し付け合うのはどこでも同じことである。たまたまユーゴスラビアは多民族国家であったが故に、国家運営の失敗が、民族間紛争という形で表れたということだろう。
しかし、ひとたび紛争が発生すれば、その原因の解決は二の次となり、紛争当事者同士の勝敗が紛争の目的にすり替わってしまう。互いの憎悪だけが増幅し、相手を抹殺することで問題が解決されるという幻想にとりつかれてしまう。不思議なことに、それが国家規模に増幅され、戦争状態に陥ってしまう。太平洋戦争だって、日本が連合国に宣戦布告したのは、それによって守るべきものがあったからだろう。それが戦争末期には本土決戦などと言い出して、国土が焦土と化すまで戦争を止めることができなかった。
人間の社会というのは、本来、互いに足りないものを補い合うための仕組みであったはずだ。ひとりひとりがそれぞれの人生を真っ当に全うするために、それぞれができるだけのことし、互いに助け合いながら生きるためにこそ社会はあるはずだ。それが、どこでどう転んで排除し合う結果になってしまうのか。
報道を見る限り、昨年春頃から金融業界を中心に雇用削減の動きが広がり、それが不動産、小売、マスコミ、製造業と次々に波及している。ロンドンでタクシーの運転手と話をしたら、特にクリスマスの前後から客足が顕著に落ちていると言っていた。引越をお願いした日通の人も、日本人の引越自体にまだ大きな変化は見られないが、英国内の運輸業者はここ数ヶ月でたいへんな状況になっているようだと語っていた。おそらく、失業の拡大とともに、不満の捌け口を求めて社会不安の動きが顕在化するだろう。
どのような形で人々の不安や不満が爆発するのか知らないが、それが暴走するようなことがないことを祈るばかりである。昨日今日とロンドンではいくつかのデモがあったようだ。空港へ出かけるまでに時間があったので、宿の近くのハイド・パークを散策したのだが、公園周辺の道路にはデモによる通行止めの予告広告が貼り出されており、公園の一画ではデモの準備をする人たちがプラカードや横断幕などをトラックから降ろしていた。