今日は暦の上ではただの金曜日なのだが、休暇中の人が多く、職場は閑散としている。まだ街全体にクリスマス休暇の余韻が残っており、至る所にクリスマスの飾り付けが残っている一方で、路地裏のゴミ集積場にはクリスマスツリーが捨てられていたりする。商店街は安売りで混雑しているが、品物が飛ぶように売れているという風でもない。いくら安くても、いらないものはいらないのだから、当然と言えば当然だ。
仕事帰りに市街へ出て、久しぶりにCDなどを見て回った。中学生の頃、初めて洋楽を聴くようになり、最初に買った洋楽のLPがビートルズのオールディーズだった。当時、レコード会社が「来日10周年」と銘打って盛んに彼等の作品を宣伝していた。宣伝していたのは、来日10周年だからではなく、それまで2,200円だったLPを2,500円に値上げした所為かもしれない。いずれにせよ、当時はテレビよりもラジオのほうが仲間内では流行っていて、ビートルズを話題にすることに自分の成長を感じたものだった。おそらく今では死語だろうが、「エアチェック」と言ってFM放送で気に入った曲を録音して楽しむということがかなり広く行われていた。それ用の雑誌もあり、私は「FMレコパル」というのを買っていた。そうした雑誌も貴重な大人の世界の情報源だった。
今でも、CD店の棚にはビートルズが大きなシェアを持っている。かなり最近まで彼等の音楽を好んで聴いていたが、今、こうして棚を眺めると、なんとなく哀愁を感じてしまう。それが何故なのかよくわからないのだが、CDと一緒に並んでいる写真集を手に取ると、なんとなく痛いものすら感じる。もうすっかり過去の人たちなんだと。
ビートルズが何故良かったかといえば、演奏が楽しげだからだろう。音楽だけ聴いていてもそう思うし、ライブ映像を見るとなおさらそう思う。仕事のありかたの基本がそこにあると思うのである。このブログのなかで何度か引用しているが、小林秀雄の「仕事が楽しみじゃなくて、一体仕事とは何だい」という言葉が脳裏に浮かぶのである。
憧れを持って空想していた大人の世界に身を置いてみれば、寒々とした現実に打ち拉がれることも少なくない。ビートルズにしても、解散後はメンバーやその遺族の間で訴訟事が頻繁に起こり、楽しげに見えていたものが幻影でしかなかったことを思い知る。それが人生と割り切れるほどに人間ができていないので、人生の折り返しを過ぎて、なおも執拗に楽しげな仕事の幻を追い求める。
それでも、帰国が近い所為かもしれないが、気分は良い。世の中が総じて悲観的な状況のほうが、個人的には様々な機会に恵まれるような予感がするのである。帰国したら、あれもしたい、これもしたい、と些細な案件が次々と湧いてくる。これは今に始まったことではなく、昨年の11月下旬あたりから感じている。あくまで感覚的なものなので、なにがどう良いのか説明はできないのだが、自分のなかで何かがつながった感触がある。2001年の同時多発テロのあたりから狂い出した自分の生活の歯車のようなものが、ようやく復旧しつつあるような気がするのである。尤も、ただの気のせいということもあるので、過度な期待や無謀な行動は慎まなければならない。少なくとも、今すぐにどうこうという話は無いので、残り少ないロンドンでの生活は無事に過ごしたいものである。
仕事帰りに市街へ出て、久しぶりにCDなどを見て回った。中学生の頃、初めて洋楽を聴くようになり、最初に買った洋楽のLPがビートルズのオールディーズだった。当時、レコード会社が「来日10周年」と銘打って盛んに彼等の作品を宣伝していた。宣伝していたのは、来日10周年だからではなく、それまで2,200円だったLPを2,500円に値上げした所為かもしれない。いずれにせよ、当時はテレビよりもラジオのほうが仲間内では流行っていて、ビートルズを話題にすることに自分の成長を感じたものだった。おそらく今では死語だろうが、「エアチェック」と言ってFM放送で気に入った曲を録音して楽しむということがかなり広く行われていた。それ用の雑誌もあり、私は「FMレコパル」というのを買っていた。そうした雑誌も貴重な大人の世界の情報源だった。
今でも、CD店の棚にはビートルズが大きなシェアを持っている。かなり最近まで彼等の音楽を好んで聴いていたが、今、こうして棚を眺めると、なんとなく哀愁を感じてしまう。それが何故なのかよくわからないのだが、CDと一緒に並んでいる写真集を手に取ると、なんとなく痛いものすら感じる。もうすっかり過去の人たちなんだと。
ビートルズが何故良かったかといえば、演奏が楽しげだからだろう。音楽だけ聴いていてもそう思うし、ライブ映像を見るとなおさらそう思う。仕事のありかたの基本がそこにあると思うのである。このブログのなかで何度か引用しているが、小林秀雄の「仕事が楽しみじゃなくて、一体仕事とは何だい」という言葉が脳裏に浮かぶのである。
憧れを持って空想していた大人の世界に身を置いてみれば、寒々とした現実に打ち拉がれることも少なくない。ビートルズにしても、解散後はメンバーやその遺族の間で訴訟事が頻繁に起こり、楽しげに見えていたものが幻影でしかなかったことを思い知る。それが人生と割り切れるほどに人間ができていないので、人生の折り返しを過ぎて、なおも執拗に楽しげな仕事の幻を追い求める。
それでも、帰国が近い所為かもしれないが、気分は良い。世の中が総じて悲観的な状況のほうが、個人的には様々な機会に恵まれるような予感がするのである。帰国したら、あれもしたい、これもしたい、と些細な案件が次々と湧いてくる。これは今に始まったことではなく、昨年の11月下旬あたりから感じている。あくまで感覚的なものなので、なにがどう良いのか説明はできないのだが、自分のなかで何かがつながった感触がある。2001年の同時多発テロのあたりから狂い出した自分の生活の歯車のようなものが、ようやく復旧しつつあるような気がするのである。尤も、ただの気のせいということもあるので、過度な期待や無謀な行動は慎まなければならない。少なくとも、今すぐにどうこうという話は無いので、残り少ないロンドンでの生活は無事に過ごしたいものである。