熊本熊的日常

日常生活についての雑記

続 最後の晩餐

2009年01月09日 | Weblog
今晩がロンドンでの最後の夜だ。宿とPaddington駅の間にフィッシュ・アンド・チップスの店があり、最後の夜はここかな、と漠然と思っていた。しかし、昼に職場の隣の席の奴がフィッシュ・アンド・チップスを食べていて、その匂いを感じていたら、それだけで胸焼けがしそうになってしまった。やはり、その土地の、どこでも食べることができて、おいしいもので締めるのがいいだろうと思い、インド料理にすることにした。

英国とインドの関係は深い。外見だけでは判断できないが、おそらく、もともとの国籍別の人口では、インド人がロンドンで一番多いのではないかと思われるほどである。どんな町にも必ずインド料理店やインド料理の持ち帰り店があり、郵便局の局員は何故かインド人が多く、スーパーのレジのおばさんもインド人であることが多い。エリザベス女王の戴冠式のパレードでも、先頭はインド人部隊だったし、一昨日の引越の日に、たまたまやってきた電力会社の勧誘員(こちらでは電力会社も選ぶことができる)はデリー出身だと言っていた。

私の勝手な意見ではなく、こちらで当り前に耳にする話として、ロンドンでおいしいものといえばインド料理、ということになっているのである。仕事からの帰り道、Paddington駅から宿へ向かう途中にあるThe Mughal’sというインド料理屋に寄った。間口はそれほどでもないが奥の深い造りの店で、ちょっと覗いたところでは、客の姿は1人だけだったが、中に入ると奥のほうから話し声が聞こえていた。ベジタリアン・ターリーというセットメニューのようなものを頼んだら、それは今はできないと言われる。ウエイターがベジタリアンか、と尋ねるので、そうだ、と答えたら、いくつかの料理を挙げて勧めてくれた。それでベジタリアンのビリヤニとカレー、マンゴージュースという定番中の定番のようなものを頂くことになった。特別おいしいというわけでもなかったが、ロンドンでの最後の晩餐にふさわしい内容だった。

ところで、インドは私にとっては大切な国である。

学生時代の就職活動の頃、自分自身の将来を描くことができなかった。どんな仕事をしたいとか、どんなふうに生きていきたいというようなことが、全く思い描けなかったのである。それで、とりあえずいろいろな人の話を聴いてみようと思い、少しでも引っ掛かるものがあれば、その企業を訪問して歩いた。その数は軽く50を越えた。仕事というよりも、会った人に対する好感度の高さから、いくつかの企業で最終選考まで進んだが、内定獲得には遂に至らず、当時の正式な就職活動解禁日である10月1日を迎えた。ろくに知りもしない仕事や会社なのに「是非御社で働きたい」などと、私には言えなかったのである。解禁日の時点で採用活動を行っているのは電機メーカー、証券会社のような大量採用を行っていた会社か、独自の採用スケジュールであったマスコミくらいしかなかった。

結局、証券会社に入ったが、それでよかったのかどうか、悶々とした日々が続いた。卒業も決まり、旅行にでも出かけようと思ったが金が無い。金が無くても行けるのは、当時は中国とインドくらいしかなかった。中国語は知らないので、インドなら英語が通じるだろうと思い、インドへ行くことにした。貯金をはたいて航空券を買い、交通量調査のような日銭を稼げるバイトでなんとか旅行に出かけるまでと旅行中の小遣いを稼ぎ、当座を凌いだ。

このブログの1985年2月と3月の分が、その旅行中につけていた日記を清書したものだ。インドを旅行して、結局、生きるというのは目先のことをひとつひとつ片付けていくことの繰り返しでしかない、という自分なりの結論を得た。人は産むことは選択できても生まれることは選べない。今、生きているのなら、その生を生きていくしかないのである。たまたま現代の日本という物質的に恵まれた社会に生を受ければ、そのなかでそれなりに生きるしかなく、仮にインドの片田舎で生を受ければ、やはり、そのなかでそれなりに生きるしかないのである。どちらにしても、その時々の課題があり、それをその時々の自分の能力で解決しながら生活を送る以外に選択の余地は無いのである。あるものはあるがままに受け容れるしかない。当然のことなのだが、その当然がわかっていなかった。それを納得できたのは、インドでの1ヶ月があったからなのである。