昨日一昨日がこちらで過ごす最後の週末だった。最後といっても、何か特別なことがあるわけもない。たまたま、このところ「津軽海峡冬景色」のメロディが頭の中を流れているので、海を見に行くことにした。
英仏海峡まではロンドンから鉄道で1-2時間の距離である。これまでにヘイスティングスとドーバーを訪れたのだが、どちらも楽しいところだった。今の時期は日が短いので、足の便の良いブライトンへ出かけることにした。ここはLondon Bridge駅からちょうど1時間である。
雲ひとつ無い好天で、放射冷却効果満点の極寒のなか、目指す海はあった。冬は太陽が地上をかすめるように移動するので、真昼でも早朝か夕方のようである。ここは古くから保養地として発展したところで、海に面してホテルが立ち並び、今はシャッターが下りているが、海岸には飲食店の屋台が並ぶ。ブライトンの風景というと、必ずと言ってよいほどに桟橋がある。以前から、その桟橋の上の建物が何なのか気になっていたのだが、ゲーセンだった。観光地の人寄せというのは、どこも同じものらしい。
桟橋の風景以外に何の予備知識もなく来てみたのだが、ロイヤル・パビリオンというかつての宮殿には驚いた。その一画だけがインドのようだ。もともとここに王室の夏の離宮があったのだが、ジョージ4世の時代に現在のようなインド建築にしたのだそうだ。入場料8.3ポンドを払って中に入ると、そこは豪勢な中華料理屋のようだ。外観がインドで中身が中国。19世紀の英国王室の、おそらく遊び心なのだろう。尤も、餅は餅屋ではないが、英国人が設計し建設したインド建築なので、本場インド人が造ったもののように長い風雪に耐えるものではなく、完成後10年もしないうちから雨漏りに悩まされることになったという。100年以上経た現在もなお、継続的な補修作業が必要なのだそうで、現に作業中だった。
英国に限らず、欧州全体として19世紀の芸術の世界や中産階級以上の人々の世界には東洋への憧憬のようなものがあったようだ。当時はインドや中国の文物を欧州へ持ち込むこと自体に相応の費用を要したであろうから、単なる美意識というよりも、そうした遠方のものを手しているという自己の経済力を誇示する目的もあっただろう。
夏場に海辺の保養地を訪れるというのも、やはり経済力がなければできないことである。意匠を凝らした宮殿だが、ヴィクトリア女王の時代にロンドンからの鉄道が開通すると、閑静な保養地は一転して賑やかな観光地となり、それを嫌った王室はこの宮殿を売却してしまったという。
保養地の意義、異国趣味、市場経済、繁栄と衰退の歴史、海の景色、これらをつなぎ合わせてみるとこの町になる。
英仏海峡まではロンドンから鉄道で1-2時間の距離である。これまでにヘイスティングスとドーバーを訪れたのだが、どちらも楽しいところだった。今の時期は日が短いので、足の便の良いブライトンへ出かけることにした。ここはLondon Bridge駅からちょうど1時間である。
雲ひとつ無い好天で、放射冷却効果満点の極寒のなか、目指す海はあった。冬は太陽が地上をかすめるように移動するので、真昼でも早朝か夕方のようである。ここは古くから保養地として発展したところで、海に面してホテルが立ち並び、今はシャッターが下りているが、海岸には飲食店の屋台が並ぶ。ブライトンの風景というと、必ずと言ってよいほどに桟橋がある。以前から、その桟橋の上の建物が何なのか気になっていたのだが、ゲーセンだった。観光地の人寄せというのは、どこも同じものらしい。
桟橋の風景以外に何の予備知識もなく来てみたのだが、ロイヤル・パビリオンというかつての宮殿には驚いた。その一画だけがインドのようだ。もともとここに王室の夏の離宮があったのだが、ジョージ4世の時代に現在のようなインド建築にしたのだそうだ。入場料8.3ポンドを払って中に入ると、そこは豪勢な中華料理屋のようだ。外観がインドで中身が中国。19世紀の英国王室の、おそらく遊び心なのだろう。尤も、餅は餅屋ではないが、英国人が設計し建設したインド建築なので、本場インド人が造ったもののように長い風雪に耐えるものではなく、完成後10年もしないうちから雨漏りに悩まされることになったという。100年以上経た現在もなお、継続的な補修作業が必要なのだそうで、現に作業中だった。
英国に限らず、欧州全体として19世紀の芸術の世界や中産階級以上の人々の世界には東洋への憧憬のようなものがあったようだ。当時はインドや中国の文物を欧州へ持ち込むこと自体に相応の費用を要したであろうから、単なる美意識というよりも、そうした遠方のものを手しているという自己の経済力を誇示する目的もあっただろう。
夏場に海辺の保養地を訪れるというのも、やはり経済力がなければできないことである。意匠を凝らした宮殿だが、ヴィクトリア女王の時代にロンドンからの鉄道が開通すると、閑静な保養地は一転して賑やかな観光地となり、それを嫌った王室はこの宮殿を売却してしまったという。
保養地の意義、異国趣味、市場経済、繁栄と衰退の歴史、海の景色、これらをつなぎ合わせてみるとこの町になる。