熊本熊的日常

日常生活についての雑記

なぜか安心

2009年01月28日 | Weblog
帰国して、どこで何を食べても旨いと感じていた。自分の味覚が麻痺しているのではないかと、不安を覚え始めていたが、今日、ようやく御座なりな食事を頂き、なぜか安心した。

平日昼時、オフィス街には昼食を求める人が溢れる。少なくともその時間帯においては、「食」は売り手市場となる。優位に立てば、多少の横暴は通ってしまうものだ。業務用の冷凍食品をベースに同質同量の食事を一度に大量に短時間に供給し、客の回転を高めて、単位時間あたりの売上を極大化する。そんなふうに作られたものが旨いはずもなく、かといって食えない代物でもない。

旨い、というのは単に味覚の問題ではなく、食べた後の満足感に拠るものである。食べた後、なんとはなく寂しい気分になるものがある。ファーストフードのハンバーガーとか立食い蕎麦などがそれにあたる。一応人の手を経てはいるものの、限りなく自動販売機的な仕組みによって供される食べ物だ。食べる、というのは単に栄養補給を行っているのではなく、そこに作り手との交流があるのだと思う。意識するとしないとにかかわらず、人の感覚は目の前にある物理的なモノの背後にあるものも感じ取っているのだろう。

もちろん、世界には飢餓に苦しむ人々が大勢おり、食べるものがあるという幸運に感謝し、口に入るものがあるというだけで十分に満足すべきであるとは思う。しかし、どうせ幸運に恵まれているのなら、それをより大きなものにしたいと思うのが人情だろう。あるものはあるうちに最大限利用する。一寸先は闇なのだから。