熊本熊的日常

日常生活についての雑記

君死にたもうことなかれ

2009年01月26日 | Weblog
帰国して3週間目に入った。東京で気になるのは、鉄道が毎日のように人身事故で遅延することである。WHOが2007年11月現在で入手可能な資料をもとにまとめた国別の自殺率(人口10万あたりの自殺数)によると日本は24.0で9位だ。日本の自殺率は明治の終わり頃から昭和12年まで20前後で推移し、太平洋戦争前後に12乃至15程度に低下した後、昭和30年から33年にかけて25前後まで急上昇した。その後は平成9年まで20をやや割れたあたりで安定していたのだが、それが平成10年以降は25前後で高原状態となっている。

自殺を図る人の多くは鬱病に罹っているとも言われている。死に方は事故死的だが、鬱病の所為で自殺を図るに至ってしまうのであれば、病死とも言える。病気なのだから、命を断つ方法をあれこれ考える余裕などないのかもしれない。しかし、敢えて言わせてもらえば、やはり考えて頂きたい。鉄道、しかも利用者の多い首都圏の通勤線に身を投げたら、その後にどのような事態が起るか想像できないわけではあるまい。状況によって多少の違いはあるだろうが、少なくとも20分、死体が轢断されて散らばってしまえばさらに長い時間、その路線は運行できなくなってしまうのである。首都圏なので代替経路はいくらでもあるのだが、足止めを食った利用者のなかには一刻を争う状況に置かれている人だっているだろう。その遅延のために、人生の歯車が狂ってしまう人だっていないとも限らない。要するに、大勢の人が迷惑を被るのである。

人の一生の間にはどのようなことが起きるかわからない。しかし、ひとつだけ確実なことがある。人は生まれたら、必ず死ぬのである。ついでに言うなら、人は自分の意志で生まれることはできないが、死ぬことはできる。放っておいてもやがて確実に死ぬのだから、なにも慌てることは無いのだ。

生きていれば思うようにならないことはたくさんあるし、そんなことが重なれば生きているのが嫌になることだってあるだろう。しかし、そういう日常の困難をひとつひとう克服したり解決することに生きる喜びがあるのではないだろうか。苦難の無い人生というのは、そんなものがもしあるとすれば、平板でつまらないだろう。目の前の困難がほんとうに解決不可能なものなのか考えてみたらよい。自分の前に大きく立ちはだかっているものが、少し見方を変えてみたら思いの外に薄っぺらだったりするかもしれないし、思い切って体当たりをしてみたら、難なく通り過ぎてしまうかもしれない。

それでもどうしても死んでしまいたいというのなら、他人を巻き込まない方法を考えて欲しい。他人に迷惑をかけない、というのが社会での最低限のルールであるということは人間として最後までわきまえてもらいたい。