熊本熊的日常

日常生活についての雑記

鉄は熱いうちに…

2009年01月15日 | Weblog
以前にも書いたことがあるような気もするのだが、人は無意識のうちに現在の延長に未来があることを前提に行動していると思う。未来があるかないかすらもわからないというのに。

よく保険の営業員がセールストークとして、何歳でかくかくしかじかのライフイベントがあり、何歳頃には何があるから、いくらいくらの保険に入っておいたほうがよい、などと言う。確かに、統計情報としてはそういうことになるだろう。その統計の元になっている母集団が大きければ大きいほど、統計としての説得力は高くなるが、個人の生活にとって統計上の平均値にどれほどの意味があるのだろうか?鉄道が線路の上を、車が道路の上を走るように、個人が統計の平均値の上を生きるわけではない。社会規範という道が無いわけではないが、その時々で人には無数の選択肢がある。

「鉄は熱いうちに鍛えよ」というのは、本来、人は若いうちに鍛錬すべきである、というような意味なのだろうが、そこから発展して、物事を行うには機を逸してはいけない、というような意味でも使われる。「機」というものが与えられるものではなく自分で決めるものだとすれば、この言葉の意味はさらに拡散して、あるものはなんでも利用しよう、という解釈だってできるだろう。未来が不確実であるが故に、未来に備えて貯えを持つべきなのか、現在の充実を追求するべきなのか。現実はそうした諸々の組み合わせだろう。ただ、自分の年齢を考えれば、未来よりも現在という時間をより強く意識したい。

今また勤務先の株価が倒産危険領域に入り、個人的には第二第三の金蔓の確保という課題が急浮上してきた。これまでは海外にいることを口実に、火急の案件であるにもかかわらず具体的な対応を怠ってきたが、もうそういうわけにはいかない。なにができるか、どこまでできるか、それこそ鉄が少しでも熱のあるうちに、手を尽くさなければとは思う。