4日おきくらいの頻度で近所のカイロに通っている。昨年の今ごろから左右のハムストリングが痛むようになり、当初は立つのも座るのも横になるのも苦痛で難渋した。その後10日間ほどで自然に痛みは軽くなり、日常生活に影響があるほどではなくなったが、不快感を抱えながら暮らすようになった。帰国後の生活も落ちついてきたので、対策を考えようと、とりあえずカイロのクリニックへ通院するようになったのである。それで痛みから解放されるとは考えていない。加齢の影響もあるだろうから、この先、身体のあちらこちらの痛みやら違和感やらと付き合い続けるのは、当然のことだろう。
住処からクリニックまでは徒歩25分ほどである。染井霊園のなかを突っ切り、住宅街を抜け、山手線の線路を越えて、通っている。墓地のなかを日常的に横切るというのは初めての経験なのだが、落ちついた雰囲気がたいへん心地よい。特に今の時期は桜が咲いている所為もある。このあたりは江戸時代に染井村と呼ばれていた地域で、植木屋が多かったそうだ。その植木屋衆のなかから江戸時代末期に「吉野桜」という桜が生まれたという。ただ「吉野」というのが奈良の地名と混同され、紛らわしいというので、20世紀初頭にこの地に因んで「染井吉野」と改めて命名されたそうだ。墓地の一画に更地があり、ベンチが置かれたりして広場風にしつらえてある。ここには散った桜の花びらが積もっており、まるでピンクの絨毯を敷き詰めたような風情だ。近所の子供たちも歓声をあげて遊んでいたりする。
クリニック通いはまだ続くと思う。これから墓地の風景が季節に合わせてどのように変化していくのか、なんだか楽しみである。
住処からクリニックまでは徒歩25分ほどである。染井霊園のなかを突っ切り、住宅街を抜け、山手線の線路を越えて、通っている。墓地のなかを日常的に横切るというのは初めての経験なのだが、落ちついた雰囲気がたいへん心地よい。特に今の時期は桜が咲いている所為もある。このあたりは江戸時代に染井村と呼ばれていた地域で、植木屋が多かったそうだ。その植木屋衆のなかから江戸時代末期に「吉野桜」という桜が生まれたという。ただ「吉野」というのが奈良の地名と混同され、紛らわしいというので、20世紀初頭にこの地に因んで「染井吉野」と改めて命名されたそうだ。墓地の一画に更地があり、ベンチが置かれたりして広場風にしつらえてある。ここには散った桜の花びらが積もっており、まるでピンクの絨毯を敷き詰めたような風情だ。近所の子供たちも歓声をあげて遊んでいたりする。
クリニック通いはまだ続くと思う。これから墓地の風景が季節に合わせてどのように変化していくのか、なんだか楽しみである。