日々の生活にパターンを作らないように心がけている。それでも会社勤めをしていれば嫌でもある程度の定型化された行動というものができあがってしまう。行動が定型化すると、それだけ思考が疎かになるような気がして嫌なのである。
木曜はヨガか茶道かのいずれかに通う。ヨガの日は、昼過ぎにヨガをして、その後、昼食を食べる。ヨガの教室を出るのが午後2時半近くなので、昼食の営業を終えている店も少なくない。4月9日付「典型的木曜日」にも書いた通り、なんとなく自分のなかの流れで、そのまま恵比寿駅前のインド料理屋は行き、その後、珈琲専門店でストレートを飲むという形ができつつある。さらにその珈琲専門店では2週間に1回の割合で豆を買うようになりつつある。
私は深煎の豆が好きだ。豆を買うときは、必ず味をみてからにする。前回はマンデリンを購入した。今回はコロンビア。アフリカ奥地の人の肌のような豆の色は神々しくも感じられる。これ以上焙煎すると焦げてしまう、その限界まで焼いた豆の味が好きだ。極端を知らずして中庸を語ることはできない。どのような些細なことであれ、極の極を極めてみるという経験は、生を豊かにする糧になるような気がする。
継続は力とも言う。安易に習慣に流れるのではなく、意識的に多少の負荷を感じながら習慣を形作ることも生きていく上は必要なことだろう。その習慣があることを前提にして、その習慣に反することを敢えて試みるということを意識してみたら、毎日がより楽しくなるかもしれない。
木曜はヨガか茶道かのいずれかに通う。ヨガの日は、昼過ぎにヨガをして、その後、昼食を食べる。ヨガの教室を出るのが午後2時半近くなので、昼食の営業を終えている店も少なくない。4月9日付「典型的木曜日」にも書いた通り、なんとなく自分のなかの流れで、そのまま恵比寿駅前のインド料理屋は行き、その後、珈琲専門店でストレートを飲むという形ができつつある。さらにその珈琲専門店では2週間に1回の割合で豆を買うようになりつつある。
私は深煎の豆が好きだ。豆を買うときは、必ず味をみてからにする。前回はマンデリンを購入した。今回はコロンビア。アフリカ奥地の人の肌のような豆の色は神々しくも感じられる。これ以上焙煎すると焦げてしまう、その限界まで焼いた豆の味が好きだ。極端を知らずして中庸を語ることはできない。どのような些細なことであれ、極の極を極めてみるという経験は、生を豊かにする糧になるような気がする。
継続は力とも言う。安易に習慣に流れるのではなく、意識的に多少の負荷を感じながら習慣を形作ることも生きていく上は必要なことだろう。その習慣があることを前提にして、その習慣に反することを敢えて試みるということを意識してみたら、毎日がより楽しくなるかもしれない。