毎週火曜日に陶芸教室に通っているのだが、来週と再来週は黄金週間のため休みだ。次回までに3週間も間隔が空いてしまうので、作業途上の作品の保管が心配になる。現在、2種類の花瓶を同時進行で製作中で、どちらも成形を終え、削りに入ったところである。あまり乾燥が進んで固くなってしまうと加工しずらいので、少し水分を与えてラップで包んでおくことにした。
日頃、精を出す対象がある人にとっては、休日は貴重で、しかも連休ともなれば楽しいことなのかもしれない。しかし、私のように、毎日が休日、に近い状態にあると、休日は世の中が混雑するだけの迷惑な日でしかない。
ネット上のニュースで目にした記事に、不景気で連休を機に生産調整を実施する製造業も多いと書いたものがあった。休みになる従業員のなかには、休日を持て余して困る、などというインタビュー記事もあった。このあたりの感覚は私には理解できない。私など、毎日が休日だが、それでも時間が足りないと感じている。このブログも毎日書くことを自らに課しているのだが、2月頃からときどき抜けが出るようになってしまって、そこを埋めるのに苦心しているほどである。尤も、「時間が足りない」というのと「忙しい」というのは全く異質の感覚だ。前者は自分がやりたいことが多く、それを実行に移す時間的余裕が無いという状態であり、後者は、自分がやりたいか否かはともかくとして、義務として実行しなければならないことが多くて時間が足りないということである。私の場合、全く忙しくない。
休日というのは、本来は、心身の健康のために、日頃の義務的習慣から自分を解き放してみるためのものだろう。それが、その休日に何事を成すべきか、などと考え出して、窮屈な思いをするというのでは、かえって心身の健康に良くないのではないだろうか。
公序良俗のなかで生活する限り、休みのとりかたくらいは自分自身で決めることができるのが本来の社会の姿だろう。欧米に比べて日本の祝日数が倍以上であるのは暦を見れば明らかだ。なかには主旨が不明瞭な祝日もある。もともと
祝日が多かった所為もあるが、1980年代に深刻化した欧米との間の貿易摩擦への対応策として祝日法が改正されたり、新たな祝日が設けられたりしたという事情は無視できない。休日を増やすということを国民が本当に望むのなら、自分の意志で自分自身の休日を設けることができるような社会にするというのが本来の人間社会ありかたではないかと思う。
連休だからといって、まるでそれが規則であるかのように、混雑した交通機関を利用して行楽地へ出かけ、休日のはずなのに、なぜか疲労困憊してしまうというのは、滑稽でもあり悲惨でもある。
日頃、精を出す対象がある人にとっては、休日は貴重で、しかも連休ともなれば楽しいことなのかもしれない。しかし、私のように、毎日が休日、に近い状態にあると、休日は世の中が混雑するだけの迷惑な日でしかない。
ネット上のニュースで目にした記事に、不景気で連休を機に生産調整を実施する製造業も多いと書いたものがあった。休みになる従業員のなかには、休日を持て余して困る、などというインタビュー記事もあった。このあたりの感覚は私には理解できない。私など、毎日が休日だが、それでも時間が足りないと感じている。このブログも毎日書くことを自らに課しているのだが、2月頃からときどき抜けが出るようになってしまって、そこを埋めるのに苦心しているほどである。尤も、「時間が足りない」というのと「忙しい」というのは全く異質の感覚だ。前者は自分がやりたいことが多く、それを実行に移す時間的余裕が無いという状態であり、後者は、自分がやりたいか否かはともかくとして、義務として実行しなければならないことが多くて時間が足りないということである。私の場合、全く忙しくない。
休日というのは、本来は、心身の健康のために、日頃の義務的習慣から自分を解き放してみるためのものだろう。それが、その休日に何事を成すべきか、などと考え出して、窮屈な思いをするというのでは、かえって心身の健康に良くないのではないだろうか。
公序良俗のなかで生活する限り、休みのとりかたくらいは自分自身で決めることができるのが本来の社会の姿だろう。欧米に比べて日本の祝日数が倍以上であるのは暦を見れば明らかだ。なかには主旨が不明瞭な祝日もある。もともと
祝日が多かった所為もあるが、1980年代に深刻化した欧米との間の貿易摩擦への対応策として祝日法が改正されたり、新たな祝日が設けられたりしたという事情は無視できない。休日を増やすということを国民が本当に望むのなら、自分の意志で自分自身の休日を設けることができるような社会にするというのが本来の人間社会ありかたではないかと思う。
連休だからといって、まるでそれが規則であるかのように、混雑した交通機関を利用して行楽地へ出かけ、休日のはずなのに、なぜか疲労困憊してしまうというのは、滑稽でもあり悲惨でもある。