4月16日付「遅桜」に書いた通り、今日、三井記念美術館へ「遅桜」を観に行った。この美術館は収蔵品の約7割が茶道具なのだそうだ。現在、「三井家伝来 茶の湯の名品」という題で展覧会が開催されている。
「遅桜」という茶入は南宋時代の中国で作られたものだそうだ。想像していたよりもやや大きく、私の握りこぶしをひとまわり膨らましたような印象だ。均整のとれた姿や肩の張り具合が美しい。釉の垂れが良い感じの景色になっている。「大名物」とはこういうものかと納得させる威風堂々たる佇まいだ。
この「遅桜」のように、名物とされる茶器には大陸から渡ってきたものが多い。もちろん、茶器として作られて茶器として伝えられたものも多いが、雑器として作られ、それが茶器に見立てられて日本に渡ってきたものや、雑器として日本に渡ってきたものが、偶然にも高名な人の目にとまり、茶器として使われるようになったものも少ない。
あるものが、その置かれる関係性を変換することによって、全く異なる価値を得るのは興味深い。価値というものが絶対的なものではなく、関係性のなかで規定されることの端的な例だろう。
茶道は、武士とか町人というような、既存の価値観や関係性を超越して、人と人とが一杯の茶を前に対等に交わる非日常的世界として発展したものである。その場限りの夢のような関係性そのものを創造する一つの方便であったかもしれない。雑器が姿形をそのままに名器に生まれ変わるのは、茶の湯の世界のありようを象徴しているかのようだ。
今や茶道は、そうした本来の姿から離れて、単なる形式美の世界になってしまったかのような印象がある。かつてのような身分制や社会の枠組みが変化し、今や好むと好まざるとにかかわらず、我々は市場のメカニズムのなかで平等に暮らしている。その昔、人々の心を愛撫した茶道具が美術館のショーケースに収まってしまったように、その心のありようも昔話の世界に祭り上げられてしまったかのようだ。あらゆるものが金銭という単一の尺度で評価される「平等」な世界は単純明快なようだが、その間尺に合わずに放置されたもののほうがはるかに大きく、その得体の知れないものが人心により大きな影響を与えているのではないだろうか。
時代や場所を超えて流通する形式や価値は誰もが認識できるものであるはずだが、誰もが認識できるものというのは、結局のところ、誰にも理解できないものであるように思われる。
「遅桜」という茶入は南宋時代の中国で作られたものだそうだ。想像していたよりもやや大きく、私の握りこぶしをひとまわり膨らましたような印象だ。均整のとれた姿や肩の張り具合が美しい。釉の垂れが良い感じの景色になっている。「大名物」とはこういうものかと納得させる威風堂々たる佇まいだ。
この「遅桜」のように、名物とされる茶器には大陸から渡ってきたものが多い。もちろん、茶器として作られて茶器として伝えられたものも多いが、雑器として作られ、それが茶器に見立てられて日本に渡ってきたものや、雑器として日本に渡ってきたものが、偶然にも高名な人の目にとまり、茶器として使われるようになったものも少ない。
あるものが、その置かれる関係性を変換することによって、全く異なる価値を得るのは興味深い。価値というものが絶対的なものではなく、関係性のなかで規定されることの端的な例だろう。
茶道は、武士とか町人というような、既存の価値観や関係性を超越して、人と人とが一杯の茶を前に対等に交わる非日常的世界として発展したものである。その場限りの夢のような関係性そのものを創造する一つの方便であったかもしれない。雑器が姿形をそのままに名器に生まれ変わるのは、茶の湯の世界のありようを象徴しているかのようだ。
今や茶道は、そうした本来の姿から離れて、単なる形式美の世界になってしまったかのような印象がある。かつてのような身分制や社会の枠組みが変化し、今や好むと好まざるとにかかわらず、我々は市場のメカニズムのなかで平等に暮らしている。その昔、人々の心を愛撫した茶道具が美術館のショーケースに収まってしまったように、その心のありようも昔話の世界に祭り上げられてしまったかのようだ。あらゆるものが金銭という単一の尺度で評価される「平等」な世界は単純明快なようだが、その間尺に合わずに放置されたもののほうがはるかに大きく、その得体の知れないものが人心により大きな影響を与えているのではないだろうか。
時代や場所を超えて流通する形式や価値は誰もが認識できるものであるはずだが、誰もが認識できるものというのは、結局のところ、誰にも理解できないものであるように思われる。