熊本熊的日常

日常生活についての雑記

徒歩圏

2011年04月02日 | Weblog
木工に使う材料を調達するのに池袋の東急ハンズへ出かけた。ついでに、注文しておいた本を受け取りに西武のリブロにも足を伸ばした。これまでなら、池袋に行くには巣鴨から山手線を利用したのだが、震災をきっかけに、なるべく機械類に頼らない生活を心がけようとの思いが強くなっていることもあり、徒歩で出かけてきた。

以前にも散歩がてら池袋まで歩いたことがあるので、だいたいの距離感は持っているつもりだったが、改めて歩いてみると、夏場以外ならば十分に徒歩圏内の距離であることが確認できた。時間を計ってみたところ、巣鴨の住処を出て池袋駅東口までちょうど30分だ。小石川の橙灯もほぼ同じような距離で、1月の陶芸個展以来、最寄り駅のひとつとして利用している板橋駅までが20分。先日、勤め先まで歩いたときは1時間15分。夏以外の時期の徒歩圏を1時間程度の距離とすると、かなり広い地域になることがわかる。何年か前には青梅街道を新宿から青梅まで歩いたことがあるが、このときは7時間35分だった。さすがにこれほどの距離を日常生活の徒歩圏にはできないが、歩くという自分の身体感覚を認識するには、たまに遠くまで足を伸ばすことも必要だろう。

歩くことで身につくものは、身体感覚以外に土地勘もある。自分が生活している場所がどのようなところなのかということを知ることは、そこで暮らす自分という人間の何事かを知ることでもある。如何なる理由があって住処を選んだのか、その選択基準の背後にあるのは何か、その基準を自分が何故設けたのか、といったことが暮らしている場所を知ることで見えてくるような気がするのである。それは、服装などの身につけるものの趣味や、生活のなかで使うものを選ぶ際の判断基準にも通じるものだろう。住居、ましてや賃貸なら、通勤の利便性と家賃との兼ね合いなどで選んでいるかのように見えて、それ以外の自分の価値観や世界観が無意識のうちに反映されていたりするものなのではないだろうか。持ち家となると、また違った基準になるのかもしれないが、個人的には自分が住み続けるつもりで購入した不動産は無いので、よくわからない。ただ、「住み続ける」ことを考えること自体、その人の価値観を饒舌に語っているのではないだろうか。

以前にも何度か話題にしているが、私が今の住処を選んだのは、場所としては勤務先と老親が暮らす実家への便が良いこと、洪積台地であること、の2点が主要な条件で、後は物件との縁である。洪積台地に関しては中沢新一の「アースダイバー」を参考にした。

それにしても、東京は坂が多い。巣鴨から池袋までは谷越えだった。