個人の生活は当人が自覚している以上に豊饒なものだ。「豊饒」という言葉を使うと、良いことばかりのように聞えるかもしれないが、内容が詰まっているという意味だ。この作品は在日家族のある時期を記録したドキュメンタリーである。自分には縁遠い世界ということもあり、在日の人々がどのように自分の「祖国」を選択したのか、この作品を観るまで知らなかった。本作の実質的な主人公とも言える父は済州島の出身で、15歳で日本に渡り終戦を日本で迎えた。北朝鮮には足を踏み入れたことがなかったのだが、自分の「祖国」として「北」を選択した。それは彼の思想や心情や選択当時の朝鮮半島情勢に基づく意思決定であって、生まれ故郷という意味での「祖国」ではないのである。母は日本生まれの在日2世だ。この夫婦には3人の息子と1人の娘があり、3人の息子は1971年に北朝鮮へ「帰国」した。この作品は日本に残った娘の手によって制作された。「映画」という形態だが、娘が親を撮影したホームビデオでもある。親子という距離感であるからこそ描くことのできる現実があり、社会的あるいは政治的な特殊事情を超えて、そこにある家族という関係が持つ普遍性のようなものが観るものを惹きつける。在日であるということ、北か南かの選択、日本での様々な差別など、日本人として生まれた人よりも政治や歴史に翻弄され苦悩した度合いは大きいかもしれないが、そこに在る最大の問題意識は結局のところは「自分とは何者か」という程度の差こそあれ誰もが抱えていることではないだろうか。
映像のなかで、父も母もよく笑っている。それは撮影しているのが娘だからという安心感や、そこから来る照れがそうさせているのだろう。しかし、その笑顔の向こうには青年期に日本占領下で苦渋に満ちた生活を余儀なくされていた現実があり、それらを乗り越えてきたことへの自信や誇りの現れなのかもしれない。
いつの日か朝鮮半島へ「帰国」するつもりで、息子たちを先に「帰国」させたのだろう。自分が帰る場所は、現実の暮らしがある今いる場所ではないと決めたのだろう。その帰るべき場所を選ぶとき、何故、自分の故郷がある南ではなく北にしたのか。映像のなかで、父は社会主義に未来を見た、というようなことを語っている。自分の主義主張と当時の北の体制との間に近いものを感じたのかもしれない。しかし、私は賭けに近い感覚だったのではないかと想像している。第二次大戦で日本が負け、朝鮮半島にはふたつの独裁国家が生まれた。そこで朝鮮半島から日本に来ていた人々が取る選択肢には、(1) 社会主義国家を標榜する北の独裁政権、(2) 米国の支援を受けた南の独裁政権、(3) さんざん苦汁をなめさせられた日本への帰化、(4) 朝鮮半島でも日本でもない第三国で新たな生活を興すこと、という四択が与えられることになったのではないだろうか。
まず、北は「社会主義」という大義名分があり、ロシア革命によって誕生して半世紀も経ていない新たな政治体制に希望を感じるのは不思議なことではない。南は軍事独裁政権で当時の超大国である米国の後ろ盾があるとはいいながらも不安定な印象がある。日本は敗戦で混乱状況にあり、新たに構築されるであろう社会秩序のなかで、それまでのような被占領地域出身という立場は覆るかもしれないが、いかんせんこの先どうなるかわからない。故郷でもない生活基盤のある日本でもない土地で心機一転、というのは不安が大きすぎて現実味を感じにくいものだ。四択とはいいながら、簡単に選ぶことのできるようなものではない。ちなみに、敗戦を日本で迎えた在日の人々の6割が北を選んだのだそうだ。社会主義がどうこうというよりも、当時の情勢としては、それが最も手堅いことのように感じられたというのが本音ではないかと思うのだがどうだろうか。
自分の帰る場所、拠って立つ場所が決まれば、あとはそれを確かなものにするべく思考し行動することで自分というものを確立しようとするのが人としての自然だろう。映像のなかで父の部屋の書棚に金日成著作集が全巻並んでいる。映像なので細かいところまでは見えないのだが、繰り返し手にとって読んだというような様子はなく、家具の一部のような風情だ。映像のナレーションで、父は総連の「幹部」とされていたが、具体的にどのような地位であったかは映像からはわからない。それでも、先に「帰国」していた息子たちとも長い期間を経て再会を果たし、以降、何度か北を訪れる機会に恵まれているような立場であるということだろう。また、どの程度の意味があるものなのか知らないが、たくさんの勲章を受章している。それほど熱心に祖国同胞のために尽力したということだろう。それは政治思想とか主義主張というようなものよりも、むしろ、自分の役割意識というような人としての本能に近い部分での行動のように感じられる。自分が置かれた社会が激変するなかで、自分のありようを必死で模索し、その結果としての今があるのだろう。70歳を過ぎ、そのお祝いの席を平壌で設け、マイクの前での挨拶では通り一遍の公式見解を語ったものの、心情としては一段落ついたとの思いがあったのではないか。その後の映像で娘の国籍について「南でもいい」と語るところがある。ナレーションでは、北に対して批判的な物言いは一切認めず、子供たちの国籍について北以外はありえないというのが、それまでの父だったのだという。北は彼にとっては自分そのものだったのだろう。「自分」を構成する一部でもある家族が、その「自分」に反する生き方を選ぶことは、彼自身の人生や存在を否定することでもあったのだろう。
人生の黄昏時を迎え、なお十分な思考能力があれば、人は嫌でも自分の歩いてきた道を振り返るものだ。目を背けてきた現実を見直す余裕も生まれるだろうし、自分の誤りだと思うことも素直にそう認めることができるようになる。過ぎてしまったことを悔やむのは、それを修正することができないという点では意味がないが、自分というものを確認するという点では大きな意味があると思う。生きている限り、人は不確実性から逃れることはできない。「絶対」だの「事実」だの「真理」だのと軽々しく口にする人が多いが、そんなものはどこにもないのである。物事を「絶対」だの「正しい」だのと限定する見方に凝り固まってしまうと、人生は閉塞感に満ちたものに感じられるのではないか。後悔ばかりで一歩も前に踏み出せないというのも寂しい人生だが、見たくない現実にも目をむけ、認めたくない過去も反省し、自分の置かれた場所を見直すという作業を繰り返していかなければ、自分にとっての世界はすぐに狭く不毛なものになってしまう。それができるには、自分にとって不都合なものも含めて現実を現実として受け容れる度量がないといけない。度量は持って生まれた性格に左右されるところもあるだろうが、それを大きくするのは結局のところ、その人の知性と感性なのだと思う。70余年もの思考を重ねた父の知性は、娘が自分の過去に反する生き方を選んでも、それはそれとして受け容れることのできる度量を作ったということではないだろうか。
暗黙のうちに未来が過去や現在の延長線上にあると信じている人が圧倒的に多いだろうが、個人にとっての時間は容赦なく突然断絶するのである。自分が信じた幻想世界のなかだけで人生を完結させることができるなら幸福なことだろうが、生憎、人は他人と関わることなしに生きることはできないし、震災の例を持ち出すまでもなく、自分だけではどうしようもない現実のなかを生きている。そう考えれば、生きるというのはなかなか過酷なことである。繰り返しになるが、映像のなかで父も母もよく笑っている。あの笑いは、過酷な人生を生きてきた自信と誇りから出てくるもののように思う。私の人生があとどれほど残っているのか知らないが、笑って最期を迎えたいものだ。
映像のなかで、父も母もよく笑っている。それは撮影しているのが娘だからという安心感や、そこから来る照れがそうさせているのだろう。しかし、その笑顔の向こうには青年期に日本占領下で苦渋に満ちた生活を余儀なくされていた現実があり、それらを乗り越えてきたことへの自信や誇りの現れなのかもしれない。
いつの日か朝鮮半島へ「帰国」するつもりで、息子たちを先に「帰国」させたのだろう。自分が帰る場所は、現実の暮らしがある今いる場所ではないと決めたのだろう。その帰るべき場所を選ぶとき、何故、自分の故郷がある南ではなく北にしたのか。映像のなかで、父は社会主義に未来を見た、というようなことを語っている。自分の主義主張と当時の北の体制との間に近いものを感じたのかもしれない。しかし、私は賭けに近い感覚だったのではないかと想像している。第二次大戦で日本が負け、朝鮮半島にはふたつの独裁国家が生まれた。そこで朝鮮半島から日本に来ていた人々が取る選択肢には、(1) 社会主義国家を標榜する北の独裁政権、(2) 米国の支援を受けた南の独裁政権、(3) さんざん苦汁をなめさせられた日本への帰化、(4) 朝鮮半島でも日本でもない第三国で新たな生活を興すこと、という四択が与えられることになったのではないだろうか。
まず、北は「社会主義」という大義名分があり、ロシア革命によって誕生して半世紀も経ていない新たな政治体制に希望を感じるのは不思議なことではない。南は軍事独裁政権で当時の超大国である米国の後ろ盾があるとはいいながらも不安定な印象がある。日本は敗戦で混乱状況にあり、新たに構築されるであろう社会秩序のなかで、それまでのような被占領地域出身という立場は覆るかもしれないが、いかんせんこの先どうなるかわからない。故郷でもない生活基盤のある日本でもない土地で心機一転、というのは不安が大きすぎて現実味を感じにくいものだ。四択とはいいながら、簡単に選ぶことのできるようなものではない。ちなみに、敗戦を日本で迎えた在日の人々の6割が北を選んだのだそうだ。社会主義がどうこうというよりも、当時の情勢としては、それが最も手堅いことのように感じられたというのが本音ではないかと思うのだがどうだろうか。
自分の帰る場所、拠って立つ場所が決まれば、あとはそれを確かなものにするべく思考し行動することで自分というものを確立しようとするのが人としての自然だろう。映像のなかで父の部屋の書棚に金日成著作集が全巻並んでいる。映像なので細かいところまでは見えないのだが、繰り返し手にとって読んだというような様子はなく、家具の一部のような風情だ。映像のナレーションで、父は総連の「幹部」とされていたが、具体的にどのような地位であったかは映像からはわからない。それでも、先に「帰国」していた息子たちとも長い期間を経て再会を果たし、以降、何度か北を訪れる機会に恵まれているような立場であるということだろう。また、どの程度の意味があるものなのか知らないが、たくさんの勲章を受章している。それほど熱心に祖国同胞のために尽力したということだろう。それは政治思想とか主義主張というようなものよりも、むしろ、自分の役割意識というような人としての本能に近い部分での行動のように感じられる。自分が置かれた社会が激変するなかで、自分のありようを必死で模索し、その結果としての今があるのだろう。70歳を過ぎ、そのお祝いの席を平壌で設け、マイクの前での挨拶では通り一遍の公式見解を語ったものの、心情としては一段落ついたとの思いがあったのではないか。その後の映像で娘の国籍について「南でもいい」と語るところがある。ナレーションでは、北に対して批判的な物言いは一切認めず、子供たちの国籍について北以外はありえないというのが、それまでの父だったのだという。北は彼にとっては自分そのものだったのだろう。「自分」を構成する一部でもある家族が、その「自分」に反する生き方を選ぶことは、彼自身の人生や存在を否定することでもあったのだろう。
人生の黄昏時を迎え、なお十分な思考能力があれば、人は嫌でも自分の歩いてきた道を振り返るものだ。目を背けてきた現実を見直す余裕も生まれるだろうし、自分の誤りだと思うことも素直にそう認めることができるようになる。過ぎてしまったことを悔やむのは、それを修正することができないという点では意味がないが、自分というものを確認するという点では大きな意味があると思う。生きている限り、人は不確実性から逃れることはできない。「絶対」だの「事実」だの「真理」だのと軽々しく口にする人が多いが、そんなものはどこにもないのである。物事を「絶対」だの「正しい」だのと限定する見方に凝り固まってしまうと、人生は閉塞感に満ちたものに感じられるのではないか。後悔ばかりで一歩も前に踏み出せないというのも寂しい人生だが、見たくない現実にも目をむけ、認めたくない過去も反省し、自分の置かれた場所を見直すという作業を繰り返していかなければ、自分にとっての世界はすぐに狭く不毛なものになってしまう。それができるには、自分にとって不都合なものも含めて現実を現実として受け容れる度量がないといけない。度量は持って生まれた性格に左右されるところもあるだろうが、それを大きくするのは結局のところ、その人の知性と感性なのだと思う。70余年もの思考を重ねた父の知性は、娘が自分の過去に反する生き方を選んでも、それはそれとして受け容れることのできる度量を作ったということではないだろうか。
暗黙のうちに未来が過去や現在の延長線上にあると信じている人が圧倒的に多いだろうが、個人にとっての時間は容赦なく突然断絶するのである。自分が信じた幻想世界のなかだけで人生を完結させることができるなら幸福なことだろうが、生憎、人は他人と関わることなしに生きることはできないし、震災の例を持ち出すまでもなく、自分だけではどうしようもない現実のなかを生きている。そう考えれば、生きるというのはなかなか過酷なことである。繰り返しになるが、映像のなかで父も母もよく笑っている。あの笑いは、過酷な人生を生きてきた自信と誇りから出てくるもののように思う。私の人生があとどれほど残っているのか知らないが、笑って最期を迎えたいものだ。