平塚市美術館で開催中の「画家たちの二十歳の原点」を観てきた。1866年生まれの黒田清輝から1973年生まれの石田徹也に至る54人の画家の20歳前後の作品ばかり集めた展覧会だ。今回取り上げられている作家のなかには、長命で20歳以降の活動のなかで作風が大きく変化する人もいれば、夭折してしまい原点が終点という人もいる。生まれた環境も様々なので、その人の個性だけでなく、その人が生きた時代の様相やその時代のなかにおける画家の位置付けというようなものも作品に反映されているように感じられる。そういう意味では、自分と同時代の生きている人たちの作品に惹かれるものを感じた。とりわけ興味を覚えたのは石田徹也の「燃料補給のような食事」という作品だ。私が感じている世の中のイメージと重なる世界観をそこに見た思いがした。
私は美術の専門家ではないので、石田の作品が絵画としてどうなのかということはわからないし、そんなことはどうでもよい。「燃料補給」を見て、とりわけそこに描かれている客の姿を見て、「そうなんだよなぁ」とひとりで合点してしまった。そうなるといてもたってもいられなくなり、美術館からの帰りに池袋の大型書店に立ち寄って石田の作品集を立ち読みした。よほど買ってしまおうかとも思ったのだが、けっこうな値段であったのと、その書店の棚に数冊並んでいて、発行が昨年5月だったので慌てなくても絶版になることもないだろうと考え、とりあえず自分が冷静になるための時間を設けることにした。
石田は2005年に「踏切事故にあい逝去」したのだそうだ。亡くなったとき、彼が暮らしていたアパートの部屋には180点ほどの作品が残されていたという。どの作品も完成した状態であり、描きかけのものはひとつもなかったのだそうだ。それは要するに自殺ということだろう。手がけた作品を完成させてから踏み切りへ向かったという状況が明らかなのだから、そこに死を覚悟しているということが示唆されていると見るのが自然なのだろうが、「自殺」と断定するには遺書が遺されていないといけないらしい。そういう馬鹿馬鹿しい官僚制的決まりごとのなかにある我々の生活の現実も、彼の作品世界と被るように思われて、妙に感心してみたりする。
亡くなったという事実があるから、そう思うのかも知れないが、生前最後に発表された「無題」という作品は遺書そのものであるように見える。全体として白を基調にした画面で、作者自身と思われる若い男性が机に向かって、ぼんやりしている。手元には何も書かれていない画用紙と絵具や筆記具が収められていたはずの空っぽのケースがある。もう描くことがなにもない、描くためのものもなにもない、という静かな絶望を描いているかのようだ。これは展覧会ではなく、書店で手にした作品集で見たものだ。
私は美術の専門家ではないので、石田の作品が絵画としてどうなのかということはわからないし、そんなことはどうでもよい。「燃料補給」を見て、とりわけそこに描かれている客の姿を見て、「そうなんだよなぁ」とひとりで合点してしまった。そうなるといてもたってもいられなくなり、美術館からの帰りに池袋の大型書店に立ち寄って石田の作品集を立ち読みした。よほど買ってしまおうかとも思ったのだが、けっこうな値段であったのと、その書店の棚に数冊並んでいて、発行が昨年5月だったので慌てなくても絶版になることもないだろうと考え、とりあえず自分が冷静になるための時間を設けることにした。
石田は2005年に「踏切事故にあい逝去」したのだそうだ。亡くなったとき、彼が暮らしていたアパートの部屋には180点ほどの作品が残されていたという。どの作品も完成した状態であり、描きかけのものはひとつもなかったのだそうだ。それは要するに自殺ということだろう。手がけた作品を完成させてから踏み切りへ向かったという状況が明らかなのだから、そこに死を覚悟しているということが示唆されていると見るのが自然なのだろうが、「自殺」と断定するには遺書が遺されていないといけないらしい。そういう馬鹿馬鹿しい官僚制的決まりごとのなかにある我々の生活の現実も、彼の作品世界と被るように思われて、妙に感心してみたりする。
亡くなったという事実があるから、そう思うのかも知れないが、生前最後に発表された「無題」という作品は遺書そのものであるように見える。全体として白を基調にした画面で、作者自身と思われる若い男性が机に向かって、ぼんやりしている。手元には何も書かれていない画用紙と絵具や筆記具が収められていたはずの空っぽのケースがある。もう描くことがなにもない、描くためのものもなにもない、という静かな絶望を描いているかのようだ。これは展覧会ではなく、書店で手にした作品集で見たものだ。