熊本熊的日常

日常生活についての雑記

金曜深夜の微妙

2011年04月22日 | Weblog
新入社員を迎える時期の所為なのか、震災の影響があるものの、大きな波動としては依然として景気が回復基調にあるということなのか、このところ金曜深夜の駅や電車の車内は以前に比べて人が多くなり、嘔吐物も多くなった。嘔吐物に関して言えば、2009年から2010年前半にかけては、見かけることが稀で、たまに見かけても水分が多く固形物の姿があまりないものだった。酔って吐いたというよりは、病気で吐いたかのような弱々しいものだった。それが近頃のものは固形物の形跡のある、ごくありふれたものになってきた。吐くほど飲み食いする余裕のある人が増えてきたというのは確かなことのようだ。

私は酒を嗜まないが、その昔は営業職であったこともあり、付き合いで多少頂くことはあった。それでも、自分の限度というものは把握しており、また、すぐに顔に出るタイプでもあるので同席している人にもそれとわかるので無理強いされることもなく、社会人になってから吐くほど飲んだことは一度もない。尤も、接待の席で居眠りをしてしまい、後で先輩社員に叱られたことは一度ある。一度だけということもあって忘れようにも忘れられない。私が接待する側で、当方3名、相手方3名だった。相手は生命保険会社の方々だ。場所は六本木。料理は河豚だった。河豚と言えば鰭酒で、小さなコップで1杯だけだったが、これでノックアウトだ。掘り炬燵型の席の個室で、当時の私は入社一年目だったので当然に末席で、うとうとし始めると隣にいた先輩社員がテーブルの下で盛んに私の足を蹴飛ばすのだが、睡魔を追い払うことができなかった。そんな調子なので、そもそも吐くほどの酒量を摂取することができない性質なのである。

だから私には酒飲みの気持ちが全く理解できず、嘔吐を催すほど大量の酒をどのようにして腹におさめることができるのかもわからない。さらに不可思議なのは、飲んで食べての後に「シメ」で茶漬けだの蕎麦だのを食べるという儀式にも似た行為だ。茶漬けくらいならまだしも、ラーメンという猛者もいるというから驚きだ。若くて代謝が活発な時期ならそれでも消化されるのだろうが、人間の身体というのは20代の後半にもなれば誰でも代謝のピークは過ぎる。そういう身体で無謀な飲食をすれば、それが収まりきらずに溢れ出すのは自明のことだ。古代ローマの貴族たちは吐くほど食べるのがステイタスでもあったそうだが、現代日本には吐くことがステイタスというような考えは無いだろう。吐くほど飲み食いするのは単純に節操が無いというだけのことだ。あるいは酔ったときに介抱してくれるような友人や同僚に恵まれていないということもあるかもしれない。たまに介抱されている人を見かけるが、どちらかといえば駅のホームや電車のなかでひとり酔いつぶれ、その人を避けるように周囲の人々が距離を置いているというほうが多い。

深夜の駅や電車で酔客や嘔吐物が増えるのは、景気回復の象徴として喜ぶべきことなのか、孤独で節操の無い人間が増えたと捉えて憂うべきことなのか、判断の難しい現象だ。