熊本熊的日常

日常生活についての雑記

ひとりめし

2011年04月27日 | Weblog
先日、kifkifの原さんがブログでムックに紹介されたことを書いていたので、その本を入手してみた。レストランなどの紹介記事ばかりを集めた本を手にするのは十数年ぶりではないだろうか。かつて営業の仕事していた頃は、接待をするのにこうした本を見ながら頭を悩ませたものだった。まだ社会人になって2年目から3年目にかけての頃で、店のセッティングは私が受け持つのだが、上司にも同席してもらうのである。客との話はもっぱら上司の役割で、接待そのものについてどうこう言われることはなかったのだが、店については、問題がなければ、翌朝、「お、熊本君、昨夜はごくろうさん。」との一言をいただき、問題があると、「お、熊本君、昨夜の店な、あれ、ちょっとなぁ。」と、やはり一言いただいたものだった。業界ではちょっと有名な人だったが、当人は世評などには無頓着で飄々としていた。若造の私にとっては、働きやすい上司だったが、その後どうされておられるか、今となってはわからなくなってしまった。

さて、そのkifkifが紹介されている本だが、紹介されている店は歴史のあるところが多いように見えるが訪れたことのない店ばかりだ。Kifkifuを含めわずか数軒ほどしか知っている店がない。特に近頃はこういうものに載らなさそうな店を志向しているので、余計に縁遠いように感じられる。尤も、店のほうからすれば、商売なので宣伝広告は必要であり、こうしたメディアに取り上げられることは基本的に歓迎すべきことなのだろう。ただ、果たして商売繁盛ならそれだけでよいのだろうか。もちろん、生活が成り立たないようでは問題外だが、その基本はできているという上のことだ。

24日の毎日新聞のコラム「余禄」がおもしろかった。ドナルド・キーンさんが日本に帰化するという話題を扱ったものだ。そこに書かれているのは、要するに客なら誰でもよいのか、ということだ。私の知っているカフェでやたらと敷居の高いところがある。場所はわかりにくく、場所がわかっても、もともと住居だったところなので入口を開けるのに少し緊張するようなところだ。それでも、そこでいただくコーヒーは注文ごとに豆を挽き、店主がネルドリップで淹れる。食べ物は菓子とサンドイッチのようなものだが、全て手作りだ。そして、どれもとても旨い。その店主になぜそういう店にしたのか尋ねてみたところ、来てくれた客にゆっくりと寛いでいって欲しいからだという。来てくれた客にはできるだけのことをしたいし、しかし、人手は自分だけなので、客数はこうして絞るしかないというのである。考え方はいろいろで、正解というものはない。ただ、誰もがわかることと言うものは無いと思う。わかる人とだけわかりあいたいという気持ちは、私にはよくわかる。

余禄:ドナルド・キーンさん