熊本熊的日常

日常生活についての雑記

一手間の効用

2011年04月05日 | Weblog
コーヒーを抽出するときに使っているペーパーフィルターを切らしてしまったので、ネルで淹れた。紙とネルというフィルターの材質の違いで、これほど味が変わるものかと驚いてしまう。何度もコーヒーのことはこのブログの話題に取り上げているが、私はコーヒーが大好きで、抽出道具も普段使っているペーパードリッパーのほかに、ネルの袋、プレス、サイフォン、マキネッタなどを持っている。その時々によって自分自身の好みも微妙に変化するのだが、コーヒー豆のポテンシャルを最大に引き出すのはネルドリップだと思っている。しかし、後片付けや袋の衛生管理が面倒な気がして、これまでは主にペーパードリップで淹れていた。改めてネルを使ってみると、やっぱりペーパーとは道具としての格が違うということがわかる。昨日までと同じ豆とは思えないくらい深くまろやかな味になる。ペーパーでも十分美味しいと思っていたのだが、美味しさの深さというか厚みというか、上手く表現できないのがもどかしいくらいに、違ったものになるということだ。

面倒、と言ったところで、たいした手間ではない。それまでなら、フィルターごと捨ててしまっていたのを、中身だけ捨ててフィルターを洗えばよいだけのことだ。抽出そのものは基本的に同じなので、手間といっても片づけが少し増えるだけのことなのである。しかも、使った道具や食器を片付けるときに洗うものが限界的に増加するだけのことでしかない。なぜ、いままでそんな些細な手間を惜しんでいたのだろうと不思議に思われるほどだ。コーヒーを淹れることに限らず、自分の生活のなかに似たようなことがありはしないか、改めて点検しないといけない。そういう僅かな違いを積み重ねることこそ、生活のほんとうの豊かさだと思うからだ。