熊本熊的日常

日常生活についての雑記

小石川植物園にて

2011年04月03日 | Weblog
散歩がてら小石川植物園に出かけてきた。昨日の穏やかな陽気とは打って変わって、曇天の寒空だったが、ソメイヨシノも木によっては五分咲きくらいだった。寒いのなんのと言っていても、季節は確実に巡っているらしい。

寒くても花が咲けば花見に集まる人はいる。植物園内でも花見のグループがいくつかあった。桜の時期は子供たちの春休みでもあるのだが、小学校低学年対象の自然観察会と思しき集団も園内を賑やかに移動している。こうした長閑な様子も春ならではのことだろう。尤も、長閑に感じられるのは、今日が寒くて人が少ない所為なのかもしれない。もっと陽気が良くて混雑していたら、違った雰囲気なのだろう。

この植物園には関東大震災のときに3万人の人々が避難してきていたそうだ。当時の敷地面積と現在のそれとが同じなのかどうなのかわからないが、同じだとしたらたいへんな混雑だったはずだ。もし、先日の地震の震源がもっと南で、激震の中心が東京だったとしたら、ここはやはり避難所になるのだろうか。子供が小学校に上がる前、ほとんど毎週末のように都内の大きな公園に出かけていた。受験対策の一環で、子供に季節感を体感させるためだ。この小石川植物園にも勿論来たことがあるが、赤塚公園、井の頭公園、浮間公園、葛西臨海公園、砧公園、小金井公園、石神井公園、城北中央公園、神代植物公園、善福寺公園、舎人公園、光が丘公園、代々木公園、新宿御苑、昭和の森、挙げだしたら限がないほどだ。どこもそこそこに大きいのだが、都区内にあるものは一部を除いて中途半端な規模という印象が否めない。土地利用として、経済性という観点からは、都心に広大な公園を設けるのは非合理であるとは思う。しかし、ロンドンで暮らしていたときに、ハイド・パーク、リージェント・パーク、キュー・ガーデンといったところを何度か訪れてみて、都心だから大型公園は無理という理屈は無理があるように思えてきた。経済性を追求するのは市場社会の参加者たる民間の個人や法人であり、公的機関というのは経済性では律することができないけれど公共の福祉には大いに寄与するというようなことを公権力によって実現するものだろう。皇居の一般開放区域を現在の倍くらいに拡大するとか、先に列挙したような公園をそれぞれ一回り大きくするとか、市街域が大きい東京だからこそ巨大で誰もが利用できる緑地を設けることで、生活環境改善と安全対策に万全を期するというような施策はできないものなのだろうか。