子供と鎌倉へ出かけてきた。子供のほうは学校の遠足で来たことがあるのだが、私は鎌倉を訪れるのが初めてだ。今日は鶴岡八幡宮で震災復興祈願のための流鏑馬が行われる所為なのか、朝10時過ぎに鎌倉駅に着くとかなりの人出だった。尤も、私たちが今回ここを訪れたのは流鏑馬を観るためではない。開館60周年を迎えた県立近代美術館の建物と展示を観るのが主たる目的だ。
鎌倉の県立近代美術館は日本で最初のコルビュジェ・スタイルの建物であり、日本で最初の公立近代美術館でもある。設計はコルビュジェのもとで修行をした板倉準三。写真では何度も目にしたことがあったが、初めて実物を前にすると、思いのほか小さい印象だ。「美術館」という言葉が持つ自分のなかでの語感と、目の前の実物との間に微妙なずれがある。しかし、60年前の日本では、これでも十分に野心的なスケールで、しかも「無限発展」というコンセプトを持って増築を前提にした造りであることを考えれば、シンプルな姿のなかにも成長を暗示する雰囲気を感じ取ることもできる。外壁は1階部分が大谷石で2階はアスベスト・ボードだ。自然物と人工物との違いがあるだろうが、アスベスト・ボードの質感の弱さとか経年変化の様子は、あまり好きではない。窓や扉のスチールの質感は、昔の学校のようで懐かしさを覚えた。パティオと晴天の所為もあるだろうが、内部に居ると気持ちがよい。特に外気に触れるテラスの居心地がよかった。
昼食のために一旦市街へ出る。初めての土地なので当ては全くなかったが、小町通りを鎌倉駅のほうへ向かって歩いていると、感じの良いイタリアンがあったので入ってみた。それほど大きくないレストランだが、店内は予約客でほぼ満席に近く、飛び込みの私たちは階段下の小さな席に案内された。ランチは2種類のコースだけで、その違いはメインを魚か肉かの一品にするか、魚と肉の二品にするかの違いだ。肉のほうは標準品が牛タンで割り増し料金の品は牛の三角バラだった。私たちは共に牛タン一品のコースのほうを選んだ。アミューズが蕪の冷製スープ、前菜は太刀魚のカルパッチョ、パスタはカラスミ、メインが牛タンで、デザートはココナツミルクのソルヴェ、それとエスプレッソ。野菜は地元の鎌倉野菜なのだそうだ。どの皿もたいへん美味しく、観光地だというのに店内が常連客の予約で埋まっていることに納得した。料理も旨いが器もよかった。個人宅で使うならまだしも、店で使うには扱いにくいのではないかと思われるような手作りの陶器で、それが料理とよく調和しているのも素晴らしい。店主の気持ちと腕を十二分に堪能できる店だ。店の名前はラ・ルーチェ。イタリア料理店としてはよくある名前で、ネットで検索すればいくらでも出てくるが、鎌倉ではここだけのようだ。
昼食の後、国宝館に行こうとしたが、流鏑馬の見物客で近づくことができなかったので、近代美術館の別館へ向かった。こちらは本館とは別の設計事務所だが、周囲の風景と溶け込んでいる佇まいは本館と同様である。ここでキュレーター・トークを聴く。本館は収蔵品のなかから選ばれた作品群の展示で、別館は新たに収蔵品に加わった作品の展示だ。この美術館の収蔵品は寄贈作品が多いのだそうだ。県立美術館なので神奈川県に縁のある作家のものが多いが、なかには麻生三郎のように奥さんとの最初のデートの場所がここだったという「大切な思い出の場所」ということで作品やコレクションの一部を遺族が寄贈した例もあるという。本館も別館も、地方の美術館にありがちな中途半端感は否めないのだが、それでも良質なコレクションに恵まれていると思う。にもかかわらず、街中の人出のわりに美術館の来館者が少ないのを目の当たりにすると、運営されている方々の御苦労は並々ならぬものがあるのだろうと想像してしまう。都内の一部の美術館のように有象無象が徘徊する場所になってしまうのも考えものだが、地域の人々、特に若い人たちの関心を喚起するような場所であって欲しいものだ。
別館を出て北鎌倉方面へ歩くと、ほどなく建長寺の前に出る。建長寺はいかにも鎌倉の寺という風情だ。「鎌倉の寺」というのは自分のなかの勝手なイメージでしかないのだが、起伏に富んで緑の深い場所にあって、三門も本堂も大きなものが並んでいる、というのが鎌倉の寺であるように何故か思うのである。鎌倉の他の寺は見たことがないのだが、ここはそういう自分のなかの「鎌倉」にぴったりの場所だ。
横須賀線の線路に面して鎌倉古陶美術館というのがある。古民家風の建物だが、今日は古陶ではなく、現代の作家による猫をモチーフにした作品展が開催されていた。
北鎌倉駅は小さな駅舎と、所々に屋根がかかる直線ホームだけの簡素なものだ。簡素というだけなら、そんな駅はいくらでもあるのだが、この駅の面白いところはホームが異様に長く見えることだ。そのバランスの悪さが面白いのである。
鎌倉の県立近代美術館は日本で最初のコルビュジェ・スタイルの建物であり、日本で最初の公立近代美術館でもある。設計はコルビュジェのもとで修行をした板倉準三。写真では何度も目にしたことがあったが、初めて実物を前にすると、思いのほか小さい印象だ。「美術館」という言葉が持つ自分のなかでの語感と、目の前の実物との間に微妙なずれがある。しかし、60年前の日本では、これでも十分に野心的なスケールで、しかも「無限発展」というコンセプトを持って増築を前提にした造りであることを考えれば、シンプルな姿のなかにも成長を暗示する雰囲気を感じ取ることもできる。外壁は1階部分が大谷石で2階はアスベスト・ボードだ。自然物と人工物との違いがあるだろうが、アスベスト・ボードの質感の弱さとか経年変化の様子は、あまり好きではない。窓や扉のスチールの質感は、昔の学校のようで懐かしさを覚えた。パティオと晴天の所為もあるだろうが、内部に居ると気持ちがよい。特に外気に触れるテラスの居心地がよかった。
昼食のために一旦市街へ出る。初めての土地なので当ては全くなかったが、小町通りを鎌倉駅のほうへ向かって歩いていると、感じの良いイタリアンがあったので入ってみた。それほど大きくないレストランだが、店内は予約客でほぼ満席に近く、飛び込みの私たちは階段下の小さな席に案内された。ランチは2種類のコースだけで、その違いはメインを魚か肉かの一品にするか、魚と肉の二品にするかの違いだ。肉のほうは標準品が牛タンで割り増し料金の品は牛の三角バラだった。私たちは共に牛タン一品のコースのほうを選んだ。アミューズが蕪の冷製スープ、前菜は太刀魚のカルパッチョ、パスタはカラスミ、メインが牛タンで、デザートはココナツミルクのソルヴェ、それとエスプレッソ。野菜は地元の鎌倉野菜なのだそうだ。どの皿もたいへん美味しく、観光地だというのに店内が常連客の予約で埋まっていることに納得した。料理も旨いが器もよかった。個人宅で使うならまだしも、店で使うには扱いにくいのではないかと思われるような手作りの陶器で、それが料理とよく調和しているのも素晴らしい。店主の気持ちと腕を十二分に堪能できる店だ。店の名前はラ・ルーチェ。イタリア料理店としてはよくある名前で、ネットで検索すればいくらでも出てくるが、鎌倉ではここだけのようだ。
昼食の後、国宝館に行こうとしたが、流鏑馬の見物客で近づくことができなかったので、近代美術館の別館へ向かった。こちらは本館とは別の設計事務所だが、周囲の風景と溶け込んでいる佇まいは本館と同様である。ここでキュレーター・トークを聴く。本館は収蔵品のなかから選ばれた作品群の展示で、別館は新たに収蔵品に加わった作品の展示だ。この美術館の収蔵品は寄贈作品が多いのだそうだ。県立美術館なので神奈川県に縁のある作家のものが多いが、なかには麻生三郎のように奥さんとの最初のデートの場所がここだったという「大切な思い出の場所」ということで作品やコレクションの一部を遺族が寄贈した例もあるという。本館も別館も、地方の美術館にありがちな中途半端感は否めないのだが、それでも良質なコレクションに恵まれていると思う。にもかかわらず、街中の人出のわりに美術館の来館者が少ないのを目の当たりにすると、運営されている方々の御苦労は並々ならぬものがあるのだろうと想像してしまう。都内の一部の美術館のように有象無象が徘徊する場所になってしまうのも考えものだが、地域の人々、特に若い人たちの関心を喚起するような場所であって欲しいものだ。
別館を出て北鎌倉方面へ歩くと、ほどなく建長寺の前に出る。建長寺はいかにも鎌倉の寺という風情だ。「鎌倉の寺」というのは自分のなかの勝手なイメージでしかないのだが、起伏に富んで緑の深い場所にあって、三門も本堂も大きなものが並んでいる、というのが鎌倉の寺であるように何故か思うのである。鎌倉の他の寺は見たことがないのだが、ここはそういう自分のなかの「鎌倉」にぴったりの場所だ。
横須賀線の線路に面して鎌倉古陶美術館というのがある。古民家風の建物だが、今日は古陶ではなく、現代の作家による猫をモチーフにした作品展が開催されていた。
北鎌倉駅は小さな駅舎と、所々に屋根がかかる直線ホームだけの簡素なものだ。簡素というだけなら、そんな駅はいくらでもあるのだが、この駅の面白いところはホームが異様に長く見えることだ。そのバランスの悪さが面白いのである。