熊本熊的日常

日常生活についての雑記

選挙が語ること

2011年04月11日 | Weblog
昨日は都知事選をはじめとする地方自治体の首長選挙や議員選挙が行われたところが多かった。知事は現職優位で、議員も民主党系の退潮が顕著となった。この状況下で民主党という看板を背負って選挙に出ようなどというのは狂気の沙汰だろう。よほど自意識過剰なのか、単に現状認識能力に重大な欠陥があるか、その両方なのか。さすがに都知事選には民主党から立候補しようという無謀な人はおられなかったが、当然だろう。震災がなければ、あるいは出る人がいたかもしれないが、震災、殊に原発事故の対応で無能を晒した政権政党というのは、やはり有権者の心証が悪すぎる。尤も、人の思考や行動は習慣に大きく左右されるそうなので、政治の世界にも「ご贔屓」のようなものがあるのだろう。但し、注意しないといけないのは、昨日投票が行われた41道府県議員選挙の投票率の低さである。首都圏では議員選挙が実施された3県すべてが過去最低となったほか、多くの県で過去最低となっているのは、震災後の「自粛ムード」で選挙戦が盛り上がらなかったという事情もあるかもしれないが、単純に政治というものの無力を露呈したなかでの選挙戦で、特定の政党に関わりを持たない所謂「浮動層」が投票を放棄したということだろう。このため、支持基盤がしっかりしている政党の候補者が相対的に票を集めたように見える。共産党の候補が軒並み落選したのは、やはり非常時にあって、万年野党の政治力が疑問視された結果だろう。

震災の復興や原発事故の解決は何年も続く長丁場だ。今はまだ被災者への関心も高く、電力供給不安への理解もあるだろう。「がんばれ東北!がんばれ日本!」と言っていられるのは、果たしていつまでだろうか。そう遠くない将来、被災者は別にして、その他大勢は復興や原発事故にまつわる有形無形の負担のほうに不平不満を覚えるようになるのではないか。阪神淡路の時とは状況がかなり違うはずだ。参考になるところもあるだろうが、被災者も為政者も未経験のことばかりに直面することになる。だからこそ、長期に亘って無理難題をひとつひとつ丹念に処理していくことができるよう、まずは平穏を回復し、そのなかで物事を冷静に観察し考察していくことが肝要になる。しかし、落ち着けば、中身がなくても見栄えのするパフォーマンスに走るのも人の習慣なのかもしれない。選挙に立候補した人には、それなりの覚悟と志があり、当選したのはそれが有権者に理解されたということなのかもしれないが、当選したことを素直に祝福できないのが今の時代でもある。