熊本熊的日常

日常生活についての雑記

美しいということ

2009年04月11日 | Weblog
住処の窓から桜の木が見える。一週間前は満開だったが、今は葉桜になっている。よく言われることだが、花はやはり散るからこそ美しい。花はいつか散るもの、という固定観念があり、その期待に沿うように物事が変化することに安堵を覚え、その安心感が「美しい」という感覚として認識されるのかもしれない。花が散るという相の変化に命の営みを感じ、その静かな躍動に自分自身の生命を感じて「美しい」と思うのかもしれない。あるいは単に花びらが舞うという表面的な風景を「美しい」と感じるのかもしれない。おそらく、「美しい」という感覚やその背景には、各人それぞれに抱えた歴史や文化があるのだろうし、自覚している以上に複雑なものがあるだろう。

そうした本来は多様な背景があるはずの感情とか感覚を「美しい」という言葉で表現してしまうと、それでわかったような気になってしまうものだ。「美しい」に限らず、言葉というのは物事を歪めてしまう危険性を絶えず孕んでいる。しかし、言葉で表現しないことには意志というものは他人に伝わらない。そこに意思疎通の難しさがある。

花を見て美しいと思う。同じ花を見て他人も「美しい」と言う。果たしてその言葉だけで、我々は同じ感覚を共有していると言えるだろうか? 同じ何かを感じたいと思った時、言葉以外に何が必要だろうか?

引き蘢る快感

2009年04月10日 | Weblog
なんとなく毎日のように仕事以外の外出が続いていたのだが、今日は何も予定が無い。こういうときは、クリーナーをかけたり、洗濯をしたりする。勿論、食事も作る。ひとしきり家事を済ませると眠くなったので、昼寝をする。目が覚めたら、身支度を整えて出勤する。

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このところ、ずっとカバンのなかに入っていて、進捗が芳しくなかった小林秀雄の「初期文芸論集」をようやく読了した。文芸論の対象となっている作品は読んだことのないものばかりだったが、書かれていることは今の時代でも新鮮さを失っていないように思われた。科学技術の世界は目まぐるしく変化しても、人間の内面というのはそれほど変わらないものなのだろう。

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先日、実家で発見した飯盒でご飯を炊いた。確か、高校生の時、林間学校に持参するのに購入したと記憶している。その肝心の林間学校は雨に祟られて飯盒炊爨の機会がなく、以来、使われることのないままに実家の物入れの奥にしまい込まれていた。家の中を整理していたら出てきたというので、引き取った次第だ。そんなわけで飯盒を使うのは初めてだったが、無事においしいご飯が炊けた。しかし、日常的にこれを使うかどうかは、まだ決めあぐねている。

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つらつらと何事も無い日の何事かを書き連ねてみた。

典型的木曜日

2009年04月09日 | Weblog
先週に続いてヨガに出かける。ヨガを始めたのは2005年12月。当時から身体は硬く、体力もどちらかといえば乏しいほうだった。以来3年4ヶ月の間に加齢は進行しているはずだが、今のところ、顕著に老化を自覚するには至っていない。しかし、時間の経過というのは動かし難いことなので、老化と残存能力の活性化との均衡が守られているということなのだろう。生活をしていると、なにかと厄介な問題に遭遇するものだが、人生の折り返しを過ぎると、問題の無い瞬間のほうが少なくなる。老化の問題を始めとして、目の前にあるさまざまな課題をひとつひとつ解決したり先送りしたりすることに明け暮れるのが、黄昏時の生き方なのかもしれない。

ヨガというのは不思議なものだ。先生の「呼吸を身体全体に送り込んで」という、考えてみれば実に難解な指示を聞きながら、自分なりの能力と解釈で呼吸をしたり身体を動かしたりしていると、そのときはポーズをとるのに必死でも、終わってみれば生まれ変わったような爽快な気分になる。単に気分が良いということではなく、それまでなんとなく不安に感じていたことや、決めあぐねていたことが、なんでもないことのように感じられるのである。勿論、肉体的には厳しい。セッションが終わってからしばらくの間は、自分の身体が分解してしまったかのような感覚を抱えることになる。

ヨガの前には食事をしないことになっているので、セッションが終わってから一日の最初の食事をする。特にこだわりがあるわけではないのだが、教室から駅に至る道筋とか、インドつながりということから、なんとなく恵比寿駅前のTANDOORIというインド料理店に足が向く。世間ではここ1年半ほどの間に飲食店がずいぶん入れ替わったようで、恵比寿・代官山界隈も例外ではない。それでも、このインド料理屋は以前と同じような様子で、今日も店内のあちこちに設置してある液晶画面からは歌って踊るインドの映像が流れていた。

ランチにもチャイがついていたのだが、この後、ヴェルデに寄ってマンデリンをいただく。先日、下落合の山ゆりで飲んだマンデリンは妙に爽やかな味だったが、やはりマンデリンが「爽やか」ではいけないのではないかと思う。強い香味としっかりしたボディが特徴のマンデリンは、それなりにガツンとくる味に淹れないと飲んだ実感が残らない。ここはネルドリップという所為もあるだろうが、かなりしっかりとした味に淹れてくれる。自分の中ではマンデリンに限らずベンチマークにしている店である。ちょうど家にある豆が残り少なくなっていたので、マンデリンを200グラム買って店を出る。

特に用があるわけではなかったのだが、出勤まで時間があったので、タミゼを覗いてみることにした。店に行ってみると、本当に覗くようになっていた。入口に鍵がかかっていて、そのガラス窓にメモが貼ってある。店内を見たい場合には、そのメモに書かれている電話番号に電話をしろというのである。わざわざ開けてもらうには及ばないので、そのドアの窓から店内を覗かせてもらった。初めて来たのだが、なかなか良い雰囲気だった。今度はゆっくりと中を見せていただこうと思う。

この後、日比谷線と丸ノ内線を乗り継いで出勤。これから仕事だというのに、もう一日が終わったような気分である。来週の木曜はヨガではなく、茶道の稽古。今年は第三木曜はお茶の日ということになっている。

墓地の楽しみ

2009年04月08日 | Weblog
4日おきくらいの頻度で近所のカイロに通っている。昨年の今ごろから左右のハムストリングが痛むようになり、当初は立つのも座るのも横になるのも苦痛で難渋した。その後10日間ほどで自然に痛みは軽くなり、日常生活に影響があるほどではなくなったが、不快感を抱えながら暮らすようになった。帰国後の生活も落ちついてきたので、対策を考えようと、とりあえずカイロのクリニックへ通院するようになったのである。それで痛みから解放されるとは考えていない。加齢の影響もあるだろうから、この先、身体のあちらこちらの痛みやら違和感やらと付き合い続けるのは、当然のことだろう。

住処からクリニックまでは徒歩25分ほどである。染井霊園のなかを突っ切り、住宅街を抜け、山手線の線路を越えて、通っている。墓地のなかを日常的に横切るというのは初めての経験なのだが、落ちついた雰囲気がたいへん心地よい。特に今の時期は桜が咲いている所為もある。このあたりは江戸時代に染井村と呼ばれていた地域で、植木屋が多かったそうだ。その植木屋衆のなかから江戸時代末期に「吉野桜」という桜が生まれたという。ただ「吉野」というのが奈良の地名と混同され、紛らわしいというので、20世紀初頭にこの地に因んで「染井吉野」と改めて命名されたそうだ。墓地の一画に更地があり、ベンチが置かれたりして広場風にしつらえてある。ここには散った桜の花びらが積もっており、まるでピンクの絨毯を敷き詰めたような風情だ。近所の子供たちも歓声をあげて遊んでいたりする。

クリニック通いはまだ続くと思う。これから墓地の風景が季節に合わせてどのように変化していくのか、なんだか楽しみである。

土に触れて

2009年04月07日 | Weblog
今日から陶芸を再開した。以前と同じ教室の同じ先生のところで、中断した過程から始めることになった。最初のお題は、練り込みと象嵌の組み合わせによる円筒形の器。これまでは、練り込みだけ、象嵌だけ、という作品を製作したが、これからはそうした装飾技法を組み合わせて用いることを課題のひとつとするということだ。

白土に顔料を混ぜ、色のついた土をつくるところから始める。2色、3種類の色土をつくる。これら3種類の土をざっくりと混ぜる。混ぜ過ぎると色が中間色になってしまい、なんのために3種類の色土を準備したのかわからなくなってしまう。

今回もヒモ作りである。造形の感覚は多少のブランクがあっても、実際に土に触れると多少は甦るものである。尤も、まだ感覚云々を語る腕ではない。

これまでとは異なり、今回は手本を提示されている。具体的イメージを目標に、造形をコントロールするという訓練に入ったということらしい。今日のところはひもを積み上げ筒状の器を作る作業の半分も進捗していないが、早くも厚みや垂直度合いに破綻の兆しを感じる。思うような厚みで、それを一定に保ちながら垂直に器を立ち上げるというのは容易ではない。手本があるので、それなりのイメージを持って作業に着手したつもりなのだが、いざ作り始めるとたちまち余裕がなくなってしまう。技巧が向上すれば気持ちにも余裕が生まれるのだろうが、果たしてそれはいつのことやら。

いつの日か、そう遠くない将来、人に気に入ってもらえるような器を作ることができるようになりたいし、自分が作ったものを媒介にして、それまでとは全く異質の人間関係を構築できたら楽しいだろうなと思う。

「ダウト あるカトリック学校で」(原題:Doubt)

2009年04月06日 | Weblog
何事かを疑うということは、その対象の対極に真実が存在することを前提にしている。真実とは何か。真実なるものが果たして存在するのだろうか。

この作品の舞台は1964年のニューヨーク、ブロンクス地区にあるカトリック学校。厳格な校長と人望の厚い神父がいて、その間に微妙な感情の摩擦がある。校長にしてみれば、生徒の受けが良く、時に校長以上の存在感を示す神父の存在は快いものではない。それは単に校長の感情面での問題かもしれないが、自分が作り上げた秩序に対する脅威にも映る。校長という役職は校長自身の主要な構成部分でもあり、校内の秩序は彼女自身の世界観の秩序でもある。学校の規律に対する脅威は彼女自身に対する脅威そのものなのである。

やがて些細な出来事をきっかけに校長と神父の対立は表面化する。しかし、それは極めて現実的な方法で処理されることになる。

規則違反であるとか素行不良といった問題は、合理的根拠の下に摘発されるわけでは必ずしも無い。規則は一旦施行されると、その合理性や正当性が再考されることは少なくなる。規則はそれが規則だからという理由だけで守ることが当然視されるようになる。権威というものも、確立当初は権威たる合理性や必然性が存在していても、一度確立されてしまえば、それが与件であるかのように扱われるものである。人はえてして木を見て森を見ない。森を見ない、という以前に森の存在すら意識しないことが案外多いのではないだろうか。

その思考の空白に、権力や権威が暴走する隙が生まれるのである。合理性無き権力は、それを握る者の自我でしかない。浮遊している権力間の抗争が政治と呼ばれるのである。政治は政治家だけのものではない。我々の家庭や職場、個人的な関係のなかにも無数の政治がある。

1960年代であるとか、ニューヨークとか、カトリックという特定の条件は、この作品にとって重要な要素ではない。単なるメタファーだ。誰にでもある心の陰翳を殊更大きく見せたのがこの作品だと思う。クライマックスもなく、取り立てて事件と呼べるほどのこともない。淡々と、なんとなく不安を醸し出すような、あたりまえの陰翳がそこにある。ただ、そこに自分自身の心の曇りとか、真実という幻想を見出すかどうかは、見る人次第である。

究極の美

2009年04月05日 | Weblog
桜の咲く頃は、街に喪服姿が目立つ時期でもある。春分秋分の頃を「彼岸」と呼ぶが、この時期はあの世とこの世が交錯する時期だ。ちょうど国立博物館ではカルティエ展も開催中だが、ハイ・ジュエリーの世界も死の香りがする。

美しいという感覚は、自分が認識している自分を中心にして、そこから見上げる感覚ではないだろうか。「用の美」とか「自然の美しさ」というのは、等身大よりやや上目、絢爛豪華のものを美しいと感じるのは完全に顎が上がるくらいに見上げる感じ、とでも言うのだろうか。

カルティエが扱うようなハイ・ジュエリーは、権力や権威を象徴する美なので、所持する者にとっても作る者にとっても並ぶ物の無い絶対的な位置を占めることを目指したものだ。「絶対的」というのが鍵である。誰もが高価であることを認識している貴金属や宝石を用いて、技術の粋を集めて加工するということが必須の条件である。いくら稀少であっても、いくら光り輝いていても、知る人ぞ知る、というのでは意味がない。ダイヤモンドであったり、金であったり、誰もが見知っている高額素材をふんだんに使い、そこに人間業を超えるかのような細工を施すことで、はじめて権力を権威の象徴になるのである。

素材の入手から加工に至るまで、それぞれの段階で文字通り関係者が命がけで取り組む過程を経ることで、宝飾品は価値を増していく。それはあたかも人の命を吸い取っていくかのようだ。そうしてはじめて、権力や権威を象徴するものができるのである。

しかし、誰もが知っている素材に、一見して手が込んでいることがわかるような加工を施すということは、結局のところ、既存の価値の極限を追求したということに過ぎず、そこに新たな価値を創造したということにはならないのではないだろうか。しょせん、誰もがわかる、という程度のもので表現される権力や権威は薄っぺらなものでしかないことを示唆しているようも思える。「絶対的」などというのは、幻想でしかないのではなかろうか。それを追い求める絶対権力というのは、裸の王様のようなものだろう。

それでも花は咲く

2009年04月04日 | Weblog
東京では4月2日にソメイヨシノの満開宣言が出された。その後、昨日今日と暖かな日和となったので、早くも花の間から葉が出始めている。それでも、まだ今日あたりの桜は満開のうちだろう。

酒を飲むことは殆どなく、人付き合いも活発なほうではないので、花見酒など無縁である。教養も無いので草木の名前なども知らないし、それほど関心もない。それでも、こうして桜が咲いていれば、不思議のその下を歩いてみたくなるものである。

東京国立博物館で月例講演会を聴講した後、館の裏にある庭園を散策してみた。ここにはミカドヨシノ、オオシマザクラ、ケンロクエンキザクラ、エドヒガンシダレ、ヤマザクラ、ギョイコウザクラ、カンザン、ショウフクジザクラなどの桜が植えられている。博物館の庭園なので、さすがに木の下にシートを敷いて酒盛りというわけにはいかず、花を観賞するには快適な場所である。

彼岸を過ぎて日の長さが感じられるようになり、気候は不安定ながらも、草木が花をつけるようになると、そこに明るい時代が到来するかのような高揚した雰囲気のようなものが感じられる。たとえ不景気であろうと、現実の生活が厳しかろうと、それは毎年変わらないような気がする。

もちろん、咲いたものは必ず散る。しかし、散りっぱなしというわけではない。花の後には葉が広がり、長くなった日照時間を活用して栄養を溜め込み、成長や生殖につながるのである。見た目ではわからないが、見えないところで未来に備えている。そうすれば、また花が咲くのである。

ボーナス未払い

2009年04月03日 | Weblog
いったい支給日がいつだったのかも知らさせれていないのだが、この1-3月に支払われるはずの2008年分のボーナスが未だに支払われていない。ロンドンから東京への転勤もあったので手続きに時間がかかっているのかもしれないと思い、ずっと様子を見ていたのだが、2009年の業務目標を決める時期を迎えたので、この機会に調査を依頼することにした。

転職歴は5回。巡り巡って最初の勤務先に戻ってきた。当時の同じ職場の後輩が、今、自分が所属する部門の本部長である。彼の誘いで今の職場に戻ってきた。ちょうど離婚で揉めている時だったので、「熊本さん、海外で働く気はありませんか?」という彼の誘いは渡りに舟だった。なにがどう「渡りに舟」だったのかということは、ここでは割愛する。

そんな経緯もあり、上司に英語で細々としたことを説明するのが面倒でもあるので、困ったことがあれば、直接、本部長にお出まし願うことにしている。といっても、彼に直接文句を言うのは、入社してから、ロンドン時代を含めて1年7ヶ月の間に本件を含めて2回だけだ。多忙な管理職を些細な問題で煩わせてはいけない。

現象面では一社員の賞与支給が遅延しているというのは些細だが、組織の仕組みとしては大きな欠陥の存在を示唆していると思う。中小零細企業ならいざしらず、着任した先で、社員がパソコンの設定やら経費請求の社内ネット口座開設やら諸々の事務手続きを自分でやらなければならないというのは、これでいいのだろうかと素朴に疑問に思う。コーポレートカードに至っては、「コーポレート」とは名ばかりだ。一般には、コーポレートカードの決済はカード会社と勤務先との間で行われ、カードを利用した社員は、その利用を正当化する書類を会社に提出するだけで、資金面でのリスクは追わないものである。この会社では、社員がカードの決済を立て替えて、その立て替え分の経費請求を行わなければならない。これではなんのための「コーポレートカード」なのかわからない。この経費請求のための社内口座開設にも、必要な承認がなかなか取れず、開設申請から開設までに1ヶ月という作業の単純さの割には異様な時間を要した。組織として、根本的な部分に重大な欠陥を抱えているのではないかと思うのある。

果たして、ボーナスを手にすることはできるだろうか?

易きに流れる

2009年04月02日 | Weblog
今日からヨガを再開した。2007年8月31日以来のヨガ教室だ。当時は毎週金曜だったが、そのときの先生のクラスが今は木曜になっていたので、今日出かけてきたのである。

この教室は以前の職場の同僚から紹介された。ヨガが私に似合いそうだというのである。これはとんでもない誤解で、初心者向けのクラスだというのに、毎回ひとりだけ汗だくになって、傍目にはかなり浮いていると思う。やっている本人は精一杯なので、浮いていようがいまいが、気にしている余裕すらない。なぜ、他の人たちは涼しげにやっているのだろうと、最初の頃は疑問を抱いていたのだが、そのうち気にならなくなってしまった。

ヨガのおもしろいところは、自分の身体が自分の思い通りに動かないという現実を経験することである。激しい動きがあるわけではない。呼吸に合わせて手足を動かすだけなのに、全く思うようにはならないのである。もちろん、個人によって、思うようにならなさ加減は違うだろう。私の場合は身体が固いので、無様なものである。それがまたいい。自分の無様な姿を晒すことで、精神が一段高いところに登ったような気になるのである。と同時に、自分の身体すら思うようにならないのだから、人生を思い通りになどできるはずがないと、妙な了解に至り、そのことが気持ちを楽にするのである。このような精神状態を俗に「勘違い」と呼ぶのだろうが、なんであれ、気持ちが妙に楽になるということは事実なのである。

今月からはヨガの他に陶芸教室通いも再開する。生活が、帰国直後の立ち上げ状態から、渡英前の旧態へと戻り始めている。これからは、元に戻るだけではいけない。新たな生活の確立へ向けて、更なる展開を目指すことになる。会社勤めであるとか習い事のように、既製の枠組みに参加することは容易である。物事が易きに流れるのは、自然なことなのだろうが、ここまでは自然にやってきた。今月あたりからが難易度の高いことに挑戦する時期に入らなければならないと考えてはいる。

我が心のプリン

2009年04月01日 | Weblog
プリンが大好きだ。子供の頃から好きだったが、大学生の時、ダッカのホテルで食べたプリンの味が忘れられず、以来、その時の味を求めてあれこれ食べているうちに病み付きになった。後に、バングラディシュの国民的菓子がプリンのようなものという話を聞いて、ダッカのプリンのガッツを納得できた。それにしても、日本で食べるプリンはどれも、良く言えば上品すぎて、満足のいくものがない。感覚のことなので言葉では上手く表現できないのだが、ガツンとくるものがないのである。

今日、セブンイレブンで飲むプリンというものを買って飲んだ。確かにプリン味である。パッケージには「5回以上振ってお飲みください。」とある。5回と言わず、振るほどにおいしくなるような気がした。容器が今時珍しいガラス瓶というのも良い。このガラス瓶は後で何かに使えるかもしれないと思い、持ち帰った。中身も容器も上出来なのだが、残念なことに、私が求めているものとは違うのである。

同じくセブンイレブンで「みたらし団子プリン」というものを発見した。これはプリンの上に団子が二個乗り、その周囲を生クリームで埋め、その上からみたらし団子のたれのような味のシロップがかかっている。これもなかなかのものである。プリンとみたらし団子のタレとの相性の良さを発見した商品企画担当者が、この商品によって文化勲章を受賞したとしても、私には異論は無い。しかし、これも私が求めているものではない。

心のなかにあるプリンを求める旅路はまだ続くのである。