カルチャーセンターの風景水彩画教室の宿泊取材旅行で、「Go Toトラベル」を利用して京都へ出かけ、由緒ある寺社や街並みを歩いてきました。
といっても、狙いは豊かな風景よりも、京で暮らす人々の間で恐れ、慄き、語り継がれてきた妖怪や幽霊話の里を巡ろうというものです。
旅は、教室の山田彊一講師がライフワークの一つとして取り組んでいる妖怪研究の成果「京都妖怪36景」を今月末までに出版するのに因んで企画されました。
僕は、妖怪にはさほど関心がありませんが「ちょっぴり無常観に浸るのもいいか」と、現代美術家でもある山田講師作成のレジュメを手に歩いてきました。2回に分けて掲載します。
17人の一行は、まず東山区大和大路上ル東の六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)へ。
寺の傍の道は「六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、人道、天道)ノ辻」と呼ばれ「あの世とこの世の境目と言われていた(山田講師)」とか。
傍には亡骸を風葬や鳥葬にした鳥辺野(とりべの)への道も。さらには鳥辺野に捨てられ死んだ女性が死ぬ直前に出産した赤子のため幽霊になって夜ごと飴を買いに来たとの伝わる幽霊飴の店、平安時代の文人・小野篁(おののたかむら)が地獄と行き来したとされる井戸・・・。のっけから妖怪・幽霊の世界に迷い込んだ感じでした。
次は清水寺。舞台は工事中でしたがh拝観はでき、人々が飛び降りて亡くなった眼下を見下ろし、無常観がよぎりました。近くには広大な墓地。飛び降り、自死した多くの遺体も埋葬されたと言います。
続いて、豊臣秀吉の正室だった北政所(ねね)が秀吉を弔うために造られた高台寺。徳川家康の命で各地から集まった普請役が築いた建造物と広大な苔の庭は、新しい権力者の強い意図を感じます。
今度は八坂神社。境内にはいくつもの関連神社が並びます。
その一つ、疫(えき)神社は名の通り疫病除けの社。正面には茅で編んだ大きな輪が、新型コロナの退散を願って3月から置かれています。
コレラが大流行した1877年(明治10年)以来といい、早期収束の祈りを込めて左、右、左と8の字を描きながら輪をくぐってきました。
知恩院へ。高さ24㍍、横幅50㍍もある日本最大の三門と、除夜の鐘のテレビ中継でもお馴染みの高さ3.3㍍、重さ70㌧もの大梵鐘はあまりにも有名です。
長く続く石段道。見上げただけで「トシを考えると、止めるのも勇気」と迷いながらも、やはり大梵鐘まで登り切りました。
徳川家康がこの寺を永代菩提所と定めており、山田講師は「京都妖怪36景」の中で、家康が梵鐘の音の妖怪になって江戸長期政権を支えたのではないか、と一枚を描いています。
ここまでで「妖怪・幽霊の里めぐり」の初日は終了。17人のうち都合で7人が名古屋へ帰り、残る10人が翌日の行程に備えてビジネスホテルへ向かいました。次回に掲載します。
以下は山田彊一講師の妖怪画のモノクロプリントから
上から六波羅蜜寺、清水寺、高台寺、八坂神社、知恩院