リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

相まみえることなかるべからず

2014年04月12日 | 日々の風の吹くまま
謙遜と自慢について考えていて、いわゆる「自慢」は聞き手が「自慢されている」と感じるか
ら「自慢」なので、つまりは話し手(自慢していると非難されている人)そっちのけで、聞き手
の対人観を反映したものなんだろうと思った。まあ、日本では「自」のつく言葉に他人がネガ
ティブな意味合いを与えることが多いから、これもその流れなのかもしれない。(字面で訳す
と趣旨が逆になることがあるから翻訳者には鬼門・・・。)

謙遜は海外では通じない日本文化だと言う人もいるけど、日本式の謙遜が通じないだけで、
自己を牽制する手段としての謙遜は形を変えてどこにでもある。たとえば、西洋流では概ね
褒められるとまず褒めてくれた人にお礼で応える。褒められたことを素直に喜んでも良い。
「謙遜」はその後の話で、お世辞でも本心でも相手の賛辞に礼を言うことで受け入れた以上
は、今さら「とんでもない」と拒否するわけには行かないし、「すごいでしょ」と言うのも品がな
いから、「でもねえ」と自分としてはまだ満足できる状態ではないと表明する。「肯定の文化」
から生まれた外交的な謙遜方法というところかな。

対する日本では、褒められたらまず「いいえ、とんでもない」と自分を卑下してみせる。褒め
た方としてはその否定に同意すれば自分の賛辞が虚偽ということになるから、「いや、そん
なことはないよ」と相手の自己卑下を覆さざるを得ない。結果的に謙遜になっていないよう
な感じもしないではないけど、二重否定を活用した肯定法はみごと。人間は本質的に自己
を肯定したいもんだから、この場合の謙遜は「否定の文化」から必然的に生まれた自己肯
定法なんだろうと思う。自己否定が集団の秩序のために美徳として要求される文化では、
少しでも出た杭は打たずにいられない人が多そうだから、他人を通じて間接的に自己を肯
定する方が社会的にも無難だろうな。

まあ、自慢でも謙遜でも好きなようにやらせればいいと思うんだけど、「東は東、西は西」と
は良く言ったもんだ。肯定する文化と否定する文化があって、それぞれに順応できる(する)
人としない(できない)人がいて、さらに自力本願と他力本願の対処法があるということは、
世界は相まみえることなかるべき二項対立の構図ということなのかな。ワタシには二項が
適度に相まみえる「太陰太極図」的な方が住みやすそうに見えるけど・・・。