リタイア暮らしは風の吹くまま

働く奥さんからリタイアして、人生の新ステージで目指すは
遊びと学びがたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

良い芝居だった

2014年04月30日 | 日々の風の吹くまま
今日で4月も終わり。早すぎるなあ。と、いつも嘆いてみるけど、ほんとに時間の足は年を
追うごとに早くなるばかりで、だんだん追いつかなくなる感じ。難病を患っている友人の掲示
板に体調が良くないと書いてあったので、お見舞いのコメントを入れようとしたら、「パスワー
ドが必要」。前からそうだったっけ?だとしたらmごぶさたしている間にパスワードをど忘れ
したということか。いくら考えても思い浮かばないから、お見舞い、ここに書いとこう。「心身
共にストレスが溜まっていたんだと思うから、無理をしすぎないようにね!」

物品サービス税の第1四半期の申告をして、月末処理は全部終わり。ゆっくりして、トレッド
ミルで汗をかいて、ささっと夕食を済ませて、カレシを急き立ててグランヴィルアイランドへ。
今日は『Kim’s Convenience』のオープニングナイト。トロントで韓国から移民して来たキム
さんが経営する街角のコンビニが舞台。故国では教師だったけど、カナダではコンビニの店
主として、子供たちに将来の夢を託して年中無休で働いて来たけど、子供たちが追い求め
る夢はあまりにもカナディアン・・・。

劇作家/俳優のインス・チョイが両親と共に韓国から移住して来たのは1975年だそうだか
ら、ワタシと同じ年だ。60年代後半にカナダがアジアに移民の門戸を開いてから、日本か
らもちょうど世界に溢れ始めた日本製テレビや車を修理する技術者が移住して来た時代。
家族同伴の男性がほどんどで、自分たちを「新移民」と呼んで戦前からいる日系人と区別し
ていたけど、年に数百人だったそうだから、存在感のある「日本人コミュニティ」を作るには
数が少な過ぎた。同時代に来たワタシも新一世ということになるけど、カナダ人との結婚で
ひとりで移住して来た女のワタシが仲間に入れる雰囲気でもなかったと思う。

移民一世は多かれ少なかれまだ故国に顔を向けているから、カナダ人として育つ二世との
軋轢が出て来るわけだけど、二世の代から先はカナダ人。作品の中でも、キムさん夫婦の
会話は韓国語。でも、娘は黒人の警察官と結ばれ、家出していた息子はチベット人との間
に子供が生まれて、「未来のカナダ」の姿が暗示されていた。笑わせて、ほろっとさせる「カ
ナダの古典になる」作品。終わったとき、満員の客は総立ちで拍手喝采・・・。


☆異国で老いて行くということ

2014年04月30日 | 日々の風の吹くまま
4月29日。何日か前のJapan Timesに、日本の大学教授が50歳以上のイギリス在住日本人(多くが女性)を対象に、老後に関する面接調査をした結果、回答者の多くが異国での老後に不安を持っていたという共同通信の記事が載っていた。特に(多くがイギリス人の)配偶者に先立たれて独りになることへの不安が大きく、体が衰えて日本の食品を手に入れたり、他の日本人と交流したりするのが難しくなることや、認知症になって英語力を失ったらイギリス人の介護者と意思の疎通ができなくなること、介護ホームに入ってもイギリス人スタッフが日本の文化や習慣を尊重してくれるかという不安もあった。(ヨーロッパ各国での調査も同じ結果だったとか。)

海外に定住する日本人の高齢者の数は50万人(イギリス永住者は15000人)だそうで、調査した教授によれば、こうした日本人は、日本食や日本語を含めて、日本文化の要素や習慣を取り入れた介護を強く望んでいると言うことで、高齢になると短期の記憶が衰えて、遠い過去の記憶が強く残るので、文化や食事を通じて日本とのつながりを維持して行くことが重要だと言っていた。異国に生活拠点を持って、家庭を営み、子供を育てて来たと思われる人たちが、日本に帰る意思はなくても長年の居住地で「故国の文化や習慣に配慮した介護を望んでいる」というのが引っかかった。それは「望郷の念」から来るものなのか、それとも異国に住んで年を重ねれば普通にそういう気持になるものなのか。

そんなことを考えながら、ひとりで出かけたダウンタウンのHマートの日本の食品がびっしりの商品棚を何とはなしに眺めてみた。(なぜか必要なものはあまりない。)近代になるまでは各民族が特定地域に住み分けていたヨーロッパと世界中の人が集まって多民族国家を形成しているカナダやアメリカとでは、移住者を受け入れる側の社会環境や制度が違うことはたしかだから、イギリスを含めてヨーロッパで年を取るのと、アジアと直結している北米(特に西岸)で年を取るのとでは、精神的な面でも大きな違いがあるだろうと思う。それでも、掲示板などを見ると、最近は北米住まいでも「日本に帰りたい」という投稿が増えている。(ほとんどは年齢的に更年期の一過性のホームシックかもしれない。)

でも、老後の経済問題や家族との関係、介護や医療の問題は多かれ少なかれ誰もが直面する根本的な問題だから、生まれ育った環境にいれば老後の不安がないとは言えない。ワタシだって自分自身の老後に関しては人並みの不安要素がある。もしもカレシに先立たれたらという不安。足腰が弱って買い物などの日常生活が不自由になったらという不安。年金や貯蓄がどこまで足りているのかと言う不安。巨大なベビーブーマー人口がいるから、必要になったときに介護ホームに空きがないかもしれないという不安。でも、それは世界のどこの国でも(文化や社会制度の違いこそあれ )老いて行く人誰もが持つ人間としての不安なんであって、介護などの問題や不安などは、たぶん過疎化が進む日本の地方集落での方がヨーロッパや北米とは比べものにならないほど大きいのではないかと思うけど。

たしかに、いわゆる「国際結婚」で配偶者の国に住んでいる人には自分にとって(好むと好まざるとに関わらず)異文化・異言語の環境にいるという特別?な要素があるだろうけど、自国民を差し置いて異国籍者との結婚を奨励する国家があるとは思えないから、「国際結婚」はあくまでも個人的な選択であり、その結果も個人あるいは家族のレベルで対処されるべきであって、その「重荷」は異国に永久移住した人にとっても同じではないかと思う。違いがあるとすれば、移住先で相当規模のコミュニティを形成している民族であれば、自分たちで「故国の文化習慣に配慮した」介護ホームを作ることは可能だけど、日本人移民はいわゆる「国際結婚」が大多数で、結果的に太平洋戦争前のような結束の強い「日系人社会」を形成できないでいるようだから、イギリスの日本人高齢者が望むような「日本の文化習慣」を取り入れた経済的にも介護は無理だろうな。(イギリスでは昔の「老人クラブ」のような施設を自分たちで作ろうという計画はあるらしいけど。)

慣れ親しんだ環境とは異なる状況に遭遇したときの順応性の程度は、その環境の基本的思想を形成する(言語を含む)文化やその思想の強制力とその人が生まれながらに持っている資質(または家庭や教育の環境によって形成された性格)との兼ね合いで決まるもので、どの社会の文化もその環境にうまく順応した人たちが何世代にもわたって大多数を占めることで必然的に「伝統」や「社会文化」として成り立っているんだと思う。大多数(主流)に属することができればそこは自分にとって「一番住み良い」ところだろうし、それができなければたとえ生まれ育った環境にいても「住みにくい」ということになるだろうな。(ワタシにとっては日本は住みにくかった。別に何が嫌いというよりも、常に深呼吸できないような窮屈さがストレスだったんだけど。)

人間の営みのあらゆる面で世界のどこでも多数派と少数派がいて、そのどっちにも(海外移住のような)環境の変化に順応できる人とできない人がいる。さらに積極的に順応する人もいれば、できてもしない人がいるから、精神的にも新しい土壌に根を張る(同化する)人と頑なに鉢植え(外国人)のままの人がいる。人間が地球上を自在に移動できるようになって、慣れ親しんだ環境を長期間あるいは永久に離れる人が増えたことで、どこで老後を迎え、どこに骨を埋めるかという問題が惹起され、特に「異国にいる自分」を意識して来た人にとっては、大きな不安要素になって望郷の念が生まれるのかもしれない。

ワタシの前の商品棚には日本の食品がびっしり。昔は(ワタシが使える)食材がなくて、あっても高くて買えなかったから、日本食はめったに作れなかった。今は「一応日本食」の材料はほとんど手に入るけど、はて、10年、15年後にこうして買いに来れなくなったら、ワタシも毎日ご飯と味噌汁とおかずの暮らしが恋しくなるのかな。いや、たまにはよくても毎日はきつそうだな。(オートミール、大好きだし・・・。)言葉の問題も、ワーホリや語学留学の若い日本人が大勢来るから、ダウンタウンの店なら日本語が聞こえるはずだけど、聞こえない。いや、通り過ぎてから日本語だったのかと思うことがあるから、ワタシの耳が今どきの日本語を聞き取れないだけかもしれないけど、話す方は未だに心理的なひっかかりがあって、親しい人たち以外とは日本語で話すのはストレス・・・。

まあ、もっと年を取って認知症になってしまったら、日本語も英語もわからなくなりそうだし、何を食べさせてもらってもわからないだろうし、そのときのワタシは自分にとっても「異境」に行ってしまっているわけで、不安がってもしょうがない。楽しいボケおばあちゃんになっていればいいなあとは思うけど、ボケた自分にはそれもわからない。カナダに来てからずっと周りのみんなと同じように暮らして、老後は普通に介護ホームで余生を過ごすつもりでいたから、そのときが来たら人並みの介護をして、看取ってもらえるだけの資金があるかどうかの方が先決で、考えてみればこれは「普遍的な」老いの問題のひとつ。じゃあ、結局のところ、「異国で年を取る不安」て、何なんだろう?