昨年秋、出かけた「ウフィツィ美術館展 画家たちの自画像」。ポスターの絵は、フランスのエリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランの『マリー・アントワネットの肖像を描くヴィジェ=ルブラン』。画家の姿はまるで美しく着飾ったアントワネットのよう。
そのヴィジェ=ルブランを中心に、18世紀フランスで活躍した女性画家の作品を集めた展覧会が開催されます。「マリー=アントワネットの画家 ヴィジェ・ルブラン展」のサブタイトルは、“華麗なる宮廷を描いた女性画家たち”です。
東京丸の内にある三菱一号館美術館は、英国人建築家ジョサイア・コンドルによって設計された、クイーン・アン様式の洋風事務所建築です。イギリスとフランスの違いはありますが、館内に足を踏み入れれば気分は欧風。
そんな美術館で見るロココの世界を、ご紹介。ヴィジェ・ルブランの回顧展は、かつてアメリカで1度だけ開催されたことがあるのみで、日本はもちろん、本国フランスでも実現されていないそうです。
もし肖像画がお好きなら、もし“ベルサイユのばら”がお好きなら…見逃せない展覧会です。うふふ。ヴィジェ・ルブラン(1755年4月16日~1842年3月30日)はマリー・アントワネット(1755年11月2日~1793年10月16日)と同じ年に生まれました。
王妃の肖像画を描くため宮廷に招かれ、2人は意気投合。以来数年間、まるで友人のような関係だったそうです。ポスターの絵は、『王妃マリー=アントワネット』(個人蔵)と題された作品で制作年は不明です。
他にも王妃お気に入りの夫人像『ポリニャック公爵夫人』(1782/ヴェルサイユ宮殿美術館蔵)、『クリュソル男爵夫人』(1785/トゥールーズ、オーギュスタン美術館蔵)、『ルイ15世の娘、マダム・ヴィクトワール』(1791/個人蔵)など。
ところでマリー・アントワネットは、1789年7月14日に勃発した“フランス革命”によって捕らえられ、国王一家はヴェルサイユ宮殿からパリのテュイルリー宮殿に身柄を移されます。一度はパリからの脱出を企てますが、失敗。
1793年の裁判で死刑判決を受けます。王に続いて、1793年10月16日コンコルド広場でギロチンにかけられ亡くなりました。ヴィジェ・ルブランの描くアントワネットは、永遠のものとなりました。
そのヴィジェ=ルブランを中心に、18世紀フランスで活躍した女性画家の作品を集めた展覧会が開催されます。「マリー=アントワネットの画家 ヴィジェ・ルブラン展」のサブタイトルは、“華麗なる宮廷を描いた女性画家たち”です。
東京丸の内にある三菱一号館美術館は、英国人建築家ジョサイア・コンドルによって設計された、クイーン・アン様式の洋風事務所建築です。イギリスとフランスの違いはありますが、館内に足を踏み入れれば気分は欧風。
そんな美術館で見るロココの世界を、ご紹介。ヴィジェ・ルブランの回顧展は、かつてアメリカで1度だけ開催されたことがあるのみで、日本はもちろん、本国フランスでも実現されていないそうです。
もし肖像画がお好きなら、もし“ベルサイユのばら”がお好きなら…見逃せない展覧会です。うふふ。ヴィジェ・ルブラン(1755年4月16日~1842年3月30日)はマリー・アントワネット(1755年11月2日~1793年10月16日)と同じ年に生まれました。
王妃の肖像画を描くため宮廷に招かれ、2人は意気投合。以来数年間、まるで友人のような関係だったそうです。ポスターの絵は、『王妃マリー=アントワネット』(個人蔵)と題された作品で制作年は不明です。
他にも王妃お気に入りの夫人像『ポリニャック公爵夫人』(1782/ヴェルサイユ宮殿美術館蔵)、『クリュソル男爵夫人』(1785/トゥールーズ、オーギュスタン美術館蔵)、『ルイ15世の娘、マダム・ヴィクトワール』(1791/個人蔵)など。
ところでマリー・アントワネットは、1789年7月14日に勃発した“フランス革命”によって捕らえられ、国王一家はヴェルサイユ宮殿からパリのテュイルリー宮殿に身柄を移されます。一度はパリからの脱出を企てますが、失敗。
1793年の裁判で死刑判決を受けます。王に続いて、1793年10月16日コンコルド広場でギロチンにかけられ亡くなりました。ヴィジェ・ルブランの描くアントワネットは、永遠のものとなりました。