だって見たいんだもん!

映画と共に生きてきた私。大好きな映画と芝居と絵画をメモします。

初めまして、バルテュスさん。

2014-03-11 21:52:43 | 展覧会
まず、この画家のことを全く知らなかったことを告白。そんな大げさなものではないけれど、バルタザール・ミシェル・クロソウスキー・ド・ローラ(本名)なんて聞いたこともありませんでした。

バルテュス(1908年2月29日~2001年2月18日)は、パリ出身の画家。上野の東京都美術館」で開催される“バルテュス展”で、どんな画家なのか見に行きましょう。

公式サイトの中にも、“バルテュスとは何者か?”というコーナーがあるくらい、あまり知られていないんだなと察せられます。ホッ。知らない人が多いということですね。

ポーランド貴族の父は美術史家、母は画家、兄はサドやニーチェの研究家として著名な作家。美術学校に通ったことはなく、ルーヴル美術館で古典絵画の巨匠たちの作品を模写。

1934年、パリで開かれた個展では扇情的なポーズを取る少女というモティーフがテーマで、批判と誤解をもたらします。しかし、フランス文化大臣アンドレ・マルローからの依頼を受けることに。

ローマのアカデミー・ド・フランス館長を務めるなどして地位を築き、1983年パリのポンピドゥー・センターの回顧展で国際的な名声を獲得。バルテュスは、日本との関わりも深く…

1962年東京で出会った節子夫人と、67年結婚。93歳で亡くなるまで生涯キャンバスに向かい続けていたそうです。没後初の大回顧展では、ポスターとなった『夢見るテレーズ』(1938年)

『美しい日々』(1944~46年)、『鏡の中のアリス』(1933年)、『キャシーの化粧』(1933年)、『猫たちの王』(1935年)、『おやつの時間』(1940年)、『決して来ない時』(1949年)

『地中海の猫』(1949年)、『白い部屋着の少女』(1955年)、『樹のある大きな風景(シャシーの農家の中庭)』(1960年)、『トランプ遊びをする人々』(1966~73年)

夫人をモデルにした『朱色の机と日本の女』(1967~76年)。活動当初はシュルレアリスムや表現主義の全盛期で、やがて20世紀美術のどれにも属さなかったバルテュス。いかが?
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