『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

病跡学的研究

2021-05-02 06:56:00 | 
昨日は
朝方の仕事中に
ものすごい地響きがして、
それは恐怖心が起こるほどの
かなりヤバイ感があったので、
すぐさまストーヴを消して、
一足飛びに階段を降りて
玄関から外に出た。

揺れることは揺れたが、
思ったほどではなく、
震度4程度ではあったが、
その地鳴りが半端なく、
揺れも30秒近かった。

休日とあって
カミさんはまだ
起きてきた気配がないので
笑ってやろうと寝室を開けたら、
布団がもぬけの殻で、
やっぱ、驚いて廊下に
飛び出していた(笑)。

あれほどの地鳴りから
また震度6の余震が
起こるか…と、
戦々恐々として構えてたが
拍子抜けするくらい揺れず、
なぁーんだ…
【大山鳴動して鼠一匹】だわ…
と思ってしまった(笑)。

でも、これがもし、
松川浦とかにいたら、
泡喰って車をすっ飛ばして
海浜から高台に逃げたであろう。

こないだの
震度6の余震からこっち、
なんだか、休みの日でも
気軽に海に行けなくなった。

なにせ、
彼の地では、
高さ15mの津波が、
延々内陸の国道近くまで
達したのである。




そういや、
3.11の直後に
K高で新入生の
カウンセリング・ガイダンスを
やっている最中にも
大地鳴りが起こり、
生徒ともども
どんな大っきな揺れが来るかと
3階の教室で身構えていたら、
まったく揺れなかった
という事もあった。

あん時も、
【大山鳴動して鼠一匹】
という事を
話したかもしれない…(笑)。

でも、そんなんで
「狼少年」になると
こないだみたいな
不意の大余震で
電化製品やらがパーになる
という痛い目にも逢うので
【油断大敵 火がボーボー】
である(笑)。

・・・この慣用句、
油断してると、
火がボウボウと燃え広がる、
という意味だとばっかり思ってたら、
実は、違っていて、
【油断大敵、火が亡々】と書き
油を断つと火が消えるので、
絶やさないようせよ、
というのが真意のようだ。

でも、一般には、
間違った方が
世間に流布してんじゃないかしらん(笑)。







春休み中から
足掛け2ケ月かけた
漱石の『夢十夜』の
深層分析を集大成して
製本化すべくこの連休は
「研究者」から「編集者」へと
業態チェンジをしている。

出来れば
この4日間で
「製本業者」まで変態して
仕事を現物化・可視化させたい
とガンバルつもりである。


今回の仕事で
驚くべき発見は、
多くの作品を読んできた漱石の
人としての脆弱な内面を
垣間見たことである。

ずいぶんと文豪の心的脆弱さを
こき下ろしてしまったので、
『小説家になろう』の
「研究・エッセイ」ジャンルで
一般公開したら
頑迷偏屈でコアな
漱石ファンから見たら
気分を害して炎上する恐れもあり
躊躇している処である(笑)。

こういう臆病さを
「ヘタレ」という(笑)。






先月の「カツ丼」マイブームで
ひと月に7丼もやったので、
もうこれ以上はない…と、
「打ち止め」気分でいた。

ところが、昨日、
条件反射が起こったのか(笑)、
漱石「仕事」を再開したとたんに、
また、カツ丼が脳内に浮かび、
同時に、食欲も湧いて、
欲動に負けるように
『くら島』に行ってしまった(笑)。

市内で最高峰の
『前田ポーク(三元豚)』の
カツ丼は2200円である。

何年か前にも、
一度だけ試食して
値段に見合うだけあるなと
感じたものである。

帰って来てから、
スマホ片手に
ポチポチと
ブログの原稿を
打ち込んでいた。

***

こんなカツ丼を喰った。

(『夢十夜』ふうに・・・)

( ´-`)

処は、老舗「くら島」。

値は、二千二百両。

市内最高価格である。

「前田ポーク」なる
ブランド三元豚とな。

たしかに、美味し。

なるほど、旨し。

(・・;)

豚肉160g。

「推定」総カロリー
1200kcal。

\(_ _)

よって、
晩飯を抜いた。

兎にも角にも、
たいへんな
カツ丼でありんした。

ちゃん、ちゃん。

( ^ω^)・・・

***

ついでに、
調子に乗って、
もうすぐ、
愛孫「りく坊」ちゃんの
1歳のお誕生日なので、
音楽家のジイジは、
お歌を作った。


🎵 りくぼうちゃんは
   かわいいね~
   チュパチュパ
    ンマ~❗
   チュパチュパ
    ンマ~❗
   
   りくぼうちゃんは
    げんきだね~
     キャヒキャヒ
      きゃきゃ~❗
     キャヒキャヒ
      きゃきゃ~❗ 🎵

( ^ω^)・・・






旧・子ども部屋の書棚を
マンガ文庫にして久しいが、
昨日は、さらに拡張して、
袋棚の部分まで、
扉を取っ払って
横積みの蔵書を
縦置きに展開した。

ついでに、
欠巻になっていた
『天上の弦』の
最終巻をアマゾンで
中古の廉価で注文した。

これまで、
プレミア価格がついてて
何千円もしていたものだったが、
数が出回って値崩れしてくれた。

ついでに、
珍しい深巳琳子の
未読の一巻も購入したが、
これの第二巻が稀覯書のようで
3万8千円もの
プレミア価格がついてて
魂消てしまった。






ギターのお弟子さん
ハッシーの
新しいレッスン曲として、
カディスの伝統的な
フラメンコ曲である
『タンギージョ』をコピーした。

これは、
フラメンコ教室で
踊りの伴奏を
みっちり2年間やらせて頂き、
バイラオーラ(踊り手)の
サパテアード(足さばき)や
アバニコ(扇子)の舞いなどが
しっかり脳裏に固定され、
リサイタルでも2度演奏した。

ハッシーも
将来、バイラオーラの伴奏を
経験したいというので、
そのコンパスをしっかり
伝授したいと思っている。





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『第三夜』

2021-04-11 09:10:00 | 
『第三夜』



 こんな夢を見た。

 六つになる子供を負ぶってる。たしかに自分の子である。ただ不思議な事にはいつの間にか眼が潰ぶれて、青坊主になっている。
 自分が
「お前の眼はいつ潰れたのかい」
 と聞くと、
「なに昔からさ」
 と答えた。
 声は子供の声に相違ないが、言葉つきはまるで大人である。しかも対等だ。

 左右は青田である。路は細い。鷺の影が時々闇に差す。
「田圃へかかったね」
と背中で云った。
「どうして解る」
 と顔を後ろへ振り向けるようにして聞いたら、
「だって鷺が鳴くじゃないか」
 と答えた。
 すると鷺がはたして二声ほど鳴いた。
 自分は我子ながら少し怖くなった。
 こんなものを背負っていては、この先どうなるか分らない。
 どこか打遣る所はなかろうかと向うを見ると闇の中に大きな森が見えた。
 あすこならばと考え出す途端に、背中で、
「ふふん」
 と云う声がした。
「何を笑うんだ」
 子供は返事をしなかった。
 ただ
「おとっさん、重いかい」
 と聞いた。
「重かあない」
 と答えると
「今に重くなるよ」
 と云った。

 自分は黙って森を目標にあるいて行った。
 田の中の路が不規則にうねってなかなか思うように出られない。
 しばらくすると二股になった。
 自分は股の根に立って、ちょっと休んだ。
「石が立ってるはずだがな」
 と小僧が云った。
 なるほど八寸角の石が腰ほどの高さに立っている。
 表には左〈日ヶ窪〉、右〈堀田原〉とある。
 闇だのに赤い字が明らかに見えた。
 赤い字は井守の腹のような色であった。
「左が好いだろう」
 と小僧が命令した。
 左を見るとさっきの森が闇の影を、高い空から自分らの頭の上へ抛げかけていた。
 自分はちょっと躊躇した。

「遠慮しないでもいい」
 と小僧がまた云った。自分は仕方なしに森の方へ歩き出した。腹の中では、よく盲目(めくら)のくせに何でも知ってるなと考えながら一筋道を森へ近づいてくると、背中で、
「どうも盲目は不自由でいけないね」 
 と云った。
「だから負ぶってやるからいいじゃないか」
「負ぶって貰らってすまないが、どうも人に馬鹿にされていけない。親にまで馬鹿にされるからいけない」
 何だか厭になった。
 早く森へ行って捨ててしまおうと思って急いだ。

「もう少し行くと解る。――ちょうどこんな晩だったな」
 と背中で独り言のように云っている。
「何が」と際どい声を出して聞いた。
「何がって、知ってるじゃないか」
 と子供は嘲けるように答えた。
 すると何だか知ってるような気がし出した。
 けれども、はっきりとは分らない。
 ただこんな晩であったように思える。
 そうしてもう少し行けば分るように思える。
 分っては大変だから、分らないうちに早く捨ててしまって、安心しなくってはならないように思える。
 自分はますます足を早めた。

 雨はさっきから降っている。
 路はだんだん暗くなる。
 ほとんど夢中である。
 ただ背中に小さい小僧がくっついていて、その小僧が自分の過去、現在、未来をことごとく照して、寸分の事実も洩らさない鏡のように光っている。
 しかもそれが自分の子である。そうして盲目である。
自分はたまらなくなった。
「ここだ、ここだ。ちょうどその杉の根の処だ」
 雨の中で小僧の声ははっきり聞えた。
 自分は覚えず留った。いつしか森の中へ這入っていた。
 一間ばかり先にある黒いものはたしかに小僧の云う通り杉の木と見えた。
「おとっさん、その杉の根の処だったね」
「うん、そうだ」
 と思わず答えてしまった。
「文化五年辰年だろう」
 なるほど文化五年辰年らしく思われた。

「お前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」

 自分はこの言葉を聞くや否や、今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩に、この杉の根で、一人の盲目を殺したと云う自覚が、忽然として頭の中に起った。

 おれは人殺しであったんだなと始めて気がついた途端に、背中の子が急に石地蔵のように重くなった。

*****

 これを初めて読んだときは、「漱石の怪談」だなぁ…と、感じた(笑)。怪談好きには、なかなかに佳くできた噺である(笑)。



 まず、引っ掛かるのは、「鷺が二声ほど鳴いた」「道が二股になった」「お前がおれを殺したのは百年前」という数字である。
 前者の「二」は、第一夜での「二つとまた勘定した」第二夜の「時計が二つ目をチーンと打った」というのに続いて三度目の登場である。
 登場人物も、第一夜「女と自分」、第二夜「和尚と自分」、第三夜「自分と子ども」という二者関係である。
 それでは、「二」という数は何を象徴するのか。すぐに思い浮かぶのは「対立物との統合」というイメージである。
 ユングの元型論と対応させてみると、「アニマ」「老賢者」「児童」と、それぞれ対置できる。ただし、第二夜でも述べたように、そのまま記号的に置き換えられるほどに夢は単純ではなく、重層性・多義性を考慮せねばならない。
「児童」元型そのものについては、ユングは詳述はしていなく、そこから派生した「永遠の少年」元型について多くのべている。この元型が自我に同一化(憑依)すると、いわゆる、ピーターパン・シンドロームのような、いつまでも大人にならず子どもの心性に留まっている、という状態や症状となる。
 夢に「子ども」が出てきた場合には、その「幼弱性」「創造性」「可能性」「柔軟性」「可塑性」「活発性」なぞが人格化したものと解釈する場合が多い。また、シャドウ(影)なぞは、何にでも化けて出るので、それの鑑別も必要である。
 この夢の子は、6歳にもなって、まだオンブされている。6歳といえば、小学入学前の年長さんの歳である。現実では、父親にオンブされるような年齢ではない。
 だが、目が潰れている…というのであれば、話は別である。
 ところが、突然に「青坊主」という化け物に変容する。
 これは、ウィキペディアによれば、妖怪の一種で、日本各地の伝承にその名が確認されているという。鳥山 石燕の画集『画図百鬼夜行』には、草庵のそばに立つ一つ目の法師の姿として描かれているが、それは、石燕以前に描かれた佐脇 嵩之の『百怪図巻』などの「目一つ坊」を原案として描かれたとされる。
「青」は未熟の意に通じるため、石燕は「修行の足りない坊主」を妖怪として描いたのではないか、という説もあるようだ。
 そうすると、思い出すのは、第二夜で分析したように、「悟りたくて堪らぬのに、それに達せない」漱石の心理状態を表象しているようにも感じられる。
「一つ目」というのも、選挙の「当選ダルマ」じゃないが、片目が開かない(=啓蒙に至らない)、盲目状態である、ということに通ずるものがある。 
 これを夢分析とした場合、漱石自身が見た夢なので、彼の心性の一部が「背負っている我が子が、盲目の化け物になる」という形でパーソニファイ(人格化)されたと考えるのである。
 すると、この冒頭の部分は、漱石の心的発達の過程が、「創造性」「可能性」「柔軟性」「可塑性」が「幼弱性」の段階に留まっていて、不「活発性」であることを物語っているとも解釈できる。
 これも、一、二夜に続いて、漱石ファンには、あまり嬉しくない分析結果ではある。
 


 この子の眼は昔から潰れており、声は子どもだが、言葉つきは大人で対等である…。
 漱石は、幼児期から知能が高かったゆえに大人びており、それでいて、不安定な生育環境だったので、養父母、実父母から必要にして十分な愛情を受けられず、そのことを夢では「昔から目が潰れていた」とシンボライズしたようにも思え、愛着障害様の心性により、そのインナー・チャイルド(内なる子ども)は、歪んだ異形の物としてパーソニファイされたのではなかろうか。
 そういう、幼少期の「黒歴史」と彼は「二人連れ」で、大人になってきたのである。
 


 たまたま偶然かもしれないが、「青坊主」「青田」と「青」が文中で近接している。青には、『シンボル事典』では多くの意味があるが、この場合に限っては、漱石のイメージは「青い坊主頭」と「青田買い」などの慣用語から、やはり「未熟性」と解釈するのが妥当だろう。



「鷺の鳴き声」は事典では、「憂鬱」や「喪」の象徴というのがある。
 化け物を背負って、それを何処かでうっちゃろうと思ったり、百年前に人を殺して、その相手が生まれ変わってきた、というのは、、「憂鬱」や「喪」とも関連するだろう。そして、ここにも「死と再生」や「円環する時」というカイロス的「時」も表されている。



 
 我が子ながら、化け物と化して怖くなった自分は、闇の中にある大きな森に、それを打ち捨てようと考える…。 
 自分の心と関係のある化け物といったら、やはり、それはシャドウ(影)である。「怖いもの」「闇の中にあるもの」「鬱そうとした森にあるもの」というのは、よくその性質を表わしており、民話・童話のたぐいでも度々そのような描写が見られるものである。
 他にも、「鷺の影が闇にさす」「森が闇の影を、頭の上へなげかけていた」「一間先にある黒いもの」などというシャドウを印象たらしめる表現も見られる。
 


 道の二股で、自分は、背中の「小僧」から「左に行け」と命じられて、それに従う。「空間象徴」で「左」は、過去、無意識、母親、始まり、などを意味する。
 背中の小僧は、「どうも盲目は不自由でいけないね。どうも人に馬鹿にされていけない。親にまで馬鹿にされるからいけない」と言い、自分は「何だか厭になって、早く森へ捨ててしまおうと思った」とある。
 この部分からは、第一夜でもふれたが、漱石の乳幼児期の生い立ちが連想された。すなわち、生まれて間もなく、里子に出された先の古道具屋で邪険に扱われて生家に戻されたり、すぐにまた、名主の家に養子に出されるが、今度はそこの夫婦の不和により7歳で養母と共に一時的に生家に戻され、9歳になって養父母の離婚により、正式に生家に戻された。この時、漱石は、実父母を祖父母と思い込んでいたのである。
「盲目は不自由」というのは、幼かった故に、自分の運命を如何ともし難かったし、当人からしたら養父母はじめ実父母から「馬鹿にされた」ようなものである。だからこそ、そんな「黒歴史」は、「厭なもので、捨ててしまいたい」と思っても無理からぬことである。



 背中の子は、所々で予言めいた言葉を吐く。
「今に重くなるよ」「石が立ってるはず」「もう少し行くと解る」
 すると、自分もなんだか、知っていたようなデジャヴュ感が湧いてくる。
 それもそのはずで、シャドウは自分自身の無意識であり、ある程度の自律性を持ってはいるものの、自我(意識)に統合されているうちは、さほどに、勝手気ままに振る舞うことはできないのである。
 それが、自我が脆弱な状態に陥って、統合状態から逸脱して解離すると、「解離性同一性障害」いわゆる「多重人格」のような症状を呈するようになる。
 精神科医でもあったユングは、「悪魔付き」や「悪霊付き」といった憑依現象のようなものは、分析治療の過程で、その無意識下のシャドウが人格化して自我(意識)を乗っ取った状態であることを解明した。
 心理学的には、一般に「同一化」と言うが、ユングは完全に同一化してしまい、自我が追いやられた場合には「憑依」と表現していた。
  


 背中の子は、「自分の過去、現在、未来をことごとく照して、寸分の事実も洩らさない鏡のように光っている」というのは、さすが、文豪らしい表現である。
 ユングは、シャドウ元型は、まさしく、物理的な“影法師”のごとく自分に付きまとって離れない「もうひとつの自分」であると考えた。
 それゆえ、それから逃げるよりも、向き合い、対決して、自我に統合できれば、やがては「暗く黒い闇」から「明るく金に輝く」ようになるという心的発達の過程を多くの患者の分析を通して明らかにした。
 この時、不安や葛藤、恐怖に勇気をもって対峙する姿を、「英雄」元型が働くとも言った。



 夢のクライマックスは、100年前に、杉の根元の処で、自分が今背負っている子の前世の「おれ」を殺した、ということを告げられて、それを思い出すのである。
 ここでも、第一夜のように「100年」が出てくる。しかも、「文化五年の辰年」という具体的な年代まで表されるが、念のために調べてみたら、「フェートン号事件」という鎖国体制下の長崎にイギリス軍艦が侵入してきて、その対応に不始末のあった奉行が引責切腹するということがあった。
 一見、関係なさそうでもあるが、無理にこじつければ、鎖国中の日本を「自我」と例えれば、外国から侵入してくる軍艦は「シャドウ」と同じようにも思える。
 自我強度(ego strength)が弱い「自我脆弱性」があると、自我境界も弱く、シャドウは自我に「侵入してくる」ことがある。そして、時に、先述したように、シャドウに乗っ取られると「人格交代」のような現象が起こる。そのままで、元の自我に戻れなければ、それは死んだも同然になる。
 


 この怪談とも悪夢とも言える噺の最後の落ちは、「おれは人殺しだったと気づいた途端、背中の子が(予言通り)急に石地蔵のように重くなる」。
 これは、どういうことであろうか。無意識は、夢という「前意識」を通じて、意識(自我)に何をメッセージしているのであろうか。
 これは、あくまでも「夢」の中での「人殺し」である。夢の中で「死ぬ」「殺す」というのは、巷の夢占いのように不吉だとかとは全く関係なく、「抑圧」や「変化」を意味することが多い。
 最後になって、「自分(漱石)」は殺された「おれ(背中の子)」と同じ主格の「おれ」に変じている。ここにおいて、「自分=おれ」となり、素直に解釈すれば、自分は「背中の子」を過去に抑圧し、今もなお、それと向き合おうとせずに放逐しようとしている、ということである。
「影との対決」を先延ばしにしてきたので、それは、どんどん重くなり(無意識下で肥大し)、やがては、それに圧し潰され、生活史のどの時点かで「クライシス(危機)」に直面するやも…と、無意識は夢というイメージの物語で警告している。
 事実、漱石は、「中年の危機」とも言える重度の神経症の再発や、胃潰瘍の重症化で命取りとなった。
 最後の最後に「石地蔵」というのも意味深長である。お地蔵様は「子どもの仏様」である。
 青坊主という化け物(シャドウ)も、それを抑圧・封殺せずに、勇気をもって対峙し、自我に統合できていたら、あれほどに欲していた「仏性=悟りの境地」にも至れた可能性があったのである。
 なぜ、彼は戦えなかったのか…。それは、乳幼児期に形成されるべき「原信頼感」が欠如していたからなのである。バリントが言う「基底欠損」心性だったからなのである。
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「第二夜」

2021-04-11 09:09:00 | 
「第二夜」

 こんな夢を見た。

 和尚の部屋をさがって、廊下づたいに自分の部屋へ帰ると、行灯がボンヤリ点っている。
 片膝を座蒲団の上に突いて、灯心を掻き立てたとき、花のような丁子がパタリと朱塗の台に落ちた。
 同時に部屋がパッと明るくなった。

 襖の画は蕪村の筆である。
 黒い柳を濃く薄く、遠近(おちこち)と描いて、寒そうな漁夫が笠を傾むけて土手の上を通る。
 床には海中文殊(菩薩)の軸が懸かっている。
 焚き残した線香が暗い方でいまだに臭っている。
 広い寺だから森閑として、人気がない。
 黒い天井にさす丸行灯の丸い影が、仰向く途端に生きてるように見えた。
 
 立膝をしたまま、左の手で座蒲団をめくって、右を差し込んで見ると、思った所に、ちゃんとあった。
 あれば安心だから、蒲団をもとのごとく直して、その上にどっかり坐すわった。
 
「お前は侍である。
 侍なら悟れぬはずはなかろう」
 と和尚が云った。
「そういつまでも悟れぬところをもって見ると、お前は侍ではあるまい」
 と言った。
「人間の屑じゃ」
 と言った。
「ははあ怒ったな」
 と云って笑った。
「口惜しければ悟った証拠を持って来い」
 と云ってプイと向こうをむいた。
 怪しからん。

 隣の広間の床に据えてある置時計が、次の刻を打つまでには、きっと悟ってみせる。
 悟った上で、今夜また入室する。
 そうして、和尚の首と悟りと引替えにしてやる。
 悟らなければ、和尚の命が取れない。
 どうしても悟らなければならない。
 自分は侍である。
 もし悟れなければ自刃する。
 侍が辱しめられて、生きている訳には行かない。
 綺麗に死んでしまう。

 こう考えた時、自分の手はまた思わず布団の下へ這入った。
 そうして、朱鞘の短刀を引きずり出した。 
 ぐっと束(つか)を握って、赤い鞘を向こうへ払ったら、冷たい刃が一度に暗い部屋で光った。
 凄いものが手元から、スウスウと逃げて行くように思われる。
 そうして、ことごとく切先へ集まって、殺気を一点に籠めている。
 自分はこの鋭い刃が、無念にも針の頭のように縮められて、九寸五分の先へ来てやむをえず尖ってるのを見て、たちまちグサリとやりたくなった。
 からだの血が右の手首の方へ流れて来て、握っている束がニチャニチャする。
 唇がふるえた。
 
 短刀を鞘へ収めて、右脇へ引きつけておいて、それから座禅を組んだ。
 ―趙州(じょうしゅう/禅僧)曰く「無」と。
 無とは何だ。
 糞坊主め…と、はがみをした。
 奥歯を強く咬み締めたので、鼻から熱い息が荒く出る。
 こめかみが釣って痛い。
 眼は普通の倍も大きく開けてやった。
 
 懸け物が見える。行灯が見える。畳が見える。
 和尚の薬缶頭がありありと見える。
 鰐口を開いて嘲(あざ)笑った声まで聞える。
 怪しからん坊主だ。
 どうしてもあの薬缶を首にしなくてはならん。
 悟ってやる。
 無だ、無だ…と、舌の根で念じた。
 無だと云うのに、やっぱり線香の香いがした。
 何だ線香のくせに。

 自分はいきなり拳骨を固めて自分の頭をいやと云うほどなぐった。
 そうして、奥歯をギリギリと噛んだ。 
 両わきから汗が出る。
 背中が棒のようになった。
 膝の接ぎ目が急に痛くなった。
 膝が折れたってどうあるものかと思った。
 けれども痛い。苦しい。
 無はなかなか出て来ない。
 出て来ると思うとすぐ痛くなる。
 腹が立つ。無念になる。
 非常に口惜しくなる。涙がホロホロ出る。
 ひと思いに身を巨巌(おおいわ)の上にぶつけて、骨も肉もメチャメチャに砕いてしまいたくなる。
 それでも我慢してじっと坐っていた。
 堪えがたいほど切ないものを胸に盛りいれて忍んでいた。
 その切ないものがからだ中の筋肉を下から持ち上げて、毛穴から外へ吹き出よう吹き出ようと焦せるけれども、どこも一面に塞がって、まるで出口がないような残刻極まる状態であった。
 そのうちに頭が変になった。
 行灯も蕪村の画も、畳も、違い棚も有って無いような、無くって有るように見えた。
 と云って無はちっとも現前しない。
 ただ、いいかげんに坐っていたようである。
 ところへ忽然、隣座敷の時計がチーンと鳴り始めた。
 はっと思った。
 右の手をすぐ短刀にかけた。
 時計が二つ目をチーンと打った。

*******

 一読後、「はっと思った。… 時計が二つ目をチーンと打った」という箇所が、第一夜目の「(赤い日が西へ落ちて)二つとまた勘定した。… 百年はもう来ていたんだなとこの時始めて気がついた」という部分を彷彿させた。
 一夜目でもふれたが、これらの描写からは、時計的な「時間」(クロノス)と、意味のある「時」(カイロス)の違いを、漱石は、しっかり認識していたことが解かる。


 
 漱石は実際に参禅もし、その体験の一部が『門』にも表されている。かの主人公・宗助も、漱石自身も、短期間の参禅では、とうてい悟りなぞは開けるものではなかった。皮肉を込めて言えば、文字通り「門前払い」を喰ったようなものである(笑)。それでも、漱石は、晩年に至るまで「悟りの境地」に憧れていたようである。


 
 
さて、この夢では、禅の老師が、参禅者の漱石に対して、公案(禅問答)を出し、なおかつ、侍ということになっている漱石を挑発・愚弄するかのような言を発している。こういうような臨済禅のスタイルもあると聞いたことがある。
 この老師の役所は、からかう辺りは、いっけんトリックスター(道化性)のようであるが、それを殺してしまおう、とまで思わせるのだから、対決の相手としては、シャドウ(影)的なものと見ることもできよう。
 キリストや釈尊が、悟りの過程でも、悪魔の脅しや甘言があり、それを跳ねのけたからこそ、開祖となりえたのである。仏教学者の中村 元(はじめ)先生によれば、この悪魔とは、キリストや釈尊の中にあった影的な「こころ」の一部が人格化したものであろう、と仰っていた。とすれば、それはユングの言ったシャドウ元型と同様のものである。
 漱石の知性は、第一夜でも指摘したが、合理性に偏っていたきらいがあり、それを補償しようと、「直観的」で知性を超えるような「悟性」を希求していたのであろうと思われた。
 そして、彼は、夢にも出てくる禅僧の公案など、多くの深淵な「禅の知」について、文献的な研究をしていたという。
 しかしながら、「自転車の乗り方」という本が存在しないように、それは実際に乗ってみて幾度も転び、痛い思いをして、やっとカラダが勝手にその「乗り方」をマスターするのと同じく、禅による悟りも、座禅・瞑想してこそ、至れる境地なのである。ただし、自転車乗りとの相違は、誰もが悟れるとは限らないのである。
 漱石は、本を読んでも、参禅しても、ついぞ悟りには達せなかった。そのことは、彼ほどの知性を持った人間には、忸怩たる思いを抱かざるを得なかったであろう。
 それゆえ、「悟りたかった」という無念の思いは抑圧され、無意識下に追いやられたかのように見えたが、どっこい夢には、フラッシュバックのように、自動思考的に問い質されるのである。
 ユングは、このようなシャドウとは向き合わねばならない、と言い、それを自我に統合することが「個性化の過程」や「自己実現」の大事なプロセスでもある、と言った。
 夢では、必ずや悟って、糞坊主(笑)の首と引き換えにしてやる、という恐ろしいほどの覚悟と「攻撃性」が表れているが、結果的には「悟りもせず」「糞坊主も殺せず」と、何一つ成し遂げておらず、ル・グウィンの『影との戦い』の主人公ゲト(ハイタカ)とは大違いである(笑)。
 こうして見ると、第一夜では、「アニマを救えず(生かせず)」、第二夜では「影とも戦わない」では、あまりにも、「英雄的」側面からは遠くて、通過儀礼さえ体験し得ぬ、まさに、「何も始まらず、何も終わらない」心的“ヘタレ”状態で、いささか幻滅を催さないでもない。
 

 
 夢の中の主人公は、老師や禅僧による公案の答えを得ようとして、「無を知ろう」と頭で考えるという誤謬を犯しており、その言語の渦たる雑念に翻弄されている。これは、想像するに、明治期の東大卒のインテリだった漱石が実際の参禅体験でも陥った愚行ではなかったろうか。
「言語道断」というのは、今日的な意味では、トンデモナイこと、というように用いられているが、元々は、「言語」というものは「道」(タオ=宇宙的本質)を「絶つ」という戒めなのである。
 
 初学者は、夢分析において、老人が登場した場合、すぐに「老賢者」の元型と解釈しようとするが、そのような置き換えのような方法は、ユングは記号的解釈として、厳に戒めた。
 それでも、素直に、老師・禅僧を「老賢者」と見たならば、どのような解釈が成り立つのかもいちおうは探ってみたい。
 冒頭の「和尚の部屋をさがって、廊下づたいに自分の部屋へ帰ると、行灯がボンヤリ点っている」という一文で、「和尚の部屋」と「自分の部屋」をつなぐ「廊下」という構造がある。
 これを、「老賢者」(無意識)、「自我」(意識)、「夢」(前意識)と置き換えてみると、三層構造の関係性がみられる。
 砕いて言えば、表層意識にある自我が、深層意識にある老賢者へ接近ないし接触を図っている、とも解釈できる。
「行灯がボンヤリ点っている」描写は、ユングの夢に出てくる「このカンテラの灯だけは、この吹雪の中でも、どんなことがあっても消してはいけないと思った」という場面を彷彿させられた。
 ユングは、地下に降りる夢で、無意識に接しようとする時には、意識(自我)を象徴する「カンテラの灯」を重要なものと考えていた。
 そうでないと、無意識の底知れぬ力によって自我が壊れてしまうと、日常の現実に戻って来れなくなるからである。
 この夢では、ボンヤリした「自我意識」も「灯心を掻き立てると、パッと明るくなる」と言っている。すなわち、参禅し悟りに至れば「enlightenment(啓発/啓蒙)」されるのである、と象徴的に表されているように思われた。


  
 原文では、第二段落に、「蕪村の襖画」と「文殊菩薩の掛け軸」が対置して出てくる。
 鎌倉の勧行寺には、昔、ある漁師が漁で、仏像を釣り上げ家に持ち帰ったところ、家中のものがうなされたため、お寺に納めた、という言い伝えがあり、その仏像は「海中文殊菩薩」と言われている。
 漱石は、29歳の折に、鎌倉の円覚寺で参禅を行っているので、おそらくは、この逸話も知っていたのだろう。
 それで「漁夫」と「海中文殊」がセパレートして対置されているものと思われる。
 シニカルな記号的解釈を施せば、魚は無意識のシンボルであり、それを得ようとして「仏様=悟り」を得たものの、己れの身の丈にあわず、それを返上した、とも読める。
 海も無意識のシンボルであり、そこにある「文殊(菩薩)」は「智慧」が人格化した「老賢者」でもあり、意識と無意識の中心である「セルフ(自己)」に近いものであろう。
 それをまだ扱えないという理由は、その後段にある、「線香の臭い」やら「寺の森閑さ」やら「行灯の影が生きてるように見えた」やら、嗅覚・聴覚・視覚へ意識が捕らわれているからなのであるように思われる。


 
 第三段落では、座蒲団の下に潜ませている短刀を確認して安心する、というシーンがある。
 この短刀でもって、悟ったら「和尚の首をとる」、もしくは、悟れなかったら「自刃する」という箇所がある。
 また、「からだの血が右の手首の方へ流れて来て、握っている束がニチャニチャする」と、血を見ている。
 これらの「殺す」「死ぬ」「血を伴う」というのは、通過儀礼におなじみの事であるが、結局は、血は見たものの、殺せも自死もできていない。すなわち、何らの心的変容をも遂げてはいない。これは、先にも述べたとおりである。
 座禅を組んで、肉体的苦痛の極限まで行くも、どこまでも感覚や知性が働いてしまい、解脱には至らず、「そのうちに頭が変になって、周囲の物が、有って無いような、無くって有るような」という変性意識になりかけるが、「無」に固執するあまり、ついぞ一線を超えられず、「時計がチーンと鳴って、ハイ時間切れ」となる(笑)。
 なんだか、中途半端な修行だなぁ…と、思わざるを得ない。
 いくらか、滑稽感もあり、まるで『坊ちゃん』の主人公が、キリキリ歯噛みして文句をたれながら力んでるような姿さえ彷彿された。


 
 漱石の大きな誤解の一つに、悟りとはゴールではなく、一つの通過点であり、仏でさえも「過ちを犯す」という『十界互具』という仏説を知らなかったか、理解していなかったのではないかと思われた。
 彼は、最晩年にまで、禅の勉強をし、禅僧と交わるも、彼の望んだ「悟りの境地」にたどり着けなかったのは、第一夜でも述べたように、アニマという「創造性」を生かしきれなかったことに加え、第二夜のように、シャドウを自我に統合できず、ユングの見出した錬金術的な心の進化的変容である「賢者の石(智慧)を触媒として、俗的心性を聖的心性に変える」ことが出来なかったからであろう。
 彼の煩悶は、「創造の病」的に作品には結実したが、自身の「個性化の過程」や「自己実現」においては、中途半端に人生を終えたような印象を抱いてしまう。
 そのことは、第一夜でも述べたように、幼少期に基本的信頼感が十分に獲得されなかったこと(観音様的な母性を獲得していないこと)や、感性よりも知性がはるかに高く偏っておりバランスを欠いていること(ある意味、プチ発達障害?)、そして、頑健な肉体を持てなかったこと、などが挙げられるように思う。
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マイ誕プレ

2019-12-04 06:30:00 | 
今週の金曜日が
誕生日なので、
毎年、「マイ誕プレ」を
何にしようかと迷う時季である。

いつも
「一万円縛り」という
ルールでゲーム化している。

ボンビー・カウンセラーなので、
ふだんはチマチマとした
数百円規模の生活をしているので、
この時とばかり
お大臣気分で(笑)、
ドーンと大枚を使おうというのである。

「一円を割ってでも使え。
 一万でもドーンと使え」
というのが
我がマネー・モットーである。
(スケールちっちゃー・・・笑)

…:;(∩´﹏`∩);:.




朝刊チラシの
電気屋のなかに
ちょうど「10.000」という数字と
「ハンド・マッサージャー」の文字と
外人ネーチャンの奇態なかっこを見て
これはオモロソウやな・・・と、
食指が動いた。

なにしろ、
毎朝ごとに
床んなかで
指を揉まずばいられないような
変形性関節炎痛やら
ピアノ練習痛なので
突っ込んでおくだけで
モミモミしてくれるのは
アリガタイかもである。

それに、
マッサージャー系が好きなので、
チェアやら足専用機やら
低周波装置やら
いろいろ揃えてきた。

足をスッポリ包んで
エア加圧する装置も
いいなぁ・・・とも
思っている。





ハルキ物の初期傑作と
賞されている中編の
『世界の終わりと
ハードボイルド・ワンダーランド』を
読了したが、
大してオモロクなかった。

超駄作の
『アフターダーク』ほどではないが、
それでも、物語としての面白味がなくて
読んでてワクワク感が起こらなかった。

朝刊の読書案内で
未読の
『ニュクスの角灯(らんたん)』
というレトロチックな内容に惹かれて
初巻をアマゾンで買ってみた。

作者の高浜 寛(かん)は、
筑波大美術系卒の異色の女性漫画家で、
絵が何処となくアーティスティックで
従来のマンガ離れしており
新鮮であった。

ツタヤのレンタルには
取り揃えていないので
買うより仕方がなく、
初巻をまあまあ読めたので
2巻目を注文した。

6巻で完結しているようなので、
オモロイと感じてるうちは
読了するごとに
続巻を注文していこうと考えている。

河合先生から教わった
「オモロイかどーかを、
人生の基準にする・・・」
というのも
楽な生き方でいい。

近頃では、
人生の残り時間が
至極貴重に思えてきて、
付き合うてオモロクない人とは、
スッパリと関係を経つことに
全く躊躇がなくなった。





ここの処、
メンタル系通院している生徒たちが、
一様に「うつ」っぽく、
テンションが上がらず、
不定愁訴で苦しんでいるのが見られて
気の毒に思っている。

同様に、「うつ」持ちで、
自律神経系が過敏な自分も
長風邪が抜けないような
カラダの不調感があり、
長男の結婚式に無事に出れるか
一抹の不安があったので、
Tちゃん先生に“お届け”して
御新米をお下げ頂いた。

そして、前日には、
わざわざメールを頂いた。

「明日は、ご長男の結婚式ですね。

新郎新婦様のご体調はじめ、
ご家族、参列の皆様方の
無事を祈念させて頂きます。

また、道中の上に、天候の上に
そして、ギター演奏の上に
万事お繰り合わせ頂きますよう
祈念させて頂いております」
との有り難いお言葉だった。

こういうのを
「陰膳」と同様に
「陰祈念」と言う。

自分も
家族はじめ
クライエントの方々の
陰祈念を毎日、させて頂いている。

カウンセリング直後には
退室した後姿や
カルテを押し頂いての
陰祈念をもさせて頂いている。

「御新米」は、
金光教独特のもので、
中にはお米の粒が入っている。

これ自体をお守り代わりとしてもいいし、
幼少の頃から、喘息で発作を起こすと、
母親から中のお米をクスリのように
頂かされた。

自分は、病身・脆弱だったので、
祖母・母親からの三代目だが、
兄もカミさんも、
子どもたちも誰も
信仰は持っていない。

生物学・心理学と
自然科学・人文科学を専攻してきても、
「サムシング・グレート」は
幼い頃から刷り込まれているので、
「神」とは何かという大疑問と共に
ここまで歩んできた。

自らの理論が元となり
原爆投下に関与して
苦しんだアインシュタインは
「宗教のない科学は盲目だが、
科学のない宗教も盲目である」
という名言を残した。



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プチ・レジャー

2019-08-29 06:58:00 | 
いまだに就寝時は
タオルケットで休んでいるので、
ここの処の朝方の寒さでやられたのか、
おとつい辺りから
寝起きのカラダが痛くて
仕方なしに鎮痛薬で凌いでいた。

そしたら、
頑丈一式のカミさんも
ダルクて仕方がない、
と珍しくボヤいていた。

いまだ真夏モードの自律神経系が
ここ最近の長雨、低温、高湿度で
適応不全なのかもしれない。

おなかも張って
ゴロゴロいってるので
整腸剤も呑んでおいた。

幸い週末はオールオフなので、
来週の仕事に備えて
養生しようと思う。



きのうは
午前にはカウンセリングがあり、
夜からは宗教セミナーだった。

合間の時間には
夕飯の買い物がてら
久しぶりに県立図書館に赴き、
家で読んでいた本をリュックに入れて
書香につつまれた館内の一角で
2章ほど読み進めた。

この休み中の
「海行き」で、
相馬の古書店で買ってきた
『海辺のカフカ』を
上下巻で800頁ほどだったが、
面白く読了した。

相変わらずの
ハルキ・ワールドで、
不思議な世界観に
誘ってくれた。

小説や物語には
教訓や教養めいたものを
求める必要もなく、
読後に
「あ~。面白かった」
となれば十分である。

昨晩のセミナーでも
話題になったが、
我々はこの一つの宇宙(ユニバース)で
一回性の人生を過ごす、
という大前提があるので、
他の可能性や多くの人生を垣間見たい
という欲求から『物語』を
希求するのだと思っている。

それを、
自分の場合は、
漫画・小説・映画・ドラマという
ソフトによって満たしている。

ギターやピアノ音楽を
聴いたり、弾いたりすることでも、
作曲家の人生をなぞるような
気分を味わうことができる。

そして、
自らもファンタジーや物語、
小説、童話、怪談なぞを
細々と創作しては
ネットに発表したり
冊子化してきた。

河合先生は、
世界にある物語のパターンは
出尽くした感があるが、
カウンセリングでお会いする方々の
生き様には、それぞれに
独自な物語がある、
と仰っていた。

なるほど、
それには同じカウンセラーとして
いたく同感である。

自作冗句に
【乞食とカウンセラーは、三日やったらやめられない】
というのがある。

まさしく、
「事実は小説より奇なり」で、
これまで、
多くの人たちの人生を
垣間見てきたが、
そのダイナミズムに
心奪われるのは
生来の「物語好き/人間好き」
なのかもしれない。



この夏休み中の
“取って付けたような”
プチ・レジャーの画像を整理しながら
それぞれの想い出を
反芻して味わっていた。

「塔のへつり」と「大内宿」は
とりあえず「行ったなぁ・・・」
という程度で満足した。

裏磐梯では、
カミさんと幼いナッちゃんと
三人で泊まった
一泊2.500円の「イチロー莊」が
つぶれていた。

名前もユニークで、
お婆ちゃん一人でやってたので、
さすがにもう続かなくなったのか、
あるいは亡くなられたのかもしれない。

ボロっちい木賃宿だったが、
それなりに昭和中期の風情があった。

訊けば、
爺ちゃんの名前が
「イチロー」だったというが。

裏磐梯で温泉付きで
一泊2.500円というのは、
他にはない破格の宿だっただけに
残念ではある。

元々古い宿が
廃墟然として鬱蒼とした
森んなかに佇んでいると
なにやら心霊スポットに
見えなくもなかった。

***

数え切れぬほど訪れている
松川浦では、
はじめて寄ってみた
結婚式場併設のレストランで、
ランチに食した
「相馬産の丸蟹のパスタ」が
濃厚なカニミソ風味で
いまだに脳裏に残っている。



のっぺりした日常に堕さないようにと
「初めて・珍しく・久しぶり」
という〈変化のキーワード〉を
日常に実践している。

そんなんで、
街出のついでに、
初めて〈平和通り〉の
地下駐車場に入ってみた。

完成したのは
震災以前かもしれないが、
いまだかつて利用したことがなかったので、
この機会に地下に潜ってみた。

あの上下6車線の
大通りの地下に潜るというのも
なんだか不思議な気分がした。

お目当ての地上のカフェに
最も近い駐車場所を探り
そこからエスカレーターで
地上に出てみたら
「ビンゴーッ!!」
であった(笑)。

こんなグタラナイことでも
ちょっとしたゲーム性が
あるものである。

なにせ
ライフ・モットーが
【人生を遊ぶ】
であるから、
この世を楽しむために
生れてきたのである。

そのための
カラダと意識だと
思っている。



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