未だに
朝夕の寒暖差が
10℃近くあるためか、
どうも体調が思わしくない。
昨日は、
日中29℃にもなり、
室内ではエアコンがいるほどだったが、
夜には、22℃まで下がり、
毛布にくるまって寝るようだった。
体がダルくて
節々や背中が痛く、
おなかの調子もよくないので、
まだ、風邪が抜け切れていないのだろう。
それにしても
1ヶ月近く、体調が
安定しない。
「アラシックス」なので
回復が遅いのだろうか。
市立図書館を
ブラウジングしていたら、
CDコーナーで
河合先生の未聴のセットを見つけ
歓喜した。
ほとんどすべて
蒐集したとばかり思っていたが
まだ見落としていたものが
あったのも不思議ではあった。
久しぶりに、
かつてのベストセラー
『絶対音感』を再読し、
音楽の本質とは何だろうか・・・と、
半日、熟考してみた。
自分に
絶対音感がないのを知った時には、
情けなく思った頃があったが、
50年近く、自己調律楽器である
ギターをやってきたので、
相対的音感は身についている。
20代の頃から、
レコードやCDを耳コピーして
膨大な曲を採譜してきたので
ギター曲なら音の位置が解り、
楽譜にすることができる。
それは、絶対音感ではなく、
「ダイタイ音感」という。
80を過ぎた老母に、
町内費を立て替えたのを
返して欲しいと言ったら、
なんと、旧100円紙幣で寄こしたので、
何処にこんなのを
仕舞っておいたのだろうかと
怪訝に思ってしまった。
子どもの頃は
500円冊同様、よく目にしていた
板垣退助さんだが、
久しぶりに見て、
「板垣死すとも自由は死せず」
という名文句が浮かんだ。
もっとも、これは
最近では、板垣の発言ではなさそうだ、
というのをネットで
見たことがある。
3.11の時に、
自分の祖母(息子たちの曾祖母)から
もらった伊藤博文の旧千円冊を
アキとナツに渡したことがあるので、
これも二人に一枚ずつあげようと思う。
*******
2011/3/16
当時のブログである。
http://gold.ap.teacup.com/applet/fumiakinatu2009/archive?b=1519
********
今現在、4号機でまた火災が発生した。
中2のナッちゃんでさえ
「もう、どうにでもしてくれ」
と笑いながら、コタツに大の字になった。
「死ニ方 用意」
を家族に上意下達しており
遺書も書いたので
いくらか気分は軽くなった。
アキとナッちゃんは
今日、京都の知人宅に疎開させる。
東北新幹線が不通なので
那須まで車で送り届け、
そこからは子どもたちの自己判断で
京都まで行かせる。
4月からは高3・中3だから
それくらいの避難道中が
できなくては困る。
彼らにとっても苦い
大変な青春の思い出だろう。
アキは京都生まれで
0歳で帰郷したので、
「お里帰りか…」
と苦笑していた。
「向こうでバイトしなきゃ…」
とも健気に洩らしている。
長男が私大で、家のローンもあり、
まったく裕福でなく、備蓄もない
我が家にこの災害出費は痛手である。
自分が25歳で
大阪に新任教員として赴任するとき
当時、寝たきりで年金生活の祖母が
のし袋に「餞別」をくれた。
袋の裏には
「1983.3.7
from GM」
と記してある。
もったいなくて使える性質のお金ではないので
長らく神棚の祖母の遺影の前に供えていた。
今こそ、それを開ける時だと
昨晩、28年の時を経て
はじめて開封してみたら
中から伊藤博文の旧千円札が2枚でてきた。
自分を置いて
東北から遠い関西に人生の旅出をする孫に
老婆が年金の中から入れてくれたのである。
今、その貴重な「お守り」を
アキとナッちゃんに一枚ずつ渡した。
これは、
「曾(ひい)お婆ちゃんの魂だから。
困ったときに使え」
と教えた。
朝夕の寒暖差が
10℃近くあるためか、
どうも体調が思わしくない。
昨日は、
日中29℃にもなり、
室内ではエアコンがいるほどだったが、
夜には、22℃まで下がり、
毛布にくるまって寝るようだった。
体がダルくて
節々や背中が痛く、
おなかの調子もよくないので、
まだ、風邪が抜け切れていないのだろう。
それにしても
1ヶ月近く、体調が
安定しない。
「アラシックス」なので
回復が遅いのだろうか。
市立図書館を
ブラウジングしていたら、
CDコーナーで
河合先生の未聴のセットを見つけ
歓喜した。
ほとんどすべて
蒐集したとばかり思っていたが
まだ見落としていたものが
あったのも不思議ではあった。
久しぶりに、
かつてのベストセラー
『絶対音感』を再読し、
音楽の本質とは何だろうか・・・と、
半日、熟考してみた。
自分に
絶対音感がないのを知った時には、
情けなく思った頃があったが、
50年近く、自己調律楽器である
ギターをやってきたので、
相対的音感は身についている。
20代の頃から、
レコードやCDを耳コピーして
膨大な曲を採譜してきたので
ギター曲なら音の位置が解り、
楽譜にすることができる。
それは、絶対音感ではなく、
「ダイタイ音感」という。
80を過ぎた老母に、
町内費を立て替えたのを
返して欲しいと言ったら、
なんと、旧100円紙幣で寄こしたので、
何処にこんなのを
仕舞っておいたのだろうかと
怪訝に思ってしまった。
子どもの頃は
500円冊同様、よく目にしていた
板垣退助さんだが、
久しぶりに見て、
「板垣死すとも自由は死せず」
という名文句が浮かんだ。
もっとも、これは
最近では、板垣の発言ではなさそうだ、
というのをネットで
見たことがある。
3.11の時に、
自分の祖母(息子たちの曾祖母)から
もらった伊藤博文の旧千円冊を
アキとナツに渡したことがあるので、
これも二人に一枚ずつあげようと思う。
*******
2011/3/16
当時のブログである。
http://gold.ap.teacup.com/applet/fumiakinatu2009/archive?b=1519
********
今現在、4号機でまた火災が発生した。
中2のナッちゃんでさえ
「もう、どうにでもしてくれ」
と笑いながら、コタツに大の字になった。
「死ニ方 用意」
を家族に上意下達しており
遺書も書いたので
いくらか気分は軽くなった。
アキとナッちゃんは
今日、京都の知人宅に疎開させる。
東北新幹線が不通なので
那須まで車で送り届け、
そこからは子どもたちの自己判断で
京都まで行かせる。
4月からは高3・中3だから
それくらいの避難道中が
できなくては困る。
彼らにとっても苦い
大変な青春の思い出だろう。
アキは京都生まれで
0歳で帰郷したので、
「お里帰りか…」
と苦笑していた。
「向こうでバイトしなきゃ…」
とも健気に洩らしている。
長男が私大で、家のローンもあり、
まったく裕福でなく、備蓄もない
我が家にこの災害出費は痛手である。
自分が25歳で
大阪に新任教員として赴任するとき
当時、寝たきりで年金生活の祖母が
のし袋に「餞別」をくれた。
袋の裏には
「1983.3.7
from GM」
と記してある。
もったいなくて使える性質のお金ではないので
長らく神棚の祖母の遺影の前に供えていた。
今こそ、それを開ける時だと
昨晩、28年の時を経て
はじめて開封してみたら
中から伊藤博文の旧千円札が2枚でてきた。
自分を置いて
東北から遠い関西に人生の旅出をする孫に
老婆が年金の中から入れてくれたのである。
今、その貴重な「お守り」を
アキとナッちゃんに一枚ずつ渡した。
これは、
「曾(ひい)お婆ちゃんの魂だから。
困ったときに使え」
と教えた。
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