「ネット終活」したことで、
早くも生活のフェーズが
変わりつつある。
こうなってほしいなぁ…と、
漠然と思い描いていたことが
起こってきたり、
新たな人たちとの関係性が
始まったり…と、
なんだか階段を一段上がったような
心境である。
今までにも幾度も体験してきた
「死と再生」に
イニシェートされている今を
生きている感じである。
【新しい酒は新しい革袋に】
である。
ヴァーチャル時空よりも
リアル時空が充実する方が
いいに決まっている。
仕事面が充実してきて、
やり甲斐のあるケースが
増えてきているのも
有り難い。
真剣に取り組む人たちだけを相手に
全人的に生きる
というのは
大変だが生き甲斐にもなる。
ここに来て、
カウンター数席の店で
常連と時たまのご新規客を相手に
やれる範囲、関われる範囲で
すべき事をやるだけである。
エリクソンの提唱した通り、
65歳までの壮年期の発達課題でもある
「自己停滞」と「世代間継承」をも
今まさに、それに当たっている。
⁂
3.11やらコロナ禍やらで、
人生、何が起こっても
不思議でないことを
痛感させられたし、
予定調和なぞも怪しいものだ
とも思っている。
ならば、
「今、ここ」を生きよ、
である。
人生、深生きするには、
この瞬間を味わえ、
である。
⁂
量子には
粒子としての性質と
エネルギーとしての性質の
二面性がある。
してみれば、
量子から成る我われも
粒子(物質)的側面と
エネルギー的側面の
二側面を持ち合わせているのも
道理であるなぁ…と、
ふと気が付いた。
あらゆる宇宙的現象が
熱力学的な法則に従う、
としたならば、
エントロピーの増大には
抗えないので、
秩序あるものは必ずや崩壊し
ランダム化に向かう。
生命体のみが、
唯一、かりそめの間、
エントロピーを減少させるべく
たえず新陳代謝をしているのである。
個体がそのエントロピーを
減少できなくなった時が
死を迎える時だか、
それでも、次世代に
生物的遺伝子と文化的遺伝子を
引き渡して、その個体の
生きた証ともいえる
情報を継承するのである。
個体として滅びることにより
種の秩序は維持され、
エントロピー増大の宇宙律に
抗っているのである。
…などということを
今回の「通過儀礼」の渦中にあって
思考実験で得た。
「二つ悪い事 さてないものよ」
である。
連ドラの『はね駒(こんま)』が
終わった。
けっこう面白かった。
『エール』が
途中、コロナ禍で
中断されたので、
その代償としては
十分過ぎるほどの
内容であった。
樹木希林の存在感と好演が
ヒロインよりも
作品に重厚感と深みを与えていた。
三枝さんの得意な
劇伴“オマテ”(泣かせ節)が
作品にハマッていた。
最終回には、
若き日の三枝さんが
武士姿で登場して
驚いた。
再開した『エール』は、
本線よりもサブの
梅ちゃんとゴロちゃんの
凸凹ロマンスの方が
俄然面白い。
年に一、二度は
街出のついでに
ブラリと母校の小学校に
寄ることがある。
きのうもそうしてみて、
(あぁ…。
こりゃ、いつ死んでもいいように、
という御暇行為なんだなぁ…)
と気が付いた。
懐古趣味だとばかり
思ってたが、
いつ死んでもいいように…、
という「終活」を常に
日常でしてたんだぁ…(笑)。
早くも生活のフェーズが
変わりつつある。
こうなってほしいなぁ…と、
漠然と思い描いていたことが
起こってきたり、
新たな人たちとの関係性が
始まったり…と、
なんだか階段を一段上がったような
心境である。
今までにも幾度も体験してきた
「死と再生」に
イニシェートされている今を
生きている感じである。
【新しい酒は新しい革袋に】
である。
ヴァーチャル時空よりも
リアル時空が充実する方が
いいに決まっている。
仕事面が充実してきて、
やり甲斐のあるケースが
増えてきているのも
有り難い。
真剣に取り組む人たちだけを相手に
全人的に生きる
というのは
大変だが生き甲斐にもなる。
ここに来て、
カウンター数席の店で
常連と時たまのご新規客を相手に
やれる範囲、関われる範囲で
すべき事をやるだけである。
エリクソンの提唱した通り、
65歳までの壮年期の発達課題でもある
「自己停滞」と「世代間継承」をも
今まさに、それに当たっている。
⁂
3.11やらコロナ禍やらで、
人生、何が起こっても
不思議でないことを
痛感させられたし、
予定調和なぞも怪しいものだ
とも思っている。
ならば、
「今、ここ」を生きよ、
である。
人生、深生きするには、
この瞬間を味わえ、
である。
⁂
量子には
粒子としての性質と
エネルギーとしての性質の
二面性がある。
してみれば、
量子から成る我われも
粒子(物質)的側面と
エネルギー的側面の
二側面を持ち合わせているのも
道理であるなぁ…と、
ふと気が付いた。
あらゆる宇宙的現象が
熱力学的な法則に従う、
としたならば、
エントロピーの増大には
抗えないので、
秩序あるものは必ずや崩壊し
ランダム化に向かう。
生命体のみが、
唯一、かりそめの間、
エントロピーを減少させるべく
たえず新陳代謝をしているのである。
個体がそのエントロピーを
減少できなくなった時が
死を迎える時だか、
それでも、次世代に
生物的遺伝子と文化的遺伝子を
引き渡して、その個体の
生きた証ともいえる
情報を継承するのである。
個体として滅びることにより
種の秩序は維持され、
エントロピー増大の宇宙律に
抗っているのである。
…などということを
今回の「通過儀礼」の渦中にあって
思考実験で得た。
「二つ悪い事 さてないものよ」
である。
連ドラの『はね駒(こんま)』が
終わった。
けっこう面白かった。
『エール』が
途中、コロナ禍で
中断されたので、
その代償としては
十分過ぎるほどの
内容であった。
樹木希林の存在感と好演が
ヒロインよりも
作品に重厚感と深みを与えていた。
三枝さんの得意な
劇伴“オマテ”(泣かせ節)が
作品にハマッていた。
最終回には、
若き日の三枝さんが
武士姿で登場して
驚いた。
再開した『エール』は、
本線よりもサブの
梅ちゃんとゴロちゃんの
凸凹ロマンスの方が
俄然面白い。
年に一、二度は
街出のついでに
ブラリと母校の小学校に
寄ることがある。
きのうもそうしてみて、
(あぁ…。
こりゃ、いつ死んでもいいように、
という御暇行為なんだなぁ…)
と気が付いた。
懐古趣味だとばかり
思ってたが、
いつ死んでもいいように…、
という「終活」を常に
日常でしてたんだぁ…(笑)。
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