立春を過ぎたが、
昨日も今日も
雪降りの朝である。
今朝は
まだ暗い夜明け前に
雪を踏みしめ
ゴミ出しに行くと
帰りに往路の足跡が
しっかり残っていた。
概算すると
誕生してから
23,054回目の朝であり、
雪がちらつく中天に
半月が照っていたのを眺め、
(二万三千回目の人生だ…)
と、独り言ちた。
茶室前の蹲(つくばい)には
薄氷が張り、
雪見灯篭には
いいあんばいに
綿帽子がかぶっていた。
まさに、
この一角に
カメラを向けて
景色をトリミングすると、
冬の朝の風情があり、
茶室で暖をとりながら
一服喫茶したくなるものである。
学校に着くと、
校門の松にも
うっすら雪がつもり、
陽光と青空に映えていた。
これはこれで、
冬の美しさ
というものだろう。
始終ブログ日記を
記していればこそ、
意識して風景に目をやり、
そこに何かを感じ、
それを記録し記述する、
という「生」への
深いコミットメントをしている。
これが、
3.11とコロナ禍で
「魂感」した
我がライフ・モットーである
【人生深生き】
の実践である。
毎日、毎瞬間を
意識的に深くコミットする。
さすれば、
【夕べに死すとも可なり】
と思っている。
就寝時の「口テープ」が
功を奏してか、
上気道炎が
順調に癒えてきて、
病時食餌療法から
再び糖質制限食餌療法に
切り替えた。
朝はコーヒー一杯と、
炒り大豆ひとつかみである。
それで出勤したら、
通勤路傍にある
ミニストップのイチゴソフトの
垂れ幕に目が奪われ、
吸い寄せられるように
朝ソフトを喰うはめになった(笑)。
でも、
その甘味と
クリスピーなコーンの
なんと美味しいかったことよ(笑)。
糖質制限食の禁を破った
忸怩たる思いよりも、
口中の恍惚感のほうが
遥かに凌いでいた(笑)。
【空腹は最良のソース】
とは至言である。
病時食で続けていた
「ニッスイ」のおにぎり弁当も
まだ惰性で続けているが、
今日あたりから
オニギリ抜きの
糖質制限食に戻そうかと
思っている。
(…それにしても、
前夜の鍋物の出汁昆布や
豆腐の切れっ端まで入ってる
ボンビー弁当であるなぁ…笑)
一時リバウンドした体重が、
また、減りだしたので、
目標の「75㎏の壁」を
なんとか20年ぶりに超えて、
40年ぶりに「60㎏代」の世界に
戻ってみたい。
なんだか、
そのゴールには、
「坐骨神経痛」完治という
ご褒美が待っているような
気がしてならない。
きっと、
そうなのだろう。
それゆえの
日々の慢性的な
鈍痛なのかもしれない。
セルフ(無意識の自己)による
遠大なアレンジメント(計らい)
なのではないか…と、
近頃、薄々感づいてきた。
仕事から帰宅したら、
大きな茶封筒が
郵便受けから
はみ出していた。
見ると、
私学共済からで、
また、年金書類の書き直しかと
ゲンナリした。
これまで、
三たび、再送、再々送…と、
書き直し、訂正を要求され、
ほとほと嫌んなってたので、
さもありなんである。
重々しく
開封してみると
「証券」みたいなのが出てきて、
やっと「年金証書」なるものが
送られてきて、
給付決定と今月から
給付開始になった。
11年間奉職して
払い続けた掛け金が
360万ほどだったようで、
それに対しての
月3万の「厚生年金」が
生涯支給されることになった。
これに、
65歳から支給される
国民年金が幾ら加わるのか、
その時になってみないと
判らない。
それも
35年払い続けたので、
願わくば、
両方足して
「生活保護」の13万より
上回っていて欲しい。
そうでなければ、
全く払わずに
ボンビーになった人を
保護するのに
年金支払者と同程度の金額では
不平等、不公平感がある。
フミと「りく坊」ちゃんが
笑い合ってる1枚を見て、
なんだか、心がホンワカした。
フミが産まれたのが、
まさに、彼が父親になった歳と
同じ頃だから、
自分もこんなんだったんだなぁ…と、
世代送りの妙が
不思議でもあるような
気分になった。
歯なしの赤子と
歯のある大人が向き合って、
大きな手と小さな手が
しっかとつながり合ってる。
あたへられしいのち
みづから育ちゆき
育てられゆく
いのちといふもの
碧水歌
昨日も今日も
雪降りの朝である。
今朝は
まだ暗い夜明け前に
雪を踏みしめ
ゴミ出しに行くと
帰りに往路の足跡が
しっかり残っていた。
概算すると
誕生してから
23,054回目の朝であり、
雪がちらつく中天に
半月が照っていたのを眺め、
(二万三千回目の人生だ…)
と、独り言ちた。
茶室前の蹲(つくばい)には
薄氷が張り、
雪見灯篭には
いいあんばいに
綿帽子がかぶっていた。
まさに、
この一角に
カメラを向けて
景色をトリミングすると、
冬の朝の風情があり、
茶室で暖をとりながら
一服喫茶したくなるものである。
学校に着くと、
校門の松にも
うっすら雪がつもり、
陽光と青空に映えていた。
これはこれで、
冬の美しさ
というものだろう。
始終ブログ日記を
記していればこそ、
意識して風景に目をやり、
そこに何かを感じ、
それを記録し記述する、
という「生」への
深いコミットメントをしている。
これが、
3.11とコロナ禍で
「魂感」した
我がライフ・モットーである
【人生深生き】
の実践である。
毎日、毎瞬間を
意識的に深くコミットする。
さすれば、
【夕べに死すとも可なり】
と思っている。
就寝時の「口テープ」が
功を奏してか、
上気道炎が
順調に癒えてきて、
病時食餌療法から
再び糖質制限食餌療法に
切り替えた。
朝はコーヒー一杯と、
炒り大豆ひとつかみである。
それで出勤したら、
通勤路傍にある
ミニストップのイチゴソフトの
垂れ幕に目が奪われ、
吸い寄せられるように
朝ソフトを喰うはめになった(笑)。
でも、
その甘味と
クリスピーなコーンの
なんと美味しいかったことよ(笑)。
糖質制限食の禁を破った
忸怩たる思いよりも、
口中の恍惚感のほうが
遥かに凌いでいた(笑)。
【空腹は最良のソース】
とは至言である。
病時食で続けていた
「ニッスイ」のおにぎり弁当も
まだ惰性で続けているが、
今日あたりから
オニギリ抜きの
糖質制限食に戻そうかと
思っている。
(…それにしても、
前夜の鍋物の出汁昆布や
豆腐の切れっ端まで入ってる
ボンビー弁当であるなぁ…笑)
一時リバウンドした体重が、
また、減りだしたので、
目標の「75㎏の壁」を
なんとか20年ぶりに超えて、
40年ぶりに「60㎏代」の世界に
戻ってみたい。
なんだか、
そのゴールには、
「坐骨神経痛」完治という
ご褒美が待っているような
気がしてならない。
きっと、
そうなのだろう。
それゆえの
日々の慢性的な
鈍痛なのかもしれない。
セルフ(無意識の自己)による
遠大なアレンジメント(計らい)
なのではないか…と、
近頃、薄々感づいてきた。
仕事から帰宅したら、
大きな茶封筒が
郵便受けから
はみ出していた。
見ると、
私学共済からで、
また、年金書類の書き直しかと
ゲンナリした。
これまで、
三たび、再送、再々送…と、
書き直し、訂正を要求され、
ほとほと嫌んなってたので、
さもありなんである。
重々しく
開封してみると
「証券」みたいなのが出てきて、
やっと「年金証書」なるものが
送られてきて、
給付決定と今月から
給付開始になった。
11年間奉職して
払い続けた掛け金が
360万ほどだったようで、
それに対しての
月3万の「厚生年金」が
生涯支給されることになった。
これに、
65歳から支給される
国民年金が幾ら加わるのか、
その時になってみないと
判らない。
それも
35年払い続けたので、
願わくば、
両方足して
「生活保護」の13万より
上回っていて欲しい。
そうでなければ、
全く払わずに
ボンビーになった人を
保護するのに
年金支払者と同程度の金額では
不平等、不公平感がある。
フミと「りく坊」ちゃんが
笑い合ってる1枚を見て、
なんだか、心がホンワカした。
フミが産まれたのが、
まさに、彼が父親になった歳と
同じ頃だから、
自分もこんなんだったんだなぁ…と、
世代送りの妙が
不思議でもあるような
気分になった。
歯なしの赤子と
歯のある大人が向き合って、
大きな手と小さな手が
しっかとつながり合ってる。
あたへられしいのち
みづから育ちゆき
育てられゆく
いのちといふもの
碧水歌
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