おとついから
市内いちばんの
「お祭り」が始まった。
市内の生まれ育ちなので
子どもの頃から
年に一度の「祭り日」で
街全体が活気づき、
子ども心にもウキウキするのを
禁じ得なかった。
なので、
前期高齢者となった今も
この時季は
どこかソワソワ感があって、
いちどは露店の並ぶ
稲荷神社に出かけたくなる。
マネチとソワレのように
昼と夜では
露店や人の輝きも異なるが、
きのうは、正午前に出てみたが、
もうすでに近隣の駐車場は
どこも「満車」状態で、
やや離れた処から歩くようになった。
もともと、病み上がりの
散歩のつもりで出かけたので、
それでもよしだったが、
後々、歩き疲れて
帰宅後にすこし具合が
わるくなってしまった。
**
夜には
数十基の連山車(れんだし)が出て、
その賑わいも最高潮になるが、
今年は、気管支炎の病み上がりと
20針も縫ったばかりの術後なので
人込みにもまれるのは
避けることにした。
今年は、
コロナ禍の規制明けとあって、
3年ぶりに「お化け屋敷」が
掛けられた。
そして、年季の入った
呼び込み婆さんの
しわがれ声を久しぶりに耳にし、
(あぁ。お祭りだなぁ・・・)
という幼少期の時めき感が
喚起された。
かつては、
この両サイドに
「見世物小屋」や
オートバイ・サーカスや
像使いなぞも来て
賑わっていたものである。
*
いつもは
あまり関心のない
御神楽だが、
稚児たちが
練習したとみえ、
真剣に舞っているのを観て、
これもいいものだなぁ・・・と、
思えるようになった。
*
「お祭り」になくてはならないのが、
「金魚すくい」と「射的」である。
ダンゴ三兄弟が
幼い頃は、
ひとり二千円の「小遣い」で
好きなものをやらせていた。
フミとナッちゃんは
射的好きで、
よく景品をせしめていた。
きのうも
子ども達の輝くような顔をながめ、
ほのぼのとした気持ちになった。
これは、
ディズニーランドやUSJのような
テーマパークでは見られない、
フォークロア的な
土着の日本的な
「祝祭空間」と「ハレの時間」への
快楽的な通過儀礼なのだろう
と思われる。
**
トルコ人のケバブや
ロシア人のピロシキの
露店も出ていて、
国際色豊かになってきたのは
昔の露店風景とは変わってきた。
*
毎年、新たな露店の登場を
楽しみにしているが、
今年は、「10円パン」
「ちいかわ」「ハギーワギー」
「ビンゴ・スマートボール」
などが目新しかった。
どこぞに、
露店を網羅したサイトがあるか、
いちどググッてみようとも
思っている。
きのうは
100店ちかく出店されていたが、
さすがに「ハンドスピナー」や
「ライトセーバー」はなくなった(笑)。
**
帰路、生まれた柳町を通ったら
かつて「小若」のハッピを着て
曳いた山車が見れた。
南町の山車も
フル装備で
夜の出番を控えていた。
♪ やーれ、やれ、やれ ♪
という
子どもたちの曳き手囃子と
♪ ドンカ、ドンカ・・・ ♪
という太鼓のリズムが
三つ子の魂に
確かに入っており、
目を閉じるとその風景が蘇る。
末期がんで亡くなった
父の最後の
走り書きのような落書きが、
この稲荷神社だったので、
彼にとっても
心の原風景だったのだろう。
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