A教諭は、背中に突風を受けたかと思うや否や、グワーという至近距離でのジェットの轟音のようなものを耳に聞いた。
振り向くと、そこにはまるで超巨大ダムが決壊したかのような水の塊が唸りをあげて我が方へと迫り来るのであった。
(つ、津波だぁ~)
度肝を抜かれるその巨大な水の壁に、A教諭は、咄嗟に声が出なかった。
しかし、固唾を呑みながらも、
「津波だぁ~ッ!」
と、あらん限りの声を隊列の先頭めがけて叫んだ。
力の限り絶叫するや否や、その脚は、反射的に山に向かって駆け出していた。
突風と轟音と共に、巨大な龍の口が子どもたちの隊列に迫っていた。
「きゃーッ」
「うわーッ」
という甲高い子どもらの声が隊列のあちこちで上がった。
引率する教員たちには、もうなす術もなかった。
どう全力で疾駆しても、自らも、子どもたちも、この死の虎口から逃れられるとは到底思うことが出来なかった。
無力感と絶望感と恐怖感が入り混じって、迫り来る「その瞬間」に、時よ止まれ、と虚しい願いを祈るよりほかなかった。
A教諭は、無我夢中で全速力で、おそらくは、生涯これほど命懸けで走ったことはなかろう、というぐらい走りに走った。
息が切れたり、もし躓(つまず)きでもしたら、それでもう一巻の終わりである。
走る。走る。走る。
ンハッ、ンハッ、ンハッ…。
全身脚となり、風景は線となった。
目指すべき裏山の裾野が次第に目前に迫りつつあった。
(逃げ切れるッ…)
脳裏に浮かんだ。
それは、生存本能以外の何ものでもなかった。
遠くから
「ンキャ~ッ」
「おかぁさ~んッ」
「やだ~ッ」
という幼子たちの阿鼻叫喚の声々がA教諭の耳を刺した。
涙が溢れた。
頬に温もりを感じた。
しかし、それは皮肉にも、自分が助かった証(あかし)でもあった。
裏山の中腹まで夢中になって駆け上がると、初めて彼は、その場で下を振り返った。
避難路として来た川沿いの堤防は、濁流とも言える水面下に没していた。
子どもたちの隊列も一掃されたかのように掻き消されていた。
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