消防車も来ず、何の救助の手も差し伸べられないまま、生きながらにして火葬された母。
鎮火からしばらくして、父と弟の無事を知り、家族は、避難所で再会を果たした。
しかし、舞衣の心は、目の前で焼け死んだ母親のことで、どうしよもなく修復が効かない状態に陥っていた。
泣きながらも事の顛末を話すと、それを聴いた父も弟もその場で泣き崩れ、皆で肩を抱き合って号泣しあった。
翌日、父親は一人、避難所を出ると、焼け落ちて炭と化した我が家を必死になって掻き分け、何としても妻の遺骨を拾おうと真っ黒になった。
そして、数時間を費やして、とうとう変わり果てた妻を見つけ出し、その痛ましい姿にすがりついて泣いた。
煤だらけになった何やらの缶に遺骨を砕いて入れると、重い足を引きずるようにして、子どもたちの待つ避難所へ母親を持ち帰った。
この非常時に、葬式も何も出来るものではなかった。
残った家族三人は、煤けた骨の入った缶に向かって、そっと手を合わせた。
・・・・・・
舞衣は、数年を経る長い精神科治療とカウンセリングの後、やっと健常な心身を取り戻した。
そして、大学を出て、社会人となって一年目の3・11の日に、こうツイッターにつぶやいた。
亡き母の燃え給ふ音のなかに
まじる鳥の声あり
仔雀の声
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