昨晩のNHKニュースで、
ソータが今年度の
対局数・勝率・連勝数など
四部門独占で
「将棋大賞」を受賞した
と報道された。
今朝の朝刊では
1面、トピック欄、娯楽欄と
三面にわたって記事が
組まれていた。
ものすごい
注目度である。
好紳士で好きな森下九段が
「六段になった彼は、
四段の頃の彼と対戦したら
二勝一敗くらいになるほど
確実に実力がアップしている」
とコメントしており、
さらに、
「羽生さんがデヴュー後
三年かかって為した四部門独占を
一年でやり遂げてしまった」
と驚きを現していた。
将棋連盟が認定する
「年間最優秀棋士賞」は
まだ発表されていないが、
ソータ以外には適任者が
見当たらない。
そんな彼だが、
自分の報道やらには
いっさい興味がないらしく
ただただ真の実力をつけるべく
詰め将棋と向き合い
AI将棋と向き合っている。
好きだからやっているだけ、
自分にはこれしかないから、
とソータは言うが、
雑念を持たずに
ひとつ事に集中して
全存在のエネルギーを
ピュアに投入できるという
「存在の在り様(よう)」が
天才の証しなのだろう。
その偉業の数々もそうだが、
まだ十代でありながら
そんな純粋な彼の生き様に
心打たれてか、
周囲の年長者には
彼をして「藤井先生」と
呼ぶ者が近頃ふえてきたように
感じられる。
先日頂いた
菓子折りの包み紙に
万葉の和歌が草書であり、
解説もあったので
じっくり読んでみた。
額田王が詠んで、
それに大海人皇子が
返歌したものである。
あかねさす紫野行き標野行き
野守は見ずや君が袖振る
紫草のにほへる妹を憎くあらば
人妻ゆゑに我恋ひめやも
ムラサキの花咲く野や御料地内を
行ったり来たりしていては、
貴方様が袖を振るのを
番人に見られてしまうではないですか。
ムラサキの花のように麗しい
貴方のことを憎く思うなら
どうして人妻なのに
私はこんなにも恋しく思うのでしょうか。
・・・という意味で、
額田王は、大海人皇子と結婚して
子どももいたが、その後、別れて、
元夫の兄である中大兄皇子と
再婚したという。
ロス・インディオス&シルビアの
『別れても好きな人』
のような心境らしい(笑)。
春らしく
菜種油の油煙墨を磨って、
印刷の字をなぞってみた。
桜模様の掛け紙には
良寛の書を手本とし、
「春は花
山ほととぎす」
という句を
したためてみた。
ダイソーで
三枚組みの色紙を
台紙用に買ってきて、
アキの中学時代の
作品と一緒に
色紙表具にしてみた。
どれかを
玄関の室礼に
用いようと思う。
久しぶりに
書斎のミニ冷蔵庫の
霜取りをした。
この作業がけっこう好きで、
冷蔵ダイアルを「切」にして
しばらく置くと、
冷凍庫内の氷が浮いてきて、
その隙間に定規を入れてやると
バコーンと塊りが剥がれる。
この時が、
なんとも快感なのである(笑)。
それを洗面器に受けて、
全部剥がし取ったら、
二階の窓から
近所の目を盗んで
こっそり、ザラザラーと
裏庭に投げ捨てる(笑)。
***
明け方、
不思議な夢を見た。
今は更地になった
生家に帰ると
中島誠之助と『鑑定団』の
スタッフが来ていて、
うちにある珍しい
二重構造の一升瓶を鑑定したという。
お宝なのかと
期待していると
大したものではないが
珍しいものだと言う。
中島先生が
郡山は物騒だが
今夜はそこに宿泊するというので、
差し出がましくグルメスポットの
懐石の「こと」と「和餐」を紹介する。
忘れたら後で
電話するかもしれない、
と言って先生は帰る。
・・・なんだろう、
この夢は・・・と、
しばし、寝床のなかで
分析をめぐらしていた。
還暦を過ぎて
余生でもある“林住期”に
入りかけているので
「今、家にある物・・・
ソフト類、本類だけで
十分に死ぬまで楽しめるので、
今更、新しいものなぞ必要もなかろう」
と近頃よく考えていた。
鑑定士が、
世間的には値打ちがないが
珍しいものだ、と言い、
それが、旧生家すなわち
ずっと古くから自分にあった
お宝なのだ、という。
たしかに、
壮年期までは物質的にも
多くを求め、
新しい事にも挑戦もしてきたが、
これからは物心ともに
得たものを味わい楽しむべし、
ということなのかもしれない。
物騒な郡山に泊まるという
中島先生にグルメスポットを教える、
というのは、なんだか、
来月、東京に四日も投宿するのに
前もってグルメ処を探っている
自分の姿にも似ている。
夢分析では、
登場するアイテムすべてが
自分の心的カケラが
象徴化したものであり、
登場人物もそれが人格化したもの
という解釈がある。
「二重構造の一升瓶」は、
自我構造がしっかりして、
外的環境から護られている
という好ましいメタファーが
連想された。
今、受け持っている
中年クライエントの幾人かが、
発達課題を乗り越えつつ
自我強度の進展が見られるので、
セラピストもシンクロするという
深層心理的現象から、
初老期なりにマイクロな発達が
起こっているのかもしれない。
現在81歳の
有名な鑑定士の姿も
自分自身の心の何物かが
同一化したものである。
教育分析を受けた先生も
大学院時代の師匠連も
みな鬼籍の人となり、
ギターの師や
信仰の師とも縁遠くなり、
「先生」を失った今である。
そして、気がついたら、
自分が「先生」やら
「師匠」とも呼ばれる立場になった。
「老を生きる」ということと
「師を生きる」ということが、
老鑑定家の姿なのか。
ソータが今年度の
対局数・勝率・連勝数など
四部門独占で
「将棋大賞」を受賞した
と報道された。
今朝の朝刊では
1面、トピック欄、娯楽欄と
三面にわたって記事が
組まれていた。
ものすごい
注目度である。
好紳士で好きな森下九段が
「六段になった彼は、
四段の頃の彼と対戦したら
二勝一敗くらいになるほど
確実に実力がアップしている」
とコメントしており、
さらに、
「羽生さんがデヴュー後
三年かかって為した四部門独占を
一年でやり遂げてしまった」
と驚きを現していた。
将棋連盟が認定する
「年間最優秀棋士賞」は
まだ発表されていないが、
ソータ以外には適任者が
見当たらない。
そんな彼だが、
自分の報道やらには
いっさい興味がないらしく
ただただ真の実力をつけるべく
詰め将棋と向き合い
AI将棋と向き合っている。
好きだからやっているだけ、
自分にはこれしかないから、
とソータは言うが、
雑念を持たずに
ひとつ事に集中して
全存在のエネルギーを
ピュアに投入できるという
「存在の在り様(よう)」が
天才の証しなのだろう。
その偉業の数々もそうだが、
まだ十代でありながら
そんな純粋な彼の生き様に
心打たれてか、
周囲の年長者には
彼をして「藤井先生」と
呼ぶ者が近頃ふえてきたように
感じられる。
先日頂いた
菓子折りの包み紙に
万葉の和歌が草書であり、
解説もあったので
じっくり読んでみた。
額田王が詠んで、
それに大海人皇子が
返歌したものである。
あかねさす紫野行き標野行き
野守は見ずや君が袖振る
紫草のにほへる妹を憎くあらば
人妻ゆゑに我恋ひめやも
ムラサキの花咲く野や御料地内を
行ったり来たりしていては、
貴方様が袖を振るのを
番人に見られてしまうではないですか。
ムラサキの花のように麗しい
貴方のことを憎く思うなら
どうして人妻なのに
私はこんなにも恋しく思うのでしょうか。
・・・という意味で、
額田王は、大海人皇子と結婚して
子どももいたが、その後、別れて、
元夫の兄である中大兄皇子と
再婚したという。
ロス・インディオス&シルビアの
『別れても好きな人』
のような心境らしい(笑)。
春らしく
菜種油の油煙墨を磨って、
印刷の字をなぞってみた。
桜模様の掛け紙には
良寛の書を手本とし、
「春は花
山ほととぎす」
という句を
したためてみた。
ダイソーで
三枚組みの色紙を
台紙用に買ってきて、
アキの中学時代の
作品と一緒に
色紙表具にしてみた。
どれかを
玄関の室礼に
用いようと思う。
久しぶりに
書斎のミニ冷蔵庫の
霜取りをした。
この作業がけっこう好きで、
冷蔵ダイアルを「切」にして
しばらく置くと、
冷凍庫内の氷が浮いてきて、
その隙間に定規を入れてやると
バコーンと塊りが剥がれる。
この時が、
なんとも快感なのである(笑)。
それを洗面器に受けて、
全部剥がし取ったら、
二階の窓から
近所の目を盗んで
こっそり、ザラザラーと
裏庭に投げ捨てる(笑)。
***
明け方、
不思議な夢を見た。
今は更地になった
生家に帰ると
中島誠之助と『鑑定団』の
スタッフが来ていて、
うちにある珍しい
二重構造の一升瓶を鑑定したという。
お宝なのかと
期待していると
大したものではないが
珍しいものだと言う。
中島先生が
郡山は物騒だが
今夜はそこに宿泊するというので、
差し出がましくグルメスポットの
懐石の「こと」と「和餐」を紹介する。
忘れたら後で
電話するかもしれない、
と言って先生は帰る。
・・・なんだろう、
この夢は・・・と、
しばし、寝床のなかで
分析をめぐらしていた。
還暦を過ぎて
余生でもある“林住期”に
入りかけているので
「今、家にある物・・・
ソフト類、本類だけで
十分に死ぬまで楽しめるので、
今更、新しいものなぞ必要もなかろう」
と近頃よく考えていた。
鑑定士が、
世間的には値打ちがないが
珍しいものだ、と言い、
それが、旧生家すなわち
ずっと古くから自分にあった
お宝なのだ、という。
たしかに、
壮年期までは物質的にも
多くを求め、
新しい事にも挑戦もしてきたが、
これからは物心ともに
得たものを味わい楽しむべし、
ということなのかもしれない。
物騒な郡山に泊まるという
中島先生にグルメスポットを教える、
というのは、なんだか、
来月、東京に四日も投宿するのに
前もってグルメ処を探っている
自分の姿にも似ている。
夢分析では、
登場するアイテムすべてが
自分の心的カケラが
象徴化したものであり、
登場人物もそれが人格化したもの
という解釈がある。
「二重構造の一升瓶」は、
自我構造がしっかりして、
外的環境から護られている
という好ましいメタファーが
連想された。
今、受け持っている
中年クライエントの幾人かが、
発達課題を乗り越えつつ
自我強度の進展が見られるので、
セラピストもシンクロするという
深層心理的現象から、
初老期なりにマイクロな発達が
起こっているのかもしれない。
現在81歳の
有名な鑑定士の姿も
自分自身の心の何物かが
同一化したものである。
教育分析を受けた先生も
大学院時代の師匠連も
みな鬼籍の人となり、
ギターの師や
信仰の師とも縁遠くなり、
「先生」を失った今である。
そして、気がついたら、
自分が「先生」やら
「師匠」とも呼ばれる立場になった。
「老を生きる」ということと
「師を生きる」ということが、
老鑑定家の姿なのか。
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