きのうは、
月一の【ひとり茶事】を
三ツ星懐石店で
堪能してきた。
本物のプロの
職人やシェフたちの
妙技を味わい、
こころを和ませ、
且つ、豊かさを味わうべく、
毎月、馴染みの
懐石、フレンチ、鮨店と
定期的に訪れている。
加齢と共に
運動も出来なくなり、
もっぱらゴロゴロとして
漫画読み、YouTube視聴のみでは
残り少ない人生に
彩りが淋しいものである。
そこで、
満腹の為ではなく、
その技芸も味わえる満足の為に、
一流料理人の元を
訪れている。
それも、馴染みになれば、
気心安く、口福の時を
楽しめる。
***
付きだしは、
「ホタテの菊花巻き」
張られた三杯酢が
とてもマイルドで
最後に飲み干せるものだった。
吹き寄せは、
「鮭の玉素焼き、海老含め煮、
出汁巻玉子、もずく酢、丸十檸檬煮」
丸十とは、
薩摩芋のことである。
煮物椀は、
「零余子(ムカゴ)真蒸と
白玉の豆乳仕立て」
紅葉麩と青柚子、
錦霰(にしきあられ)により
深まる秋の風情が
一椀の中に見事に描かれていた。
ほっこりした真蒸に
もっちりした白玉。
はんなり味の吸い地は
とろりとした飲み口だった。
椀底まで吸い切ると
思わず、
「ほぉ~ッ❗」
と、香しい吐息が漏れた。
つづいては、お造り。
紅葉鯛に中トロ、
烏賊、雲丹。
目にも鮮やかな
黄交趾(こうち)の蓋物に盛られ、
鮪の真紅、雲丹の橙(だいだい)が映え、
恰も、紅葉の山里を
彷彿させるものだった。
強肴(しいざかな)は
赤絵の蓋物での
「鰈の蕎麦粒蒸し」
旨味の濃い鰈が
蕎麦掻きのような生地で被われ
蒸しにかけられ、
熱々の葛餡が張られている。
時折、蕎麦粒の
ぷつんとした歯応えがあり、
また、その香ばしさも感じられた
面白き逸品だった。
揚げ物は、
「海老団子と獅子唐、パプリカ」
熱々で、
カリリ、フワリとした
二段階の食感は
食楽のひとつで、
揚げ物ならではの
お楽しみでもある。
〆は、
「舞茸ご飯に
えのき茸の味噌汁、お新香」
ご飯にたどり着くと、
ホッと安堵するのは、
なぜだろう・・・(笑)。
家庭でも
何万、何千回となく
食べてきているから
なのだろうか・・・。
試しに、手元のスマホの
電卓で66年×365日を
概算してみたら
「24.090回」となった。
なるほど、
生まれてから、
それほどの回数も
ご飯を食べてりゃ、
ホッともするわいなぁ・・・(笑)。
茶懐石でもあるので、
主菓子には
「南瓜羮と無花果の甘露煮」
お仕舞いに
お薄が共された。
左手の掌(たなごころ)に
碗の高台を受け、
右手の五指は直角に張って、
茶の湯の作法に則り
諸事万物に黙礼して後
喫した。
今月も、無事、
店主、女将、半東さんの
おもてなしを受けて
『ひとり茶事』を
恙(つつが)無く
やらせて頂く事が出来て
お礼を申し上げた。
来月の予約も
させて頂き、
お三方のお見送りを受けて、
市中の山居を後にした。
来月は、
その一週間後に、
上洛して、
『美濃吉』『たん熊』『錦水亭』で
本格「京懐石」を
堪能してくる。
【生きる事は食べる事】
でもある。
ならば、心して、
有り難く
深く味わわねばなるまい。
***
きのうから
竜王戦「第三局」が
京都の仁和寺で始まった。
勝敗は、今日の夕方頃になりそうだ。
きょうは、これから、
山のガッコの文化祭を見に行く。
なにせ、全校生4人で、
その全員の母子共々に
カウンセリングをやっているから、
SCは関係深い学校人でもある。
また、文化祭を直接見て、
各人の努力の跡を認めて、
カウンセリングでも
しっかり誉める材料にしたいとも
考えている。
ポジティブ・ストローク
(肯定的評価)は、
その子の「自己効力感」を
増進させるものである。
幼少期から誉められて育てられた子は、
確固たる「自己肯定感」が身に付き、
しっかりしたアイデンティティを
早くから確立することができ、
「自分のやりたい事」を
確実に遂行していく、
という自己実現の道を
歩むものである。
*
リク坊の
「七五三」の写真が
送られてきた。
まだ、四つなのに、
前倒しで、撮ったようだ(笑)。
この子も
褒められて育ってきたので、
どんなパフォーマンスも
自信に満ちた表情でやり、
終わってから、必ずや
「楽しかった」
と言うから、大したものである。
先日の
結婚式での「乾杯の音頭」も
テーブルに戻ってくると
「楽しかった」
と言っていたので
ジイジは感心したものである。
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