街道てくてく旅は、赤坂宿である。道程11km、歩数19,531歩。垂井宿では、広重は松並木の中、雨に降られた大名行列が宿に着く様子が描かれている。一里塚を経て赤坂宿に入る。広重の絵と重ねると杭瀬川の船着場で栄えた昔が忍ばれ杭瀬川に架かる土橋を描いたもの。ここ赤坂は皇女和宮様が徳川14代家茂に嫁した折2万人の大行列は当時最大もので、その絵巻を鑑賞。その折和宮様が詠った「落ちて行く身と知りながらもみじ葉の人なつかしくこがれそすれ」は悲しい詩である。街道の中山道ミニ博物館を覗く。
九月も今日で終わり、ひまわりも寂しそう。
開花時期は、 7/10頃~ 9/10頃。
・夏の代表花。でかい花。
・北アメリカ原産。16世紀にイギリスに伝わり、
「太陽の花」と呼ばれ始めた。
(花の形が太陽を思わせる)
・オランダ人画家ゴッホが好んで描いた花の一つ。
(「ひまわり」という作品がありますね)
街道てくてく旅は関が原宿である。ここから岐阜県に入る行程8kmの歩行。沿道には彼岸花が咲き秋の気配が感じられる。県境は細い溝が東西に走っている。郁恵さんはジヤンプして越境。民家を訪れ、滋賀の白味噌、岐阜の赤味噌の汁を振舞われる。今須宿を経て藤古川を渡り八幡神社がゴール。勅使河原家の親戚の薬屋さんを途中訪ねる、実家も岐阜にある由。ここ関が原は天下分け目の合戦で東西陣営が対峙し、戦場となったことで余りにも有名。本陣跡には大木が残るのみで何も無い。
宿までの歩数14,850歩である。
7月より咲いている「浜木綿」開花時期は、 7/10頃~ 9/ 末頃。
・海岸近くに植えられる。
・浜辺に生え、白色の花を「木綿」(コウゾの
皮から採った繊維で、神事のとき榊につけ
垂れ下げたもの)に見立てたことから。
・じつにおもしろい咲きかたをする。
実の形もユニーク。
・別名 「浜万年青」(はまおもと)。
葉が万年青に似ているから。
・宮崎県の県花(浜木綿)
街道てくてく旅は滋賀県最後の宿、「柏原宿」の4kmです。途中街道筋で井戸端会議にに加わり、お米作りの農家い今年は平年作と聞く。農家を訪れ栗飯のおこわを食べる。広重の絵にある「もぐさ屋」に着く、江戸時代と変わらぬたたずまいで今も現存し商売も続けている。ここ柏原宿はいやしの宿と呼ばれ、もぐさの名産地である。鍼灸師が二人登場し郁恵さんにお灸の体験をさせた。毎年「やいと祭り」があるそうだ。お灸の事をやいとと言う。
7月より咲いている「荒地宵待草」開花時期は、 7/10頃~10/15頃。
・北アメリカ原産。
・夕方、宵になるのを待つようにして花が咲く。
また、野性化していて荒地などに多い。
これが名前の由来。
・よく「月見草(つきみそう)」の名で呼ばれる。
街道てくてく旅は、醒ヶ井宿までの10kmである。番場には「瞼の母」で有名な番場の忠太郎で知られる。清流の中にハリヨ。摺りはリ峠の急坂を登り琵琶湖を一望できる場所に出る。ここで広重の絵と比較する。豆腐で作った石垣団子を食べる。醒ケ井宿場に入る手前が広重のポイント。この宿で西行水という名水が涌いている。この水でお茶を入れて飲むと旨い。町中を流れる川に梅花藻が育ち、蕎麦に混ぜて食すと香りが良い。止まりは問屋場跡が宿場。歩数16,443歩。
7月より咲いている「西洋風蝶草」
開花時期は、 7/15頃~ 9/15頃。
・夕方から咲き始め、翌日昼頃にはピンク色が
うすくなる。
・花の形が蝶が飛ぶようなところから命名。
・別名 「風蝶草(ふうちょうそう)」、
街道てくてく旅は鳥居本宿までの6kmである。彦根城下町の附近でのパン屋を訪ね、中国の時代の離宮を模した玄宮園の池を見ながら、キャッスルロードに向かう。途中に昔懐かしい駄菓子屋に入る。紙飛行機を飛ばす体験をして、昔からの鳥居本名産道中雨合羽(菜種油ひきした)と、300年間続く道中愛用の腹痛薬神教丸。赤玉の有川家は今も残っていた。歩数18,135歩。
7月より咲いている「百日紅」
開花時期は、 7/15頃~10/15頃。
・中国原産。
・「約100日間、ピンクの花を咲かせる。」のが
名前の由来。約3ヶ月間、秋まで咲き続ける。
実際には、一度咲いた枝先から再度芽が出てきて
花をつけるため、咲き続けているように見える。
花はしわしわの形。白い花もある。