雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

閑話休題・カワクボ

2008-03-22 00:18:55 | Weblog
すみません。今回は長いです。目を休めながら、お読みください。

写真は徳欽の街の全貌。シャングリラへと通じる道より撮影。標高の中心は3400メートル。雲間に浮かぶ緑に囲まれた街は遠目でみると幻想的。

【神います山】
 雲南省北部の奥座敷・シャングリラからひらすら標高4000メートルの高地を走るアスファルトの車道を一日走破すると、夕刻、濃霧の中から徳欽の街が突然、現れた。山の中腹にへばりつくような美しい町並みは、まるで「天空の城ラピュタ」だ。そこを見下ろすようにそびえる万年雪に覆われた標高6740メートルの梅里雪山。雲南省最高峰の山であり、地域の人々には「神の住む山」として神聖視されている山である。この峰より続く山の先にはヒマラヤ山脈があり、この街からバスでゆっくり2時間もすすむとチベット国境に到達する。

 そのど真ん中にあるホテルに泊まった。シャングリラの5つ星ホテルで日夜、カラオケの大音響に悩まされていたので、ちょっと傾きかけたこのホテルならゆっくり眠れる、と喜んだのもつかの間、今度はズンズンと腹を突き上げるような音に悩まされることに。黒い布で仕切られた隣の建物はディスコ場だったのだ。

 翌朝早く、霧に巻かれた幻想的な街を歩くと、長い黒髪を三つ編みして頭上に巻き付け、黒、ピンク、緑、白、などのカラフルで長い直垂をロングスカートの前に着けたチベット族の人々が馬の手綱を引いて歩いていた。徳欽やシャングリラを含む雲南省のチベット族自治州では人口の3分の1をチベット族が占めている。その奥座敷にあるのだから正確な数字はわからないが、その人口の相当数をチベット族が占めているはずだ。

 日が高くなると、高地のためか酸素不足で不完全燃焼により黒い煙を吐く車が行き交い、一見して一般的な中国人の顔立ちをした人々が行き交う街となっていた。じっさいにタクシーの運転手やホテルの従業員に聞くと「漢族」との答えが返ってきた。

【花いちもんめ?】
 そんな漢族とチベット族が共存する街で、あえて梅里雪山のチベット古称「カワクボ」を名乗る青年団のリーダーに話を聞いた。
 シャングリラを経て都会へと若者の頭脳や出稼ぎ人夫の流出が続く中、あえて地元に残った骨のある美青年だ。彼は2002年よりチベット族の人々のためになる活動を目指して、靴さえ履くことができない人には靴をプレゼントし、またチベット族の歌をテープに残そうと機材を抱えて、山の上まで行っては、おじいさん、おばあさんの歌を録音してCD化するなどの活動を行っていた。

「でも一度、靴をプレゼントすると、次には革靴を要求される。人々の要求にはきりがない」と嘆いてもいた。

 チベット族と一口にいっても一つの家のなかにもイスラム教、仏教、チベット仏教が混在しているそうだ。何事につけ一筋縄では行かない状況のなかで、先鋭的な民族主義に陥ることもなく、じつに考え深く、柔軟に活動していた。
その彼が街のディスコに行った感想は、

「あそこは一人でも踊れて、仲間もできず、ケンカさわぎまで時折おきる上にお金もかかってよくない」。そこで週に2回、街の真ん中でチベット族独特の手をつないで、輪になってダンスしながら、男女が即興で歌の掛け合いをする「花いちもんめ」によく似た踊りの会を催しはじめた。

「あのダンスだと歌の掛け合いもあって、仲良くなれるし、楽しいよ」。私たちも誘われて、夜、野外で行われる踊りの会に参加した。

【勇壮に跳ねながら弦楽器を奏でる】
 水曜の夕方、車通りの途絶えた街の中心街にいくと、さっそくリーダーがチベット族の正装をして、チベットの男性の持つ二胡に似たピワンと呼ばれる弦楽器を持ち、待っていた。リーダーのじつに寂しげで暖かみのある独特のリズムで揺らしたピワンの演奏が始まると男女四人ずつでのダンスが始まった。

 ジーパンで参加している若い女性もいた。子供たちはうれしそうにその回りを踊る。男性は楽器を演奏しながらはねるように踊り(演奏の技術にも踊りのレベルの高さにもびっくり。体力も使いそう・・。)、女性は地声を生かした独特の歌唱法の歌を歌って、広場をぐるぐると回る。男性は踊りと演奏のうまさでモテ度が変わるというのだから、リーダーはさぞ、もてることだろう(といったら、「そんなことない」と照れてしまった)。なんということはない平和な会に見える。

 広場にギャラリーは多いが、輪に入る人はいない。それもそのはず広場の横には公安の車がぴたりと止まり、公安の人がにらみを聞かせていた。これでは踊りの輪に入るにはさぞ、勇気がいることだろう。平和な2004年のことだ。

 こんな時でも踊る人々は、結構な覚悟を持って踊らざるをえないのだ。我々も微妙な緊張を感じつつも、リズムにうずうずしている娘に手をひかれて、一緒に輪に加わった。ゆったりとしたステップで踊っているようにみえた、足の動きは存外難しく、私にはとうとうマスターできなかった。


 いま、チベット暴動という名でラサからチベット自治区、四川省など各地へ波及している映像を見ていると、どうにもつらい。あのとき、一緒に踊った人達は大丈夫だろうか。今年三月二〇日付けの「東京新聞」にはシャングリラ県で武装警察官が厳重な警戒にあたっているとの写真と記事が掲載されていた。
許可申請を出してはいても、ただ踊るだけで、公安の見張りがつく窮屈なチベット族の人々。文化は抑圧され、西部大開発が行われても、青蔵鉄道が通っても、生活圏は蹂躙されるばかりで、お金は地元の人の手元には残らない。やりきれない構造。
 せめて、日本にいる私ができることはわずかでも見たことを伝え、チベットの人々のために非暴力で行動する人々を支援したいと、魚の項に割り込みました。

 もし賛同いただけたら、下のホームページのファックス用紙から日本政府および、各国大使館にサインをして、ファックス等で送ってください。(二二日には六本木でデモ行進があるそうです。)チベット旅行作家の渡辺一枝さんらも参加しています。
 http://www.geocities.jp/t_s_n_j/index.html
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 魚料理5・大理砂鍋魚1 | トップ | カワクボ2 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (もっくん)
2008-03-23 22:32:37
そうなんです。滞在後は旅行という形では行くのですが、長期はできないのが残念。昆明の若い知り合いは少し能力があると、すぐに沿海部に転職してしまい、残っている人もわずか、という状況。でも、時間がたっているからこそ、中国では規制されていた情報を集めて、本当の姿が書ける、という気もします。
 食べ物はどんどん、日本料理や四川料理、ファストフードが入り込んできているので、きちんと残していきたいところです。
返信する
Unknown (たけお)
2008-03-23 00:12:47
素敵な日記ですね。

情景が目に浮かびます。オレンジ色の街灯、排気ガスのにおい、逆光のなか踊る影、キラキラ光る目。

彼らが、そして世界中の抑圧されている人々が(僕らも含めて)笑顔を失わないように出来ることをやっていきたいです。情報をありがとう。

ところで、もっくんさんは日本にいるんですね。てっきり昆明に住んでるのだと勘違いしてました(笑)。
返信する

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事