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暴れる象と芸象10 史記にみる乗象国2

2016-05-14 12:15:14 | Weblog
写真は西山からみた滇池と昆明市。滇池の広さは1980年代以前はこの倍、文化大革命以前はこの数倍はあったという。潅漑や埋め立てなどでここ100年で水質は悪化し、池の広さも大きく変わった。

【滇国は楚国の末裔の国】
現在でも車のナンバープレートに雲南登録の新車は「滇○○」などと書かれるほど、「滇」は雲南地域を指す言葉。昆明の湖が滇池ですね。

では象に乗る人が住むという「滇越」と漢が通商を開始した「滇」国の言葉についてですが、《大宛列伝》をよく読むと「滇越」は、張騫が派遣した漢の使者が商人から聞いた又聞きの用語です。
じっさいには滇と越という地理的に近い二つの国のある範囲で、象に乗るところがある、程度に考えるのが適当でしょう。

では、象に乗る国の一つ、滇国の場所はどこなのでしょう。

『史記』《西南夷列伝》には
楚の威王の時代(紀元前339~328)の将軍・荘蹻(かつての楚の王の子孫)が大きさが300里四方の滇池と、その周囲の地味豊かな数千里も続く広大な平野を平定し、その後、戦況の変化で帰れなくなり、身なりを現地風に変えて滇を支配する王となった、とあります。

 さらに時代は下って漢の時代に西南の各部族のなかで、ただ滇王と夜郎国だけが、漢国とよしみを通ずることができて金印を授けられ、その地の住民を支配した。

 さらに滇の領地は小さかったが、いちばんめをかけられた、と書かれています。(西南夷君長以百數,獨夜郎、滇受王印。滇小邑,最寵焉。)

そして西南夷列伝のまとめで司馬遷は、

楚の国王の先祖にはどんな天からの恵みがあったのか。
秦にすべての国が滅ぼされた中、楚の子孫だけが滇の王として生き延びて、
また漢が西南夷を討伐したとき、滅ぼされた国が多かった中で滇だけが目をかけられた王だった、
 とさらりと歴史を展望しています。

つまり、書かれている描写やその後、実際に「滇王之印」が発掘されていることから、滇国は明らかに私たちのよく知る滇池のある昆明市周辺を含む国。

そして、滇王が支配する地域から越のあたりは商人から「乗象国」と呼ばれるほど、身近に象がいて、住民は象とともに暮らしていた、といえるでしょう。

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