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暴れる象と芸象11 最強象の戦い

2016-05-21 15:44:56 | Weblog
写真はシーサンパンナの景洪市を流れるメコン川中流部。この川はこの後、ミャンマーも通過する。元とパガン国との激戦地はイラワジ河支流のタ-・ペイン河のさらに支流に小梁江だった。雲南の川は見た目がゆったりとしていても意外と流れが早い。

【戦闘での最終兵器として】
さて、いきなり時代は紀元前の雲南から、1000年以上たった雲南とミャンマーの国境へ。

『元史』列伝第九十七・外夷三およびマルコ・ポーロの『東方見聞録』に象が現れます。それは耕したり、木材を運んだりするためでも、象牙をとるためでもない、殷の時代にも見られた戦闘に用いる象です。

至元14年(1277年)3月、現在の南ミャンマーあたりにあったパガン王国が軍5万人、象800頭、馬1万匹という大群で雲南に来襲しました(版本により数字に多少ばらつきあり。一番数が少ない『元史』に基づく)。

 このとき雲南で政治の中枢だった大理から派遣されたのは、フビライハーンのたっての命で雲南を取り仕切っていたサイジャチ(=サイード・シャムスッディーン)の死後、後を継いだその息子・ナスラーディンと大理の長年の統治者である段一族から段信苴が率いる兵士700人のみ。

ミャンマーとの境にある徳宏州の小梁江(今の曩滚河)で両軍激突となりました。

じつはパガン王は、この日のために長い時間をかけて周到に準備しておりました。

象には冑を着せ、その背に頑丈な木の櫓を組み、櫓の両脇には大竹筒がせり出して、筒に短槍が数十入っています。その槍は櫓に乗った人が手に取って投げつけるのです。その櫓には少なくとも12~16人の兵が乗り、中列に配置。

さらに前陣に騎兵、後列に歩兵がそれを囲みます。

マンガの戦闘シーンにも出てきそうな圧倒的な威圧感ある布陣です。

一方元軍は3隊に分かれ、一隊は象が近づいてくるのをじっと待ち、進軍してきたのを機に森から象めがけて徹底して弓弩を射かけました。

負傷した象は狂奔して森に入ると、上に乗っていた櫓は木々に当たって破壊され、人は落ち、それでも象はあらゆるものを前後の見境なく破壊しながら進み、恐怖の大混乱を引き起こしたのです。

 パガン軍は大量虐殺され、一日も経たずに壊滅に追いやられました。武に自信満々のパガンの王が勝つとの予想はあっさりと覆いされたのでした。
(つづく)
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