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雲南の豆腐⑤

2010-04-18 21:11:27 | Weblog
写真は連日、通った豆腐屋さん。手前のビニール袋は私用の豆乳。まさに手渡される瞬間です。

【毛豆腐】
 文明開化以後、日本の大部分の地域で豆腐の味が移り変わる中、変わらぬ製法で作り続けられる雲南の豆腐のなかで、奇妙なものを取り上げてみよう。

 雲南では4・5月頃、乾期から雨期へと向かう。
(今年は歴史的な猛烈な日照りが続いて、雨期がこれほど待たれている年はないようです。)
 その一瞬の乾燥した薄暖かい日限定の2週間だけ、市場に並べられる豆腐がある。「毛豆腐」だ。達筆な毛筆で「建水直送」などとペラペラの紙に墨書きされ、いやでも目に留まる。

 和菓子製造の店にあるような薄っぺたい木箱で、箱の底は通気性のよい竹編みになっている。その竹編みの上に太さ1センチ、長さ5センチほどに切り分けられた豆腐が1センチほどの感覚で行儀良く並んでいる。驚くのは、その名の通り‘毛’だらけなこと。ふんわりとした白い毛(和名「毛カビ,mucor」)を隙間無く身にまとった姿は、どう見ても食べ物、というより「毛虫」だ。

 期間限定なのは、伝統的な製法では、最適生育温度15度で、乾燥して雑菌が付かない時期にしか作ることができないため。それが雲南の中部では、春の乾期の名残のこの時期なのだ。もちろん、設備を整えて、最適温度と湿度を保てば、作ることができるはずだが、市場で売られる毛豆腐は、昔ながらの製法なのだろう。

 さすがの様子に、自分の口に入れる勇気が出ないまま、季節は終わってしまったので、食する機会を逸してしまった。

 地元の人はこの豆腐を使ってそのまま炒めたり、煮たり、さらに塩分で味付けを施して発酵させる、ということだ。

【おまけ】
 ちなみに毛豆腐の写真は何度も撮ったのですが、撮るたびに、信じがたい理由でフィルムがオシャカになってしまい、手元にはありません。残念です(以下は信じがたい理由のうちわけです。お暇な方はどうぞ。)

1 市場脇に見慣れた緑色の「Fujicolor」の看板があった。色の浅黒いおじさんと、太ったおばさんが、うっすら埃をかぶったガラスケースの上で、いつも頬杖をついて座っていた。そこで昆明で撮った写真の現像を頼んだら、3日後、すべてが透明になってしまったフィルムを渡され、手で追い払われた。血の気が引いた。

2 今度は、街中の一等地の写真館で、中国で買ったスライドフィルムの現像を頼んだ。スライドだよ、と何度も念を押した。ところが、やはり何の手違いか、現像は失敗。写真館でへたり込む。頑張って怒ってみる。迫力負け。

3 以後、日本から来た賓客に現像のフィルムを渡し、日本で現像してくれるように頼む。これはうまくいったが、そのころには天然の毛豆腐の季節は終わっていた・・。
 その半年が経った頃、ようやく日本並みに技術を持つ現像スタジオを見つけ、バスを乗り継いで現像をお願いするようになった。また、デジカメも使うようになり、どちらかの画像が残るようにはなった。(ああ、思い出しても涙がにじむ。初期のメイ作写真は永遠に彼方へと逝ってしまったのでした。)

参考文献:中国食物事典 洪光住監修、田中静一編著、柴田書店、437p

*いつもお読みくださりありがとうございます。読者の方から「山口の豆腐は本当においしいのですか? 実際に食べたのですか?」との質問をいただきました。私がおいしいと思ったのは、ざっくりいうと、中国山地の山間で作られる豆腐です。岡山、広島、山口の小さな豆腐屋のもの。営業で全国各地を渡り歩いた男性が開いた蕎麦屋や、なんとか客足を取り戻そうとがんばる寿司屋の主人が副菜を求めて探した豆腐、などで出会いました。そういえば、漫画『美味しんぼ』の初回の豆腐あての豆腐も、そのあたりでしたね。
 よい水と、昔ながらの生搾り製法が生き残っているためでしょう。

*今回もながーい文章にお付き合いいただきまして、ありがとうございます。感謝です。

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