(英語版)
初出:2010.7.5
飛行ルートの誤算
当初ナタンズを爆撃するための飛行ルートは地中海上空からトルコを通過しイランに侵入する計画であった。飛行ルートの候補としてはそのほかにも今回のサウジアラビア・イラク国境線沿いのルート或いはシリア・イラクを通過する三つのルートが検討された。いずれにしてもトルコ、シリア、イラク及びサウジアラビアのいずれかの国の領空を侵犯することに変わりはない。場合によってはレバノン又はヨルダンの領空も侵犯することになるが、イスラエルにとってこの2カ国は最初から無視できる相手である。
いずれの第三国の領空も侵さずにイランに至るルートが最も安全なのであるが、そのためにはアラビア半島沿いに紅海からオマーン湾、ペルシャ湾の公海上を飛ぶ大回りコースしかない。しかしこのルートは戦闘機の航続距離の制約があり問題外であった。空母さえあれば、と嘆く軍の幹部もいた。もし空母があればアラビア海から燃料補給なしで出撃できたからである。
結局三つのルートが比較検討された。三つの案の中ではシリア・イラクルートが最短であり物理的なリスクは最も少ない。しかしこの案は最初に斥けられた。イスラエルとシリアの間では今もゴラン高原を巡る紛争が続いている。しかもシリアは地域の軍事大国であり、同国上空を通過すれば全面戦争に拡大する恐れがあった。
残るトルコ上空通過案とサウジアラビア・イラク上空通過案のいずれを選択するか? その結論は明白であった。トルコ上空通過案である。イスラエルとトルコの間には緊密な軍事協力関係がある。トルコはイスラエルから最先端の兵器を買い付け、その見返りとしてイスラエルの軍用機が自国の上空を通過することを認めているのである。なぜ緊密な軍事関係が生まれたのかは複雑な外交的要素が絡み合い一言で説明するのは難しいが、単純化して言うなら、イスラエルもトルコも親米国であり、またイランはイスラエルにとって敵であると同時にトルコにとっても潜在的な脅威だと言うことである。つまりイスラエルの敵が同時にトルコの敵なら「敵の敵は味方」と言う訳である。
さらに戦闘機への空中給油の点でもトルコルートは都合がよかった。どのルートも戦闘機の行動半径1,700キロメートルを超えており、任務終了の帰途どこかで給油しなければならない。トルコルートであればトルコ領空を越え地中海の公海上に達した時に給油すれば何ら問題は発生しない。しかしサウジアラビア-イラク・ルートであればアラビア半島の上空で給油しなければならずリスクが高い。こうしてイスラエルはトルコルートを選択したのである。イスラエルはイランに最も近いトルコ領内の米軍基地に戦闘機とパイロットを派遣し、秘かにナタンズ爆撃の模擬演習を重ねた。今朝飛び立った3人のパイロットもこの秘密訓練を受けたのである。こうしてナタンズ爆撃の準備は着々と進んだ。
そのようなときに突然予期せぬ事件が発生した。ガザ地区のパレスチナ人のための救援物資を積み地中海を南下中のトルコ船籍の小型船がガザ沖合でイスラエルの臨検を受けた。その時イスラエル側の発砲により9人のトルコ人が死亡したのである。トルコ船が積んでいた物資は食料、医薬品、衣料などあくまでも人道的な支援物資であった。しかしイスラエルは武器弾薬があるに違いないと邪推し臨検を行ったことから悲劇が発生した。
イスラエルは国内ではパレスチナ過激派ハマスのゲリラ活動に脅かされ、国外では近隣アラブ諸国やイランからの外交的非難に晒され続けている。このためイスラエル政府と軍部強硬派は常に被害妄想に駆られているが、一方では四度の中東戦争の成功体験が自信過剰を生んでいる。かれらにはこのような矛盾した感情が奇妙に同居しているのである。彼らの心の中に矛盾した感情が少しずつ沈殿し、今では尋常な精神を失いつつある。そのことが今回の事件を引き起こしたと言えよう。
トルコ国内ではイスラエル非難の声が猛然と高まった。イスラム政党が政権を握った数年前からトルコの世論はパレスチナ人を擁護しイスラエル政府を非難する論調が目立ち始めたが、今回それが一気に火を噴いたのである。実はこの事件の数か月前にトルコ国民の感情を逆なでするような或る小さな事件が発生していた。それはイスラエルがトルコ国内で放映されたテレビ番組にクレームをつけ公式な謝罪を求めた事件である。
他国の放映番組で自国が侮辱されたとして相手国の大使に抗議を申し入れることは珍しくない。この時もイスラエルに駐在するトルコ大使は外務副大臣に呼び出され彼の執務室を訪れた。部屋に入ると既にイスラエルの報道陣が控えており、またテーブルの上にはイスラエルの国旗だけが置かれていた。このような場では報道陣は写真を撮ると直ぐに退席するのが普通であり、またテーブルには両国の国旗を飾るのが外交儀礼である。
大使は一瞬いぶかしく思ったが、さほど気にも留めず低くゆったりしたソファーに身を沈めた。副大臣は背の高い事務椅子に傲然と座り、低いソファーのトルコ大使を見下ろすポーズを取りながら居並ぶ報道陣にヘブライ語で滔々と演説をはじめた。ヘブライ語を理解できないトルコ大使は穏やかな外交スマイルで副大臣の話が終わるのを待っていた。彼は副大臣が報道陣にとんでもない説明をしていることを知る由もなかった。もしトルコ大使が多少ともヘブライ語を理解することができ、或いはイスラエル外務省の副大臣が英語でしゃべっていれば大使は間違いなく憤然と席を立って抗議の意思を示したであろう。
副大臣はトルコ大使に人差し指を突き出しながらヘブライ語で、「トルコは自国で放映された反ユダヤの番組を深く恥じ、このように謝罪に訪れたのである。」と居丈高に言い放ったのである。翌朝このニュースがテレビで報道され副大臣の発言内容が明らかになるとトルコ世論は激高し、副大臣発言は両国間の外交問題に発展した。さすがのイスラエルも副大臣の非礼を認めて謝罪した。こうして問題は表面上鎮静化したが、トルコ国民にイスラエルに対する強い反感を残したのである。
外務副大臣の放言事件とガザ救済船によるトルコ人殺害事件。この二つの事件によりイスラエルとトルコの関係は修復しがたい状況になった。イスラエルはトルコ上空通過によるイラン爆撃をあきらめ、リスクの高いサウジアラビア・イラク上空通過ルートに変更せざるを得なくなったのである。
(続く)
荒葉一也