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第5章:二つのこよみ(西暦とヒジュラ暦)(18)
132うっぷん晴らしとしっぺ返しの悲劇(4/4)
しかしフセインの野望も、そしてパレスチナ人たちの期待も所詮は邯鄲(かんたん)の夢であった。半年後にクウェイトは解放された(湾岸戦争)。イラクは撤退の置き土産に油田地帯に火を放った。クウェイトの砂漠に真っ赤な炎が立ち昇りあたりには原油の黒い飛沫が飛び散った。クウェイトの上空は黒煙に包まれ、昼なお薄暗い日々が続いたのであった。
ジャービル首長などサバーハ家王族は亡命先のサウジアラビアから舞い戻り、クウェイトは落ち着きを取り戻した。彼らは解放に力を貸してくれた米国をはじめとする多国籍軍の派遣国に深く感謝した。そのために新聞の全面広告も出た。そこにはパキスタン、スーダンなど多国籍軍に参加した国の名はあったが、軍隊を派遣できずその代わりに1兆円という巨額の支援金を拠出しただけの日本の名は無かった。
一方、クウェイトはフセインを支持した者を許さなかった。政府はパレスチナ人とヨルダン人全員を国外追放処分にした。国境の南にあった日本人が操業する石油基地もクウェイトが50%を握っていたためその対象となった。パレスチナ人たちのうっぷん晴らしに対するクウェイト側のしっぺ返しである。しかしクウェイトの行政と経済を下支えしていた彼らを追放すればどうなるかは日の目を見るより明らかだった。クウェイトの受けた傷は深く、それは今も癒えていない。
(続く)
荒葉 一也
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