まつや清の日記 マツキヨ通信

静岡市議会議員 まつや清の日常を毎日更新!

限界集落が話題になりますが、日本は限界自治体、限界国家ではないのか

2008年02月18日 | イベント
 今日は1年ぶりに3月2日の駿府マラソンの10キロコースを走りました。65分。10キロは走れるスタミナは確認しましたが、50分に持っていくのは15分の短縮が必要です。今日は18日、トレーニングの時間はありません。目標を下げるしかないか!

 夜は地域シゴトの学校のプレゼントレーニング。我がチームの「その先の地産地消」、「限界集落」への支援プロジェクトに修練されつつあります。大学生の横石君、一人で奮闘、3分プレゼン。しかし、またも厳しい校長先生の言葉。

 「優等生的」。その中で「このチームのメーリングで松谷さんが、若き日を髣髴させるアジテーションを展開している。限界集落は日本の「滅びのキーワード」だと」。この投稿はチームの勉強会での講師の発言に刺激されてのものです。

 若干修正、補足して紹介します。
「みなさん、元気ですか。昨日、今日と神戸に出張でした。清沢もいけていませんが、A会社訪問での議論はどこかに役立ててください。私が一番心に残った言葉は、限界集落、限界自治体、限界国家、というK社長の言葉です。つまり限界集落に象徴される「滅びの日本」です。

限界集落は、実は日本という国、限界自治体、限界国家を表現している言葉ではないのか。「中国ギョウーザ」が象徴的で、地産地消の観点で言えば、日本は既に限界国家ではないのか。その意味で、限界集落とは日本の「滅びのキーワード」。

K社長やS会長が語った、有東木の地質に関わるフォッサマグマでのアルカリ湧き水で作られているわさびはきわめて高い人気の話、ちょっと驚く森を再生させるための森やきつくし運動、面白いと思いませんか、の話。限界集落、再興の道筋がそこに示されています。この道筋の中に日本の「滅び」からの脱出の道があります。

しかし、一方で、上位計画と下位計画があり、例えば合併という上位計画は限界集落を促進している、限界集落を再興するというのは、この上位計画に逆らうこと、逆らう道が示せるのか、とK社長さんの発言。その言葉の中には、滅びの日本を阻止できない、阻止できなかった私たちおじさん族の「時代的選択」への批判が込められています、少なくも私はそう受け止めました。

最終的に、どこかの地区の限界集落を扱うにしても、その中に「持続可能なもう一つの日本の姿」を見せることが出来るかどうかであると思います。先日のナマケモノ倶楽部での湯たんぽを使っている若者の話しがありました。それはカッコいい、おしゃれ、なライフスタイルです。環境に優しい生活です。

ただ、一方で、私がその時に言いたかった湯たんぽは電気毛布に負けたというか、電気毛布がカッコよかった時代があるわけです。そのカッコよさが、実は「滅びの日本」につながってしまっていたんだよと。カッコよさで時代を越えられるのか。

限界集落を何故、とめることが出来ないのか、そして、何故、再興しなければいけないのか、そのことを若い世代がどう受け止めているのか、ここを語って欲しいというのが、プレゼンへの私の希望です。

限界集落の「再興」はそんなに簡単ではありません。私たちの時代の、おじさん族が捨てた「村々の生活」、どう世代間連携で再興できるのか」。

みどり的成長経済はありうるのか、丸山仁教授の話を聞く

2008年02月18日 | 虹と緑 緑の党
 17日の丸山仁岩手大学教授の「持続可能なみどりの社会に向けて」の講演は極めて刺激的でした。みどりの政治を目指す人々が「脱成長」を掲げるだけでは不十分で、みどり的成長の路線があることを検証すべき、との展開でした。

 ロハス的な生活スタイルはカッコいい、おしゃれ。このセンスをある意味。組織化することで環境ビジネスが成立する、それは成長経済、だと。この政治選択が日本ではまだ主流になっていない。まずは、この成立を目指すべきでは。

 しかし、一方で、それはあくまで先進国内部での現状維持と環境の関係であって、発展途上国との平等な関係にいたっていない、だから総量抑制が必要、これは脱成長。ここをどう政治が解決するのか。緑政党の社会的ニーズだと。

 丸山さんとはローパス時代からのお付き合い。名古屋大学に緑の党の論文を書いている若手研究者がいると、ということで「コンコン」と勝手に研究室のドアを叩いた10年以上前の記憶が蘇ります。

 畑山、丸山両学者は、緑の政治にとって必須な方です。参加者一同、今度は東京で、静岡で、長野で、丸山さんの話をじっくり聞いてみようと。今日は、緑の党を国政選挙の場でたちあげていこう、という討論会もありましたが、気分上々です。