まつや清の日記 マツキヨ通信

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私達の偉大な友人、中村順英さんのお通夜、葬儀に菅総理の弔問、弔電

2010年12月11日 | ニュース・関心事
12月5日になくなった私達の偉大な友人、中村順英さんのお通夜と葬儀が12月9日、10日と静岡市平安ホールにて多くの方の悲しみの中しめやかに営まれました。お通夜には菅総理も弔問に訪れ、最後の別れをしてくれました。

本葬儀には、市議会厚生委員会の開催中で弔辞を読むことになっていたにもかかわらず間に合いませんでした。初七日の法要には何とか間に合い、弔辞を詠ませていただきました。その後の骨上げ、精進落とし辛い1日でした。

葬儀委員会のメンバーは最後に自宅に奥様と一緒にお骨や遺影を届けお線香を上げさせてもらいました。何人もの方から本葬儀での弔辞がすばらしかったとのお話があり、やむ得ず聞くことが出来なかったのはとても残念です。

まだ実感が湧かないのが正直な所で少しずつ中村さんのいなくなった現実が胸を締めつけてきます。追悼集の発行も協議され中村順英さんの人柄や業績、功績を多くの人たちに伝えたいと様々なアイディアが出されました。

弔辞では「ジュンエイさん さようなら」といいましたが、さようならなんて言いたくありません。来年には、関係する方々で追悼集会を開き、みんなの想いを話してもらう機会を作っていきたいと思います。

※※ 用意した弔辞(実際は,言い替えをあちこちでしています)

弔辞                     2010年12月10日

順英さん 間に合いませんでした。お許し下さい。あなたの遺影を見ていると、そこから飛び出し巨体を震わせて演説するあなたが目の前に現れてくるような感じです。天使の聖母修道院、シスター石井がくも膜下出血から2年、奇跡の復活を果たしたように順英さんも必ず私達の前に復活することを信じていました。

順英さん、この静岡であなたほど「市民」という言葉を愛し、市民社会を論じ、市民の政治を高らかに語った人は居ません。それは、あなたが東大-全共闘運動に参加し、挫折の後、参加型市民社会論をベースとした社会市民連合、社会民主連合を結成した安藤仁兵衛さんの門下生を自認していたからですよね。そして、昨日、お通夜に多忙も多忙な菅総理があなたに最後のお別れに来てくれたのも、その時代を共に闘った同志であったからですよね。棺(ひつぎ)の中のあなたをみながら菅総理は、奥様・まさよさんに弁理士・菅直人、弁護士・中村順英共同事務所の時代をなつかしんで話していましたが、聞こえていましたか。

順英さん、あなたは、法律の専門家であると同時に、新しい市民の政治を静岡に根付かせたいというあふれんばかりの情熱と時代への先見性を持ち合わせた類まれな市民活動家であり市民政治家でした。

順英さん、あなたのその情熱と時代への先見性は、外国人の人権をめぐる市民活動にも遺憾なく発揮されました。現在、韓国民団事務局長のキム・ヨンさんたちがはじめた在日韓国人の指紋押捺廃止を求める市民運動のよき理解者となり、1988年フィリピン人女性の餓死事件をきっかけにしたアジアを考える静岡フォーラム結成にかかわり、弁護士会の刑弁センターにおいて外国人支援の活動を積極的に担っていただきました。10年後1998年にはアジアを考える静岡フォーラムの代表を引き受け、医師である榎本信雄さんを代表とする外国人のための無料検診会という新しいジャンルの市民活動をリードしてくれました。実は、あなたは大学の卒業論文に「在日朝鮮人の日本における法的地位協定」を書き、そこに在日韓国人・朝鮮人の地方参政権を先見的に提示していました。グローバルな市民社会の構想は若き青年時代に育まれていたんですよね。

順英さん、あなたは、私や当時静岡市議会議員であった白鳥良香さんらと結成した市民活動の草分け、街と生活を考える市民センターにも参加してきました。そして、1987年「まがったキュウリの時代」というキャッチフレーズとマンガのポスターという都市型選挙手法で無名の私、まつや清を市議会に送り出してくれました。誰もが無謀論を唱える中、市民センターの人々とあなたの全人脈を注ぎこんだこの大冒険は、あなたのハリケーンのような「人と人を巻き込む」類まれな市民活動家的能力で成し遂げられました。一方であなたは「今日、家庭にはガス火、石油の火、電気の火しかなく我々は炎を操る機会を喪失したとして、いまや、絶滅の危機にひんしている「焚き火」の革命的な復権を目指し「焚き火研究会」を発足させるなど機智に満ちたアイディアで多くの人たちを驚かしました。カラオケで歌う「網走番外地」と今日も流れている「いい日旅立ち」がごちゃ混ぜなあなたは多くの人に愛されました。ただただ、感服と感謝しかありません。

順英さん、あなたが夢見た静岡市における「市民の政治」は、駿河区で静岡市議会最年少議員の宮澤けいすけ君を登場させました。あなたのパワーに再びエンジンがかかり始めました。二人が当選したあの日「静岡にもう一度市民の政治が生まれ変わる時代がやってきた」と大喜びし朝までお酒を飲んでいたあなたの姿が私の脳裏に焼きついています。しかし、あなたはこの市民の政治が大きく広がり、昨年8月の民主党の政権交代という新しい政治のドラマをみることはできませんでした。本当に残念です。お見舞いの多くの方からのささやきで実は知っていたかもしれません。あなたが元気であったなら、その後の困難な政権運営の中で菅総理はまちがいなくあなたを官邸に呼びいれたはずです。昨日、菅総理があなたにお別れに来てくれたことがそれを物語っています。

順英さん、あなたの情熱と時代への先見性によってまかれた市民の政治の種、あなたの意思を宮澤けいすけ君や多くの市民の方々と一緒に成し遂げとげることをここに誓います。私達の胸の中にあなたは生きています。あなたの「みはてぬ夢」を私達は引き継ぎます。

さよなら、ジュンエイさん。安らかに眠ってください。

2010年12月10日 静岡市議会議員         松谷 清