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初めてお会いしたのはいつだっただろうか。総連系の朝鮮人として自立の道を歩み始めた頃だろうか。私自身は、どちらかという民団系の青年たちとの付き合いが多かったがキム・ヨンテクさんがそうした流れにも参加し始めたことがきっかけであっただろうか。
とにかく厳しい人だった。最近はお会いすることもなく不義理をしていた。亡くなられた静岡大学名誉教授の藤本治先生とは同志の仲であった。お通夜が行われたセレモニーホール葵豊田に遅れてお線香をあげさせてもらった。初めて息子さんにお会いできた。
中島みゆきの「地上の風の中のすばる砂の中の銀河みんな何処へ行った 見送られることもなく草原の ペガサス街角のヴィーナスみんな何処へ行った 見守られることもなく 地上にある星を誰 も覚えていない人は空ばかり見てる つばめよ高い空から教えてよ」が流れていた。
「父はとにかく堅苦しい葬儀はいらない。この曲をかけてくれ、と言われてました。タバコが好きで、肺気腫だからやめてくれ、お願いしたけど聞き入れませんでした」。「ヨンテクさんは、自分の人生だ。自由にやらせてくれ、いいますよね」。「その通り、の答えでした」。
静岡の在日と自分をつないでくれた「在日韓国人の明日を考える会」の金勇(キム・ヨン)さんは、今、ヨーロッパの旅。この訃報を聞いていてくれてただろうか。静岡のインテリゲンチャーとして私たちにその生き方を示してくれたヨンテクさんが長い旅にでかけた。
これからも私たちを天から見守っていただきたいと願うばかりです。ご冥福をお祈り申し上げます。※写真がないので明日、葬儀が行われるセレモニーホールの写真をアップします。