まつや清の日記 マツキヨ通信

静岡市議会議員 まつや清の日常を毎日更新!

泊原発稼動のニュース聞きながらの第4弾ツアー3日目の訪問先はいわき市

2011年08月11日 | ニュース・関心事
東北電力の供給電力に対する消費電力が98%、東京電力から最大で140万キロワットまで融通できるとの報道、第4弾ツアー3日目はいわき市。中電が東電に融通していた電力が30万キロワットだったころが懐かしくこんなに電力があるんだと驚きです。

私は、佐藤和良市議会議員など自治体議員政策情報センターメンバーとの福島原発震災情報連絡センター(仮称)設立に向けての協議、残りメンバー27名は福島あずさいわき市議の案内で小名浜支所、薄磯海岸、久ノ浜海岸、静岡市からの有機野菜送り先・好間保育園訪問。

いわき市で広野町など原発立地自治体8町村の避難住民15000人、福島第一原発で働く7000人の被ばく労働者、更に県外避難の立地8町村住民が2000人増加の予定とのことで人口が34万人から36万人に増加、福島原発最前線基地となっているとのこと。

佐藤議員が強調された点は、長期の低線量被ばく、海洋汚染、汚染食品による内部被ばくの拡大、南相馬市での自主避難住民と残留住民との間の感情的垣根に対しては情報統制による被ばくへの慣れ、汚染地帯への県民の留置、棄民化政策が大きい、との強い批判。

こうした中で、自主避難受け入れ態勢や非汚染食品の子どもたちへの供給、放射線汚染測定機器購入カンパの要請や原発被害者援護法制定の提起がありました。そして、まだ課題がありますが福島原発震災情報連絡センターの呼びかけの合意がなされました。

いわき市の見学組が一番印象に残ったのは、小名浜支所長の3月11日震災後の「防災マニュアルが何も役に立たなかった」というお話だったようです。福島原発震災ツアーの果たす役割を改めて確認できました。第5弾も計画していきます。ご期待ください。

もんじゅ廃止も含め検討との菅首相国会答弁聞きながら南相馬市訪問

2011年08月10日 | ニュース・関心事
※写真は南相馬市警戒区域境界 除染のひまわりが植えられています。

福島原発震災支援第4弾ツアー2日目は南相馬市。7:30より但野謙介市議案内で前回見学の火力発電所周辺、福島第一原発から20キロの警戒区域境界線、南相馬市商工会議所復興会議メンバー小澤積さんの復興構想プレゼン。

5月25日に南相馬市を訪問していますが、海岸線の農業地帯での塩水や津波による船の散乱など被災状況に、自然の力ですが緑の草原と化した田園風景は被災現場を忘れさせてしまいます。この中に何を学ばなければならないのか。

10:30より、街の復興構想について小澤さんのレクチャーでした。復旧に向けた政府や東電の責任と損害賠償という世界とそこに頼りながらも新しい街づくりを「被災のピンチをチャンスに変える」と「リスク」ある選択を考える住民。

食事を兼ねた但野謙介市議や地元NPOフロンティアのメンバーを囲んでの意見交換、終了後のいわき市訪問。何とバスのクーラーのガス故障でバスの中は熱帯夜状態。ぐったりしながら、31名参加のいわき市懇談会へ。

明日は、今後の福島原発震災情報連絡センターの討論グループと小名浜支所長の説明や薄磯海岸、久ノ浜海岸見学コースの二つに分かれます。今後の福島原発被災地支援と全国の原発停止に向かうロードマップの策定が急務です。


菅首相の核燃料サイクル見直し答弁聞きながら郡山市ビッグパレットへ

2011年08月09日 | ニュース・関心事
福島原発震災支援第4弾ツアー、朝の6:50静岡駅南口を出発、途中高速での工事渋滞、ビッグパレットに14:00過ぎに到着。郡山前市議の駒崎ゆきこさんの案内で川内村「おたがいさまセンター」の古内伸一に3月11日以降の経過と現状を説明いただきました。

5月25日時点での1500人(3月16日現在2400人)の避難所が現在は200人。「ビッグパレット福島避難所へ」「おたがいさまセンターができるまで」「おたがいさまセンターの取り組み」「おたがいさまセンターの今後と課題」をじっくりと聴きました。

その後、南相馬市に移動。途中、国道115号線を通りながら伊達市付近で心配になるほどの雷と豪雨。ホテルに到着が20:00。早速の食事とビール。飯舘村の愛澤さんとNPO法人フロンティアの星さん、池田さんから食事しながらの問題提起を受けました。

愛澤さんからの飯舘村住民の放射能の内部被ばくの測定に関する一進一退の東京電力や政府とのやり取りは通常では得ることができない情報ばかりで市民活動の原点を見る思いでした。8月中に子どもたちの甲状腺放射能汚染に関する説明会がるとのことでした。

NPO法人フロンティアの活動については前回の訪問時「コーヤ緑のカーテン」その後と事業終了後の展開についていろんなお話を聞きました。チェルノブイリ事故に関わって河田さんら名古屋グループの500mメッシュの放射能汚染巡る議論は非常に刺激的でした。

こうして顔を合わせ、自由な議論を展開することのすばらしさを感じました。もちろん、すぐに答えは出ません。しかし、その議論の水準がきちんとしたレベルの場合に、関わりのない様々なテーマの実践に重なるものになります。とても元気をもらいました。

菅首相の核燃料サイクル見直し答弁を実現していく方法について今回のツアーの中で徹底議論をして何かヒントをつかんで帰りたいものです。

福島原発震災被災地のいわき市、郡山市の弁護士講師での弁護団集会

2011年08月07日 | ニュース・関心事
13:30から16:30とぎっしりつまったプログラムの中、「フクシマの報道されない真実~福島第一原発がもたらした悲劇~」をテーマとする「運転終了・廃止等請求訴訟弁護団」集会に200名余が参加しました。

3月11日以降に始まった様々な新しい脱原発運動の広がりの中、静岡県弁護士会の113名が弁護団に参加するという、弁護団運動というまさに新しいジャンルの脱原発運動が静岡でも始まったということでしょうか。

最後に鈴木敏弘弁護団長が何故自分たちが関わろうとするのについて、これまでの「ヒロシマーナガサキービキニ」という非核運動から「原発に依存しない社会」を自覚したことについての丁寧な経過と決意が述べられました。

10月13日の第1回口頭弁論後に2回目の市民と共に新たな集会の計画について紹介がありました。いわき市の渡辺淑彦弁護士、郡山市の渡邉純弁護士の報告での脱原発に向かう自分と市民生活のリアル感は新鮮でした。

特に郡山市での空間線量が高い中、子どもだけでも脱出させようと努力した渡邉弁護士夫妻の努力と一度は決断した娘さんが「やっぱり友達といたい」と避難しなかった現実をどう受け止めるべきか、大いなる問題提起です。

いずれにしても、脱原発に自分が何故向かうのか、そのきっかけは何であったのか、原告含めての発言は脱原発運動の多くの人たちを巻き込んでいる現実を認識させられます。その根底に福島原発震災の過酷な現実があります。

そこを原点にして静岡県、全国の脱原発運動のネットワークを広げていきたいものです。

8月6日地元若葉町町内会夏祭りで東日本大震災の犠牲者への献灯

2011年08月07日 | ニュース・関心事
今日は、城北学区の若葉町町内会の恒例の夏祭り。今年で5年目、地域の絆を培おうと計画されました。400戸の町内会ですが300人近い住民の参加、子ども達は100人から150人の間と思いますがすごい人気です。

盆踊りも3回も祭りの中で行われ、私も大いに踊りましたが、普通はなかなか人の輪が出来にくいのですが、結構の方々が踊りを楽しんでいました。缶ビールを3缶も飲んでしまいました。そして、終わりに花火大会。

その直前に町内会としての3月11日の東日本大震災で亡くなられた方や行方不明の方々を偲んでの100個以上はあったと思いますが手作りのろうそく入の献灯。この小さな町内会の祭りと東日本大震災が結びついています。

勿論、ヒロシマとも。この絆が地域の人と人のつながりで担保されていくその基盤がこの8月6日、9日、15日を通じてどのような議論水準と人と人とのつながりとなっていくのか、双方にレベルアップが求められます。

楽しい夏祭りでした。


菅首相のヒロシマ記念式典でのあいさつ

2011年08月06日 | ニュース・関心事
聞き漏らすまいと朝のヒロシマ記念式典での菅首相のあいさつに注目しました。非核の原点ヒロシマ・ナガサキと福島原発震災が高レベルの外部被ばくと低レベルの内部被ばくという形で時代を越えて重なりあっています。

「私は、原子力については、これまでの「安全神話」を深く反省し、事故原因の徹底的な検証と安全性確保のための抜本対策を講じるとともに、原発への依存度を引き下げ、「原発に依存しない社会」を目指していきます」。

政局中の政局の中で、菅首相を支持しないが「脱原発派支持」7割という世論状況をどのように見ていくべきか。民主党が「脱原発」でまとまり、諸マニュフェストの上位に位置づけ修正の説明責任を果たすという選択。

これはありと思います。明日は「浜岡原発運転終了・廃止措置等請求訴訟弁護団集会」、8日~10日まで福島原発震災被災地へとのスケジュールですが、戻ってから父親の三回忌で実家柏崎です。忙しさが続きます。


※※広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式あいさつ

 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊(みたま)に対し、謹んで哀悼の誠(まこと)を捧げます。
 そして今なお原子爆弾の後遺症に苦しまれている方々に、心よりお見舞いを申し上げます。

 六十六年前、ここ広島を襲った核兵器の惨禍を、人類は決して忘れてはならず、二度と繰り返してはなりません。私は、日本国政府を代表し、唯一の戦争被爆国として、究極的な核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向け、日本国憲法を遵守し、非核三原則を堅持することを誓います。

 我が国は、「核兵器のない世界」の実現に向け、国際社会の先頭に立って取り組むと強く決意し、それを実践してきました。昨年、我が国が国連総会に提出した「核兵器の全面的廃絶に向けた共同行動」と題する決議案は、米国を含む過去最多の九十か国が共同提案国に加わり、圧倒的な賛成多数で採択されました。また、昨年の核不拡散条約(NPT)運用検討会議で得た合意を着実に実施するため、核兵器を持たない国々の地域横断的なグループである「核軍縮・不拡散イニシアティブ(NPDI)」を立ち上げました。こうした志を共有する国々との活動などを通じて、核軍縮・不拡散分野における国際的な議論を主導しています。

 核兵器の悲惨な実態を将来の世代に語り継いでいくことは、我が国が世界に果たすべき歴史的な役割です。昨年、この式典で、私は「非核特使」の派遣を提唱しました。本日までに、広島で被爆された延べ十七名の方々が、地球一周証言の航海に参加されるなど、世界各地で、核兵器の悲惨さや平和の大切さを発信していただきました。非核特使の皆様の献身的なご協力に感謝申し上げます。また、被爆者の方々の協力を得て、被爆証言を外国語に翻訳し、世界各国に紹介する取組も始めました。核軍縮の機運を高めていく上で、市民の皆様の熱意と関心は欠かすことができません。皆様と共に、核軍縮・不拡散教育に関する活動を世界に広げてまいります。

 原子爆弾の後遺症により、現在も苦しんでいる方々がおられます。政府は、これまで保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護策を講じてきました。
 原爆症の認定を待っておられる方々を一日でも早く認定できるよう最善を尽くします。認定制度のあり方については、昨年十二月から有識者や被爆者団体等の関係者にご参加いただき、検討会を開催しています。今後とも、高齢化の進む被爆者の方々の声にしっかりと耳を傾けながら、被爆者の方々の援護に誠心誠意、取り組んでまいります。

 本年三月十一日に発生した東日本大震災は、東京電力福島原子力発電所に極めて深刻な打撃を与えました。これにより発生した大規模かつ長期にわたる原発事故は、放射性物質の放出を引き起こし、我が国はもとより世界各国に大きな不安を与えました。
 政府は、この未曾有の事態を重く受け止め、事故の早期収束と健康被害の防止に向け、あらゆる方策を講じてまいりました。ここ広島からも、広島県や広島市、広島大学の関係者による放射線の測定や被ばく医療チームの派遣などの支援をいただきました。そうした結果、事態は着実に安定してきています。しかし、今なお多くの課題が残されており、今後とも全力をあげて取り組んでまいります。
 そして、我が国のエネルギー政策についても、白紙からの見直しを進めています。私は、原子力については、これまでの「安全神話」を深く反省し、事故原因の徹底的な検証と安全性確保のための抜本対策を講じるとともに、原発への依存度を引き下げ、「原発に依存しない社会」を目指していきます。
 今回の事故を、人類にとっての新たな教訓と受け止め、そこから学んだことを世界の人々や将来の世代に伝えていくこと、それが我々の責務であると考えています。

 結びに、原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、被爆された方々並びにご遺族の皆様の今後のご多幸を心からお祈りし、併せて参列者並びに広島市民の皆様のご健勝を祈念申し上げます。核兵器による惨禍が二度と繰り返されることのないよう、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に、全力で取り組んでいくことを改めてお誓い申し上げ、私のあいさつといたします。


平成二十三年八月六日
内閣総理大臣 菅直人



市議会太鼓サークル、第1回目の練習に鈴木和彦議員のホラ貝登場

2011年08月05日 | ニュース・関心事
市議会議員有志による第1回目の太鼓の練習が市民文化会館リハーサル室で開催されました。9:30の太鼓運びいれに鈴木和彦議員、浅場 武議員が10分も早く到着し動き始め、遅れて私と佐地茂人議員、池邨善満議員。

原田鑑一郎先生が、何とかして議員メンバーに太鼓の面白さをしてもらおうと昨日から「寝ず」の練習曲の準備。楽譜は準備されているのですが、体で覚えると云うのが芸の世界の原点と、一生懸命に教え込んでくださいます。

集まったメンバーも非常に熱心であっという間に練習曲のコツをつかみ始めました。すると先生の遊び心が頭をもたげ始め、鈴木議員が持ってきたホラ貝を吹くようにとのお薦め。鈴木議員がそれならと力強く、ぼーおっ、と。

なら、ホラ貝の音を3回出してもらい、その間は小刻みに雨音のように静かにうち、その後に強く打ち、そして小さく、そしてドン、ドン、ドン、ドン。これが曲の始まりとなりました。結構もりあがりメンバーに一体感。

主旋律は飛ばしてエンディングの練習。そうこうして1時間半が立ち、初めてバチを持つ人が普通にたたけるようになっていました。こうなるとメンバー、休憩の間もやたらと練習に没頭。太鼓の楽しさを実感した模様。

今日は清水メンバーの多くが港祭りの行事で全メンバーではありませんでしたが盛り上がりの第1回目でした。参加議員は、増田 進議員、亀澤敏之議員、三浦雅司議員、繁田和三議員、早川清文議員、佐藤成子議員。

8月7日(日)浜岡原発運転終了・廃止等請求訴訟弁護団主催の勉強会

2011年08月05日 | ニュース・関心事
3月11日福島原発震災を受けて新たな浜岡原発運転終了・廃止等請求訴訟が7月1日に提訴され、弁護団主催集会が下記の要領で開催されます。8月8日~10日福島原発震災支援第4弾ツアーで郡山市、いわき市を訪問します。

是非とも多くの方々に参加を呼び掛けたいと思います。

※※浜岡原発を考える講演会(第1回)「フクシマの報道されない真実~福島第一原発がもたらした悲劇~」

日時;8月7日(日)午後1時30分より(開場午後1時)
場所;静岡音楽館AOI 7階講堂(JR静岡駅北口徒歩2分)
講師;渡辺淑彦弁護士(福島県いわき市),渡邊純弁護士(福島県郡山市)
その他;入場無料,事前申込み不要

主催;浜岡原子力発電所運転終了・廃止等請求訴訟弁護団
   弁護団のHPはこちら http://www.hamaokaplant-sbengodan.net/


※ 浜岡原子力発電所運転終了・廃止等請求訴訟弁護団とは;
静岡県弁護士会に所属する弁護士のほぼ3分の1にあたる静岡県の弁護士113名及び県外の弁護士10名の合計123名からなる弁護団です(人数は6月27日現在)。

7月1日,中部電力を被告として,①浜岡原発の運転終了(再開を認めな
い),②核燃料棒の安全な冷却・保管,③解体によらない方法での原子炉の廃止措置(廃炉)を求める訴訟を静岡地方裁判所に提起しました。

この訴訟の第1回口頭弁論期日が10月13日(木)午前10時30分から静岡地方裁判所にて行われます。原告の意見陳述も予定されています。傍聴は抽選となるかもしれませんが,期日終了後に弁護士会にて報告集会を行う予定です。


「子ども手当て」を捨てた民主党、政権交代の意味を忘れた民主党

2011年08月04日 | ニュース・関心事
公債特例法案を通すためなのか、菅首相を退陣させるためなのか、岡田幹事長は自民党・公明党との協議で「子ども手当て」制度に所得制限を導入してしのぐ段階から児童手当制度に戻ると妥協線を引き下げ合意しました。

「社会が子どもを育てる」だからお金持ちも貧しい人も皆平等に子ども手当を支給する、しかし、お金持ちからは累進課税制度を活用して納税額を高くして社会貢献をしてもらう、という自民党と異なる民主党政策でした。

政権交代の目玉であり、財源も含めバラマキ批判も当初からありましたが、財源不足に最初は13000円と半額で始まった子ども手当て。市議会の中でも自民党から「子どもは社会でなく家族が育てる」として総反論でした。

民主党でもない私が、この「子ども手当て」制度を擁護しての論陣を張ってきました。しかし、今回は放棄は一体何のか、と怒り通り過ぎて笑えてきます。東日本大震災を経てどこまで財源不足が続くのか、総検証が必要です。

何故、妥協するのか、放棄するのか、その説明責任を徹底して明確にしなければなりません。衆議院と参議院のねじれ故の「妥協」とするなら、本筋は「脱原発」で民主党が結束し自公意外との過半数確保を模索すべきでは。

福島原発震災の収束のメドも立たない中での経済産業省事務次官、保安院長、資源エネルギー庁長官の「更迭」めぐってマスコミは「菅ー海江田」抗争との分析ですが本来は「自・公」時代の失敗施策の象徴が原発です。

「子ども手当て」を放棄する大儀をどこにおくのか、「脱原発」戦略もその選択肢としてありますが、「菅ー海江田」連合で対自民・公明という政治的方向を徹底討論すべきです。何でもあり政局、失ってはならない原点。

181冊の「ヒロシマ原爆報告書」と福島原発震災

2011年08月04日 | ニュース・関心事
NHK報道番組「封印された原爆報告書」をみました。181冊の日本軍の詳細な原爆被害報告書が翻訳されてアメリカに渡っていたという内容です。現存する関係者のインタビューも含まれ頭をガーンと殴られた感覚です。

国が一貫して認めてこなかった原爆投下後に広島に入った「入市被ばく」についても門田さんという医師の日記の報告書があり事実関係は当時にして既にわかっていたとのことです。政府のこれまでの姿勢は何だったのでしょうか。

翻って福島原発震災後の政府に取っている放射能汚染からの防護措置に対する姿勢は、当時の政府とどこでどう違うのでしょうか。子供たちを放射能汚染から守る為に「避難の権利」を早急に認めるべきことは明らかです。

8月8日~10日までの福島原発震災支援ツアー第4弾の意味を改めて確認させられたドキュメンタリーでした。