イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「地名でわかる水害大国・日本」読了

2020年07月23日 | 2020読書
楠原 佑介 「地名でわかる水害大国・日本」読了

激甚気象の続きで、こんな本を読んでみた。
タイトルどおり、昔から続く地名は水害の起こりやすい場所を表しているということを具体的な地名を挙げて解説している。

日本の都市の発達というのは、近世では大中の城下町が元になっている。そして基本は米であった。
稲作ができるところの中心に城が築かれ、その周りに水田が作られ都市ができていく。だから自ずと水が多い場所に都市ができていくことになる。ナイル川ではないけれども、定期的に川が氾濫することによって川上から養分が供給され米もたくさんとれるようになる。
当時は米に依存した社会構造であったからそういうことが当然であったけれども、コメ余りのこの時代でもその社会構造に基づいて都市計画がなされている。そして、その地域に適した開発がなされていないというところに問題があり、昨今の大規模水害を招くのだと指摘している。
東京一極集中という言葉はよく聞くが、これは地方に行っても同じことで、元城下町にはそれぞれ人口が集中している。確かに和歌山県でも和歌山市以外の都市というのはそれほどの規模はない。これがたかだか100万人規模の県ならたいしたことがないが、広島県を例にとると、増えすぎた人口は扇状地の上流部分まで進出し、ほぼ毎年起こっているんじゃないかと思う水害の被害を出している。そういうところは昔から規模はどうであれ同じように水害を起こし、人はあまり定住せず、それを戒めるように地名として名前を残しているというのが著者の説だ。
造成された宅地で、〇〇台、〇〇丘という名前をつけたところがあるが、意外と低地やもとの河川であったところがあるそうだ。そこに少しだけ盛り土をしてそんな名前をつけてあたかも安全そうだ、少し高台気味で見晴らしもよさそうだと思わせる商売はもってのほかだとそういうことも書いている。

その、昔からの地名と危険性を関西の地名で例にとると、
大和川沿い「亀の瀬」→ 岸を「噛む」瀬で、水流が激しくぶち当たるところ。
京都「小倉」→大きく抉られた場所という意味。
樟葉→「崩れ場」という意味。
高槻市「三島江」→水(み)洲(しま)
難波→地面が斜めになっていて水があふれる場所(津波が襲う風景を描写しているらしい)
灘→大地(な)がたれ(垂れる)
神戸(元の名は福原)→「ふくらむはら」で崩落地を表す地名

と、こんな具合だ。

自分の家の周りでも、数年前に全国ネットのワイドショーが取材に来るほどの水害があった地区があり、そこの周りを調べてみると、中心地になった、「和田」という地名は、「わだつみ(海を表す古語)」から来ているらしい。確かに低い土地らしい名前のつけかただ。



僕の住んでいるところは字が「北崎」と言っていた。低い土地の中にわずかに盛り上がっているところだから“崎”という名前がついたのだろうか。それとももっと違う意味があったりするのだろうか。津秦という地名もある。“秦”は帰化人の名前からの由来なのだろうが、海岸からかなり離れた場所に“津”という名前があるというのはやはりこの辺りがかつては海であったということなのだろう。
地名ではないが、これは今年の正月のブログにも書いたが、海岸線からかなり離れたところにもかかわらず、金毘羅様が祀られているところがある。それを見てもここは昔からほぼ海岸線であったと思われるのだ。
どちらにしても、僕が住んでいる一体も水には弱いということを物語っているようだ。

確かに、古い地名はそういうことを表しているのかもしれないが、この本に出てくるその地名の解釈は、素人が見ると、ただのこじつけで、それも災害が起こったからそんな解釈をしているんじゃないかと思えてくるところも多々ある。

それに加えて、著者は他の学者の解釈に対しては非常に辛辣な言葉で批判をしている。名指しで、「もっと勉強してから述べてほしい」とか、「見当違いとは言わないが幼稚な類推である」など、歯に衣着せぬといえば聞こえはいいけれども、そこまで言って大丈夫なのかと心配になってしまう。そして、この人は韜晦という言葉を知らないのかと思ってっしまうのである。


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